01
森が燃えている。
赫々とした炎が森を包んでいる。
現場からは離れているはずである。が、風に乗って熱さがここまで伝わってくる。
もうみんな死んでしまっただろうか。さすがのあの炎である。そうに違いない。
TSUBAKIグループはもう終わる。形あるものがいつか壊れるように、長い歴史に終止符が打たれるように。終わらない小説も映画もない。
いつか終わりを迎える日が来る。人生も、仕事も。自分がそうであったように。
顧問弁護士として椿自動車を担当することとなった時、まさか自分がこんな目に遭うとは思ってもいなかった。社長である椿公一郎は筋の通った男で、出来ないという言葉を何より嫌った。
この会社は大きくなる。一本気である公一郎に惚れ込んだことは今でも間違いでないと確信する。
間違いはその後に訪れた。
昔からの友人からの会おうという連絡。あの時、あの電話を断ってさえいれば、自分の人生はこんなことにならなかったはずである。
旧友からの電話をまさかそんな悪魔の電話とは露知らず受けてしまい、意気揚々と待ち合わせ場所へ行った。
薄暗いバーだった。夜の町に毛を生やした程度の室内で見た旧友の薄汚れた心に気が付くなんてことは出来なかった。
旧友と思い出話に花を咲かせ、ある程度時間が経った頃だ。旧友はおもむろに口を開いた。
「今度自分の会社を興そうと思っているんだ」
なるほど。そこで自分の出番というわけか。
顧問弁護士としての自分に相談に乗ってほしいのだと思ったら、それは外れた。
「いいや、違うんだ。保証人になってもらいたくて」
保証人。
一瞬、背中に氷を当てられたような冷たさが走った。が、すぐに思い直した。学生時代より彼は信用の置ける人間である。そんな彼が自分に救いを求めている。
「本当か? すまない。恩に着るよ。絶対君を裏切ったりはしないから」
グラスに入った氷がカランと音を立てて溶けた。
◇
家に帰ると、嫁が待っていた。大きくなった腹で洗濯物を畳んでいる。
言おうかどうか悩んだ。しかし、身篭の彼女に変な心配をかけさせたくなかった。
きっと大丈夫だろう。
信頼の出来る男だと思っていた。あの頃は。
◇
事態が急変したのは、娘が生まれて一年が経とうとしている頃だった。
旧友の会社が倒産をした。社長である旧友は持金を全て持って出て行ってしまった。残ったのは多額の借金だけだった。
返す人間が身を消してしまえば、自ずと借金は保証人である自分のところへ回ってきた。
彼はきっと逃げたんじゃない。金を集めに行ったのだ。
どうしても旧友を疑えなかった。そう信じ込み、彼の代わりに借金を背負った。
だが、働けど働けど借金は減らなかった。それどころか利子で増えていくばかり。ついには嫁にも見つかり、激怒と共に失望した彼女は娘を置いて身を絶った。
絶望感に打ちひしがれる余裕はなかった。借金を返さなくては。
一人娘もいる。まだ彼女はようやく立って歩き始めたばかりである。
だが、遮二無二働き続けた身体はもはやボロボロだった。
そこに現れたのは椿公一郎だった。
彼は借金の肩代わりとして、秘書になれと命じた。拒否権などない。対等な立場から、彼の所有物になったのだ。
彼に肩代わりしてもらっても、まだ完済することが出来なかった。残す手は一つだった。
娘を手放す気持ちは筆舌に尽くしがたかった。身を切るような想いで娘を手放した。それは自分の心を売るよりも辛い行為だった。
「ああ……美久……すまなかった。クズな父親ですまなかった……」
燃え盛る炎。夜空が赤く染められる。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
田中はその場で膝から崩れ落ちると、
慟哭した。
恭一郎のマンションにある花瓶に挿した花びらがヒラリと舞い落ちた。