終章
12
 いつか公一郎が言っていた言葉がある。

「これからは車社会になる。誰もが車を手にし、誰もが乗る時代がもう間もなく訪れる。俺たちの仕事が必ず実を結ぶ日がもうすぐ目の前まで来ているのだ。けれど忘れるな。どんな時代になろうとも、どんな世界になろうとも商売人は“ここ”が何よりも大事なんだ」

 あの日、仕事を終えた公一郎と総一郎は屋台で酒を酌み交わした。日本酒で顔を猿のように赤くした公一郎はそう言って自分の胸を指先でトントンと叩いた。
 機械の油で黒く汚れた指。スパナで負傷した指先。体中油のにおいをさせた親子はいつか訪れるであろう未来を語り合っていた。

「それを忘れちゃあいけねえよ」

 創業者の言葉が総一郎の耳朶(じだ)に今でも残っている。総一郎は片時もそれを忘れた時はなかった。

「お前にはその血が流れていないのか」

 テーブルに突っ伏して眠る恭一郎を見ながら、総一郎は寂しさを覚えた。彼が悪いわけではない。ビジネスマンとして優秀な男だ。冷酷な面はむしろこれからの次代を担っていくために必要であることは総一郎も頭の中では分かっていることだった。
 全てはそれを教えてこなかった自分が悪い。公一郎の会社を守ることが自分の使命だと思った。会社を守ることが家族を守ることに繋がると信じて疑わなかった。

 けれどそれは間違いであった。仕事を理由に逃げていただけだった。
 妻に逃げられた。息子からも父親として見られていない。全ては自分が撒いた種なのだ。悪い場所に植えてしまった種は自分で始末するより他にない。

 還暦を過ぎてなお、使命が分からない。ぐしゃぐしゃにしてしまった地図では目的地にたどり着けない。
 ならば白旗を揚げるしかない。全てを白紙に戻す――。

「お二人さんはどうするんだい」

 扉の先には“二体の”DOLLがいる。

「いいのか? 自由になれるチャンスなのだぞ」

 “二体の”DOLLは緩やかに寝ている恭一郎に寄り添った。

「そうか。それでいいのか」

 持ち主をなくした人形の行き先は明るい場所ではない。日の当たる場所に人形は似合わない。暗くて、ジメジメしていて、冷たくて……。
 総一郎は静かに椅子から立ち上がった。

■筆者メッセージ
ベッキーの復帰よりもつば九郎の畜生ぶりを見れたことがよかったです。
ちなみに、物語は残すところあと二話となりました。


読むだけの者ですがさん

僕は全くブーブーに興味がなくて。
ええ。そうしてもらった方が僕に訊くよりは早いでしょう。
( 2016/05/13(金) 21:19 )