第五章
03
 どれぐらいそうしていただろう。気が付けば文也は寝息を立て始めていた。風邪をひいた時は寝るのが一番だ。七瀬は首元まで毛布をかけ直してあげると、部屋の中を見渡した。
 どんな部屋だろう。期待はしていなかったが、それでもどんな部屋か想像しながら歩く道のりは楽しかった。アダルトビデオが散乱した部屋だったら、どうしよう。一本や二本ならともかく、何十本とタワーのように積み重ねられていたとしたら。ましてそれが女子高生ものや、はたまた異様な性癖の持ち主が観るような内容のビデオだったら……。

 かといって、髪の毛一つ落ちていないような潔癖の部屋だとしたら。人は見かけによらないところがある。その人のことを深く知らないくせに、勝手に裏切られたと(わめ)く姿はみっともない以外に言葉が見当たらなかった。
 鬼が出るか蛇が出るか。胸の高鳴りを感じつつ、七瀬は地図を頼りに文也のアパートまでたどり着いた。三階建てのよくあるアパートだった。
 教えてもらった住所が正しければ、文也はそこの二階に住んでいるはずだった。七瀬は階段を上がると、視線を感じた。

 七瀬を見る一人の男がいた。ベランダで煙草を吸いながら、好奇の眼で七瀬のことを見ている。
 あの女、あそこに住んでいるのか。もしかしたら彼氏の家かもしれねえ。これからズッコンバッコン乳繰り合うのか。たまらねえな。俺も混ぜてくれねえかな。

 勝手に七瀬の中で妄想が広がる。そう。それは妄想だった。被害妄想といってよかった。けれど、それは間違いでないような気がした。
 七瀬を見る男の目。煙草の煙をくもらせながら、男は七瀬を上から下まで品定めするような目つきだった。娼婦を見定めるような目つきの男を見ながら、七瀬はどうしようか迷った。
 一旦時間を置いてから来るか、このまま文也の家の呼び鈴を押すか。帰るという選択肢はなかった。せっかく文也のために買い物までしてここまで来たし、何より風邪で倒れている彼氏を放っておけるほど、七瀬は薄情者ではなかった。

「何見てんだよ」

 ふいに男が口を開き、七瀬は驚いた。手に持ったビニール袋があやうく落ちそうになった。

「え、いや、すみません」

 七瀬が平謝りすると、男はフンと鼻を鳴らし、火の点いたままの煙草をポイっと捨てた。

「喘ぎ声がうるさかったら注意しに行くからな。何なら俺も混ぜてやってもいいぜ」

 男はそう言って下衆な笑い声を上げながら、部屋に戻っていった。七瀬は嫌悪感を抱きながら、さっさと文也の部屋に上がらせてもらおうと、呼び鈴を鳴らした。
 一度鳴らしても応答がなかったから、七瀬はもう一度呼び鈴を鳴らした。それでも家主が出てくることはない。もう一度押そうかと思ったが、先ほどの男や隣人がもしうるさいと怒鳴りつけてきたら嫌だと思って、押そうとしていた指を引っ込めた。

「文也さーん」

 控えめにノックをし、名前を呼ぶが、やはり応答はなかった。もしかして出掛けてしまったのだろうか?
 七瀬は試しにドアノブを回してみると、扉は開いた。

「文也さーん。あたしよ。入るわね」

 このまま外に居続けたら、いつ先ほどの男が来るか分からなかった。相変わらず応答がなかったが、七瀬は部屋の中に入ることにした。

■筆者メッセージ
どうして帰って寝るだけの部屋なのにそんな汚せるのか不思議な人がいます。
( 2016/01/05(火) 23:27 )