01
寄り道することなく、真っ直ぐに帰宅したことを文也は後悔していた。病院から戻った文也は、すぐにスーツを脱ぎ、冬用の寝巻きを押入れから引っ張り出すと、さっさと寝た。風邪には寝るのが一番の特効薬だ。
だが、喉の渇きを覚えて起き上がると、冷蔵庫の中身が空っぽだったことを思い出した。それでも自分の記憶違いであって欲しいと願いつつ開けた冷蔵庫は、案の定賞味期限を切らした調味料があるだけだった。
自炊もせずに毎日コンビニや外食をしていた文也の冷蔵庫には、食材なんて物はなかったし、仮にあったとしても腐らせるだけだった。
しょうがないから水を飲むと、インスタントコーヒーを淹れ、冷蔵庫にカップを置いた。起きる頃には冷えているはずだ。
◇
着信音が聞こえている。ライオンズの応援歌である『地平を駆ける獅子を見た』の着メロが鳴り響く。文也は寝ぼけ眼で電話を取った。
「誰だ」
『誰とは失礼ね。これでも一応あなたの彼女なんだけどな」
聞き覚えのある声だった。およそ文也の携帯電話の受話器から女の声が聞こえてくるのなんて、出前かカスタマーセンターの女ぐらいだった。
「彼女? ああ、七瀬か」
寝起きの頭でもそれが七瀬だということが分かった。目を開けるだけで頭痛がし、文也は目を閉じた。
『そうよ。メールをしても返信がなかったから、今夜はどうするのかと思って。もしかして仕事がハマってる?』
「いや、違う。悪いな。風邪でダウンしたんだ」
『風邪? あなた風邪をひいたの?』
七瀬にしては大きめの声だった。風邪ぐらいでそんなに驚くことか。
「ああ。あれから会社に行ったけど、熱が出て早退した」
『病院は行ったの?』
てっきり、七瀬のことだから「そう。お大事に」で終わると思っていた。けれども、七瀬は更に突っ込んできたのが、文也にとっては意外なことだった。
「当たり前だろ。人を子供扱いするな」
『で、今はどう? まだ熱はあるの?』
「お前は俺のお袋か。まだ熱はあると思う」
計っていなかったが、手の甲で額を触れてみると、熱かった。
『そう。何か欲しい物はある?』
「あっても持って来れないだろ。俺の家の住所を知らないんだから」
文也はせせら笑いを浮かべた。せっかく七瀬が心配をしてくれているのに、熱でおかしくなっている。
『教えて。これから行くから』
これから行くと言われ、文也の顔つきが変わった。
「これから? 俺の家はお前の家と違って汚いぞ」
『いいわよ。で、何か欲しい物はある?』
その時だった。文也の頭に、「お前が欲しい」という言葉がよぎったのは。どうやら熱で相当頭がおかしくなっているようだ。
「普通に飲み物、ポカリとか缶詰あたりが欲しい。住所は……」
くだらない。どこぞの三流ドラマの真似事だ。文也は頭によぎった言葉を口に出すことはなかった。