週末の午後、蓮は部屋の掃除をしていた。
窓を開け放つと、冷たい風がカーテンをふわりと揺らし、部屋の空気が新しく塗り替えられていく。
古びた集合写真を見つけたのは、押し入れの奥に眠っていた段ボール箱の中だった。
やわらかい日差しの下で、白く色褪せたプリント写真。裏には「3年1組 文化祭」とだけ、青いボールペンで書かれている。
蓮は、その一枚をそっと持ち上げた。
ぎっしりと並ぶクラスメイトたちの顔の中、自分の居場所を探す。
一番左端。半歩だけ後ろに下がった位置で、身体の半分がフレームからこぼれかけている。
顔はぎこちなく、笑みも弱い。
――ああ、やっぱり俺はここだったな。
そう思いながら、彼の目は自然と写真の中心に向かう。
輪の真ん中。誰よりも明るい笑顔で、肩をすくめるようにしてピースをしている少女。
齊藤京子。
周囲にはクラスの女子たちが集まり、誰もが彼女の方を向いている。
その姿はまるで、小さな太陽だった。
誰とでも分け隔てなく話し、空気を和らげる声と笑顔。
けれど、蓮は知っていた。
京子は、時々“自分にだけ”話しかけてくれることがあったことを。
*
あれは、たしか秋の終わり。
文化祭が終わった後の、ひどく風の強い放課後だった。
図書室に寄って帰ろうとした蓮は、靴箱の前でひとり座り込んでいる京子を見つけた。
風で落ちた落ち葉をかき集めて、何かをしていた。
「……なにしてるの?」
思わず声をかけたのは、自分でも不思議だった。
京子は顔を上げて、いたずらっぽく笑った。
「なんか、ね。葉っぱって集めてると楽しくなってくるの。わかんないけど」
そう言って、近くにあったビニール袋に葉を集めていた。
「ちょっとだけ手伝って」と言われ、蓮は無言のまま隣にしゃがみ込んだ。
風が吹くたび、葉は逃げていった。
でも、京子は追いかけずに笑った。
「また逃げたね。風のせいにしよ」
その瞬間、蓮はふと、自分が“孤立していない”ような気がした。
無言のままうなずいた自分に、京子は飴玉をひとつ差し出した。
「甘いの、苦手じゃないよね?」と、確信したように。
彼は受け取り、そのまま何も言わなかった。
だけど、帰り道、ポケットの中で何度も飴を握りしめたことを、今もはっきり覚えている。
それから京子と蓮は、校内で何度か言葉を交わすようになった。
頻繁ではなかった。約束もしなかった。
けれど、“ふとしたときに、隣にいる”ことが増えていった。
朝、教室に早く来た京子が、自分の席に座る前に蓮の机に立ち寄る。
「今日、英語の単語テストあるって知ってた?」
そう言って、笑いながらポケットから手帳を取り出す。
「……知らなかった」
蓮はうつむきがちにそう答えると、京子は机に突っ伏しながら笑った。
「だよねー。私もいま知った」
ただ、それだけ。
でもその日、蓮は授業の合間にノートを開いた。いつもよりほんの少し、手が真剣に動いた。
*
図書室の入口。
読みかけの本を返しに行った蓮が、カウンター前で京子と鉢合わせたことがあった。
「わ、奇遇。よくここ来るの?」
「……うん」
「私もたまに来るよ。静かだし、落ち着くし」
そう言いながら、彼女は貸出カウンターで借りた本を胸に抱える。
背表紙には『詩集』と書かれていた。
「詩、好きなの?」
初めて蓮から問いかけたその一言に、京子はぱっと顔を明るくして答えた。
「うん、短くて、でも意味がいっぱい詰まってるのが好き」
そのとき、蓮は彼女がただの“明るい子”じゃないことに気づいた。
*
ある日の放課後。
廊下で京子が体育のプリントを落とし、それを拾った蓮に向かって、彼女はふと聞いた。
「ねえ、蓮くんって、なんか……寂しくない?」
「え?」
「……ううん、ごめん。変なこと言った。忘れて」
そう言って去っていった京子の背中を、蓮はその日、なぜかずっと目で追っていた。
彼女はただ明るくて優しいだけの存在じゃなかった。
人の気配に敏感で、言葉の裏にある“静けさ”を、感じ取ることができる人だった。
*
やがて、ふたりは同じ時間に図書室へ行くようになった。
会話は短く、周囲の友人たちには気づかれていなかった。
それでも――蓮は思っていた。
世界の中で、たった一人だけ、自分のことを“気にかけてくれる人間”がいる。
それだけで、毎日が少しだけ柔らかくなる。
*
写真の中の京子は、いつもと同じ明るさで笑っている。
でも、蓮の中には、誰も知らない京子の笑い声や、少し眉をひそめた表情、
飴玉を差し出すときの小さな手のひらの感触が、まだ残っていた。













