04 結
その後帰宅ラッシュの時間となり、駅前の店はにわかに忙しくなっていく。柏木さんはバックヤードでの作業に当たっている為にレジには僕一人。
行列を造る客を効率よく捌いていき、人波がひと段落した頃、裏でのシフト調整を終えたらしい、店長がやって来て僕に一声かけた。
「稲葉君ごめんね。大変だったでしょ?」
「いえいえ、余裕ですよ」
笑顔で返しながら、僕は頭からずっと離れない疑問をぶつけることにした。
「あの、店長?」
「ん?」
「松本・・・ もしかして背骨やっちゃってませんか?」
「え?あぁ、確かに親御さんから背中を強くぶつけたとは聞いたけど・・・ 稲葉君も知ってたの?」
(やっぱり・・・)
動揺を悟られぬように平静を装い答える。
「えぇ、さっき共通の友達が来て聞いたんですよ」
ウソで誤魔化しながら、その場をしのいだ僕は改めてあの客のことを考えた。
(あの客が買っていく本は・・・)
「あの、すいません。この本なんですけど・・・」
客に声を掛けられた僕は我に返った。
「あ、はい!ただいま」
「あ、いいよ、私がレジに入るから、稲葉君はあちらのお客様の対応をして」
「すみません、お願いします」
下らない妄想よりも、客が最優先だ。レジから離れた僕は対応に向かった。
「この本を探しているんですけど」
客から渡されたメモ書きを確認した。
「はい、ただいまお調べいたしますね」
店の片隅に据え付けられたパソコンに向かい検索を開始した。結果をざっと見て、お客さんに説明をする。
「申し訳ございません。ただいま入荷待ちになっておりますので、ご予約していただきますと・・・・・・」
「いらっしゃいませ」
後ろで店長の声が聞こえた。どうやらレジに客が来たみたいだ。あっちは店長に任せて、目の前の客の対応に集中していると
「あの、領収書も下さい」
いつものあの調子で領収書を求める声が聞こえた。
(あの客だ!)
「かしこまりました・・・。こちら領収書のお渡しです」
僕からは問題集を、入院した松本からは脊損に関しての本を、料理下手を気にしている柏木さんからは料理本を買ったあの客。
まさか、あの客は人の心を見抜く力でもあると言うのだろうか。得体の知れない謎を前に煩悶し、目の前の客への対応はもはや上の空となっていた。
なんとかして、本の予約を完了させて客を送り出し、すぐさまレジに戻った。
「て、店長。さっきのお客さんなんですけど」
「ん?領収書を下さいて言ってたお客様?」
「そうです。あのお客さん、何の本を買っていきましたか?」
「え?ただの小説だよ。最近出た『紅い眼』ってミステリー小説」
「そう・・・ですか」
「それがどうかしたの?」
「いえ、何でも無いです。あ、レジありがとうございました。もう大丈夫です」
「そう。じゃ私はこれで上がらせて貰うね、お疲れ様」
いつもの温和な笑顔を浮かべて店長は帰っていく。
「お疲れ様です」
店長を送りだしながら、僕は安堵した。あの客の買っていった本がその店員に関連していたと思えたのは単なる偶然。
それは店長からは、なんの変哲もない新刊のミステリーを買っていったことから証明された。自分の頭にあった変な妄想がいかにバカげているかと気付き、可笑しくなった。
(そんなことあるわけないか。心が読めるなんてな)
「あれ、店長帰っちゃった?」
バックヤードから柏木さんが戻ってきた。
「えぇ、ちょうど今。・・・ところで柏木さん『朱い眼』ってどんな内容か知ってます?」
何の気なしに、話題を振る。自分の頭を切り替えたかったから。
「あぁー、今かなり売れてるよね。私も読んだけど、面白かったよ」
「へーどんな話なんです?」
「稲葉君、読んでないの?お客さんに聞かれたらどうするのよ?」
「すいません」
「まぁ、いいか。えっとね、旅行先で旦那さんが多額の保険金を掛けて奥さんを事故に見せかけて殺しちゃうって完全犯罪の話なんだけどね」
(え?)
「でね、このトリックがまた巧妙で、ん?稲葉君聞いてる?おーい稲葉くーん」
柏木さんの声がどこか遠くで聞こえている。
僕の頭には店長の温和な笑顔が浮かんで離れることがなかった。