02
「ホントなの。ホントに見たのよ」
翌朝、夫に必死になって言った。
「そんなことがあるわけないだろ。寝ぼけてだけじゃないのか?」
「ホントなんだって!見間違えだけならそうかもしれないけど・・・はっきり聞いたんだよ、声も」
「怖い怖いって思うから、そう思うのんだって。それより、そろそろ会社に行くから」
時間帯がまずかった。忙しい朝食の時間では夫も真剣に取り合ってはくれない。話を切り上げ、早々に会社に行ってしまった。
「いない・・・よね?」
一人マンションに残され、妻の心は不安に押しつぶされそうだった。特に寝室は怖い。まだ、あの女がいる気がする。ゆっくりと寝室のドアを開けた。
南向き。それもマンションの角部屋。寝室にも燦々と朝の光が差し込んでいる。その明るさで不安もいくらか緩和された。
「はぁ・・・・・・」
ホッと胸をなで下ろした。
「布団でも干そうっと」
モヤモヤとした気分を紛らわすには家事をするのが一番。妻はいつも以上に、家事をこなそうとしていた。
布団を持ち上げたその時、何か嫌な感じがした。
(なに?)
この感じには覚えがある。昨夜と同じ感じ。
(もしかして・・・)
振り返るのが怖い。けど、確かに感じる。
心臓が激しく脈打つ。喉は激しく渇くも唾を飲み込もうにも乾ききっていて唾すら分泌されない。
運が悪かったのだろう。太陽が厚い雲に隠れた。その結果、ガラス窓に妻の背後の景色が映った。
いる。昨夜の女が。
昨夜とは違って今はコンタクトをしている。見間違えるはずがない。
どうにかしなければ、そう思い振り返った。
「いな・・・い・・・・・・」
ガラス窓に映った女がいない。
「・・・気のせい?」
ホッと胸をなで下ろしたのも束の間、声が耳元から聞こえた。
「見てるだけぇ。」
振り返ると女の顔が目の前にあった。妻はしりもちをつき、後退りをした。
「だ、誰?」
「・・・・・・」
やはり、一度言葉を発したきり何も言わない。ただ、ジッと妻を見る。決して、脅かそうする様な表情ではない。本当にただただ見ているだけ。仮にこのやりとりを街中で見たとしても、誰も何も感じない。それくらいに普通の表情。しかし、それが逆に妻にとって怖かった。
目的がわからない。見ているだけ。いったい自分に対してどんな感情を持っているのかすら読み取れない。
「な、何の用なの?」
妻は聞いた。回答は得られないと頭では理解していても体は理解していない。勝手に言葉を発してしまう。
「・・・・・・」
突然、女は後ずさりを始めた。理由はわからないが、どんどん、どんどん後ろ下がっていく。そして、終いにはベランダに出てしまった。
「どこまで行くの?」
ベランダから飛び降りそうな勢いだった。
「あっ!」
妻がそう発した時には遅かった。女はそのまま地面へと消えていった。
ベランダの手すりからそっと身を乗り出し様子を伺った。
「いない・・・?」
どれだけ目を凝らしても女はいなかった。眼下に見えるのはチラホラと小さい人の影と、おもちゃのような車たちだけ。女の姿を何度も探したが終ぞ見つけることは出来なかった。