02 一 -熱帯夜と家鳴り-
7月20日
それは高2の一学期の終業式のあった日のこと。
オレは寮の自室で扇風機の風に当たりながらアイスを頬張っていた。
この寮ってのが、それはそれは古い建物で明治時代からあるんじゃないかって位に文明開化を感じさせる風情がある。ま、端的に言ってしまえばボロい建物だ。そのせいなのか、時おり、"ピシッ"とか"パキッ"とか気味の悪い家鳴りがする。オカルトマニアなら、「ラップ音だっ!」って色めきたつほどの大きな家鳴りが。
オレ自身もこの家鳴りが気にならなくなるまでには相当の時間を要したし、常に新しく寮に入ってくる新入生をビビらせている。そしてここ寮ではオレと同様の地方出身者たちが共同生活をしていた。
夏休みの初日と言うこともあって、寮の住人の中にはその日のうちに実家へ帰省する者も少なくはなかった。
帰る予定の無いオレが制服姿のまま暑さと闘っていると、別の棟に住む林田が遊びに来た。
「よっ、風間!来たったで」
林田は相変わらずの変な柄のTシャツにロールアップした制服のズボン姿で現れた。
「別に呼んでねぇよ・・・」
オレはどちらかと言えば人見知りをする質で友人の数も多くはないのだが、林田はその数少ない友人の中の1人であり一番気が合う男でもあった。
「まぁまぁ」
林田は時々、いや大半がオレの部屋にやってきては暇を潰しをしているように思え、勉強などしている雰囲気はまったくなかった。明日からは夏期補習があるものの午後からは休みという気楽さから夜遅くまでくだらない話をして過ごし、寝たのはもう午前2時を回っていたかもしれない。
寮にはエアコンなどなくて夏は暑いのが当たり前。しかし、それでもその日は湿度が高く特に暑くて寝苦しい夜だった。
寝ようとして一時間くらい経っただろうか?パイプベッドの下で先に寝入った林田の寝息が聞こえてきた。
(こいつ、よく眠れるなあ・・・。しかも人の部屋で・・・)
そう思った直後、パイプベッドの枕元のすぐ後ろで
"ミシッ・・・"
という音がした。
そのときは「いつもの家鳴りだ」と思った数秒後
"ミシッ・・・"
また音がした。しかも音は少し移動したように感じた。
このとき初めて身体に経験したことのない異変を感じた。
見えないナニカに縛られたかのように身体がピクリとも動かない。
(なんだこれ?)
驚いたと同時にものすごい恐怖が身体を支配する。
(どうして動かないんだ?)
そしてまた数秒後
"ミシッ・・・"
次は右肩辺りで音がした。オレはもうこれは霊的な物に違いないと確信した。すぐそばに寝ている林田を起こそうにも声がまったく出ない。それどころか腕も足も動かない。
"ミシッ・・・ミシッ・・・"
音はオレのベッドと林田との間を通るようにゆっくり足元へ向かって移動している。
"ミシッ・・・ミシッ・・・ミシッ"
家鳴りが止んだ。
オレの右足の少し下で音は止まった。
『金縛りにあったら決して目を開けてはいけない。なにか良からぬモノを見てしまうから』
昔婆ちゃんから聞いたことを思い出した。がオレは恐る恐る目を開けた。
そしてはっきり見た。
"それ"はオレの足元に立っていた。
白いワンピースを着た長い黒髪の少女だった。俯いた顔は大部分が長い髪がバサリとかかりよく見えなかった。
いや、むしろよく見えないほうが良かったのかもしれない。長い髪の少し分かれた隙間から真っ赤に充血した眼と口角の吊り上がった口が見えた。
"それ"はニタッと不気味に嗤い眠っている林田の顔をじっと眺めているようだった。それが見えた瞬間、オレはパニックに陥った。
「う、うう、あっ、あっ!」
出なかったはずの声が少しだけ音となり喉から出た。
(なんでもいい。音を出して林田を起こさないと・・・)
「う、うっ、うわあああああっ…」
ようやくまともな声が出た。
「なんや、なんや」
オレの声に林田が驚いて飛び起きた。
「あれ、あれ見ろ!」
オレは寝たまま右手で"それ"がいた方向を指差した。しかし、オレが指差す所はもう暗い闇しかなかった。
「・・・?なんやねんな?」
オレはたった今遭遇したことを早口で林田にまくしたてた。
「寝ぼけとっただけやろ。アホくさ。自分んとこ帰って寝るわ・・・」
林田は呆れた顔をして自分の部屋へ帰っていった。
オレはその日もう眠ることが出来なかった。あんなモノを見てもう一度電気を消して眠られる人間がいたら紹介してほしいくらいだ。