B
「周りの子たちと違う」という感情を私は小学校高学年くらいから持っていた。“僕”という一人称を使っている女の子は周りに誰一人としていなかった。
けれど、そんなことは些細な違いだと思っていた。足が速いとか遅いとか、頭がいいとか悪いとか。そんな誰にでもある違いだと思っていた。そう、あの時までは。
その日、いつものように学校に登校した私は3年2組の教室にいつものように「おはよー」なんて言いながら入った。普段なら数人から「理々杏おは!」とか「理々杏ちゃんおはよー」って返事が来るのに今日だけ何もなかった。
「おかしいな」とは思ったけど、特に気にすることもなく席に着いた。たまたまの出来事なんだろうと自分を納得させて頭を切り替えた。
2時限目の前の移動教室ではいつも一緒に音楽室に行っている子たちが先に行ってしまっていて、1人で移動することになった。しかも、いつも教室のロッカーに入れていたソプラノリコーダーが見当たらなかった。しょうがなく音楽の先生に「忘れた」と伝えて授業を受けた。
4時間目の体育でも教室のロッカーに入れてある体操着がなくなっていた。さすがにおかしいと思った。思い返してみれば、今日はまだクラスメイトの誰とも会話をしていなかった。話しかけようとしても「ごめん、お手洗い行ってくるね」と逃げられてしまっていた。
「いじめ」
私の頭の中にその3文字がよぎった。けれどなぜ?昨日まではみんな普通に接してくれていたのに…。私にはさっぱりわからなかった。
それから1週間は頑張って学校に通い続けた。誰とも話さず、ギリギリに登校してきて、授業が終われば即帰宅。たった1週間で私は心がすり減っていったように感じた。その1週間でいじめはどんどんと加速度的にエスカレートしていった。結局体操着やリコーダーは見つからず、机には油性マーカーで落書きをされ…。典型的で古典的ないじめを受け続けた。
だから私は、
学校に行くことを、
止めた。
心を閉ざし、自分の部屋に閉じこもった。施設の職員さんには、体調が悪いとだけ伝えてそっとしておいてもらった。
すべてをシャットアウトした生活が1か月は続いた。
ある日、私の固く閉ざした心と同じように閉ざされた部屋のドアがノックされた。
「誰?今誰とも会いたくないんだけど」
少しの沈黙の後、声がわずかに聞こえてきた。
「菊野春樹だけど、少し理々杏と話をしたい。」
少し迷ったけど、私は部屋のドアを開けた。