オビディの場合
母が上京してきた。
状況が状況なだけになかなか上京を拒めないというのもあるが、事前の連絡も曖昧でいつこちらに来るのかはっきりしなかったので、心の準備のできていなかった私は自分でもどうしようもないくらいにテンションが下がっていくのであった。
子供の頃から「飽きっぽい性格」だと言われていた私は、高校生の頃、「何故、家族は飽きないんだろう」と思ったことがある。友達も恋人もある程度付き合うと飽きてしまう。スポーツも遊びもセックスも、何度もやれば飽きてしまう。新しいバッグや靴も、買った瞬間に飽きてしまう。そういうことを繰り返して「自分の周りには何故、こんなつまらないものばかりなのだろう」と考えていた時期だった。
家族といることが一番、居心地がよかった。父も母も妹も特に面白い人間だとは思えなかったし、特に面白い会話を交わすわけでもなく、祖父が突然テレビを庭に放り投げて壊すまではテレビばかり見ている家族であったが、それでも私には家族といることが快楽であった。永続的な、薄い快楽であった。それが、こんなにめんどくさくて退屈なものになるなんて。
母は元気なんだかなんなんだかよくわからない感じ。反応がやたら鈍く、歩くのが牛のように遅いのでいらいらする。脳みそに血がいってないような感じといったらいいのか。私が風邪を引いてたというので、何か雑然として、それでいて空っぽな瞳で私に同情の言葉を投げかけてくる。こっちに欲望の対象が無いときに見つめるフィギアの棚のように、がやがやしてても空っぽの、ガラスの瞳でこちらに同情の言葉をかけてくる。
風邪はだからなおったっつうんだよ、と。
中野ブロードウエイは今日も下っ腹の立てるやつと、くるりの岸田君みたいなおしゃれめがねとその女などでまみれてた。手をつないでる私たちが一番奇異なカップルのはずなのに、そんなことは誰も気に留めない。他人のことをほっといてくれるのが、いいよねここは。トイがいっぱい。ママンといたらトラウマを思い出す暇も無く、人形が見れるということを今日発見した。フィギアを見つめると、一緒に見てるやつの心象風景がなんとなくわかるような気がするですよ。
岸田君めがねの男は、欲望バキューンエロフィギュアと手持ちの女を交互にながめながら、よくわからない気持ち悪い表情をしている。おまえは一体何が欲しいんだ。欲望を欲望してんのか馬鹿と思ってみたりして。とまれ、今日は始めて買い物してみちゃったりして、私もオタクの仲間入りができたかもと、その自意識が心底恥ずかしいけれども、とにかく買ったのだよ。ママンも人形を買ってた。昔なつかしのスヌーピーのデットストックの貯金箱を。歩くのが本気でのろくていらいらする。
なんとなくゲームセンターに行ったな今日は。和太鼓をリズムに乗ってたたくやつ、アレに発するハッスルした。ウイリアムテル序曲や、ほかの、そう、日本ブレイク工業などの難解なやつはママンプレイできなかったみたいだ。背の低い子供がじっと見てたので、背が届きそうも無いので見てるだけだろうと思ったら、親がやってきて「あのー、ずっとまってるんですけど」といってきたのでどいた。ハッスルしすぎて周りが見えてなかったわけではなく、子供に気がついていながら、声をかけた後にコインを継ぎ足してリプレイしなかった自分の気配りの無さというよりも、ママンがそのあと一言もあやまらずにその場を立ち去って「いやー楽しかったわ」といったことのほうが恥ずかしかった。
ブロードウエイの四階に、まさか幻獄に通ずるゲートがあるとは、私は思ってもみなかった。正確な場所はちょっと勘弁して欲しいけれども、エレベーター通りのとある一角である。
ママンと手をつないでゲートを通り抜けると、中東と日本をミックスしたような奇妙な街の広場に出た。何か大会みたいなことをしているのでのぼりを見ると、
「喧嘩数学」
とあり、街の人に話を聞いてみる。吉本の芸人「さや香」がM-1グランプリで披露した「見せ算」を拡張したようなゲームだった。
「四則演算に加えて新しく登場した五つ目の演算方法」
である「見せ算」。数字と数字を見せ合わせて「どう思うか」を考える演算方法である。数字に感情があるという前提でなされる計算である。
基本的なルールは次の2つ。加える「+」や引く「−」に相当する「見せ」の演算記号を「M」としよう。
@同じ数字どうしを見せ合った場合、その眼(がん)は「0」になる。
(例:「2M2 = 0」「3M3 = 0」)
A違う数字どうしを見せ合った場合、その眼は大きい方の数字になる。
(例:「1M4 = 4」「7M5 = 7」)
「2M2」(2見せ2)は、数字の「2」どうしを見せ合った場合に、「2」がどう思うか?を考える計算である。同じ数字どうしが接触すると、両方がその場から逃げてしまうため、その場所には何もなくなる。そのため、「眼」(がん)は0になるのである。
「1M4」(1見せ4)は、自分より大きな存在である4を見た1が怯えて逃げ出してしまうため、4が残る。故に「眼」は4です。
こうした「見せ算」の基本ルールを元に、「数字同士が悪意をもっていたとしたらどうなるか?」という、数字同士の喧嘩に特化しつつルールを独自に拡張してできあがったのが、「喧嘩数学」ということらしい。
これから、その決勝戦が開かれようとしていた。
「赤コーナー、叫ぶ詩人の会代表、ドリアン助川〜!」
本当にドリアン助川が出てきたので、私はびっくりした。ママンはうれしそうだった。
「青コーナー、喧嘩師のカリスマ、喧嘩王・詠み人知らず〜!」
この瞬間、世界がスパークし、私の人生が変わった。