幻獄の蟻
高度に知能の進化した蟻「ギドロン」は、「幻獄」の砂漠の地下に造り上げた巨大な要塞を棲み処とし、さらった人間を自らに適したサイズに縮小化した「ミクロイド」を奴隷にしていた。
「ミクロイド」には二種類ある。
(1)捕えた人間に「逆行性ホルモン」の薬液を注入することで、奴隷として適したサイズに改造された「縮小人間」。彼らには「翅(羽)」がない。基本的に、改造の際に人間だったころの記憶は消去されてしまう。しかし知能は高いため、ギドロンの貴族たちの家で働く「室内奴隷」が多い。
(2)何百年も前にさらわれた人間の赤ん坊たちが特殊なゼリーで育てられることで細胞が縮み、かつ交配や実験を繰り返して何世代も経るうちに「肉羽(にくばね)」という空を飛ぶための「翅(羽)」を獲得した種族であり、ギドロンの主に「屋外奴隷」として使役させられている。
虫ケラ「喧嘩城に塾長が帰ってきたんですってね」
ギドロンの首都「ギドロニア」で、ギドロン城の門番に話しかけたのは、喧嘩掲示板『晒しの楽園』の名無し(モブ喧嘩師)が転生したギドロンの民である。
ギドロン兵「ああ、とんでもない怪物が喧嘩城のトップ3を瞬殺したっていうんで、ウチ(ギドロン)の最高指導者(『ゼルギ』)は牢屋に入れられてる喧嘩城の反対勢力(レジスタンス集団)『RoundTable』の連中を脱獄させる計画を進めてたんだが、やつ(塾長)が復帰したとなると、ちょっと難しいかもしれんな」
虫ケラ「そんなに強いんですか」
虫ケラ(『晒しの楽園』の名無しの総称だが、ここギドロンではギドロンの一般市民を指す)は、いつものようにギドロン兵にワイロを渡しながら、情報を引き出した。
ギドロン兵「いろんな意味でな。何故、引退したのか、今もって不明だし」
虫ケラ「ひよこ餅に倒されたって話ですけど」
ギドロン兵「それはあくまで噂だな。しかも、塾長自らが流した噂だっていう話まである」
虫ケラ「へえ〜」
ギドロン兵「ムッ、ルリボシとガガンボが帰ってきた」
虫ケラが振り返ると、地上から帰還したミクロイドの「ルリボシ」と「ガガンボ」が翅(羽)をばたつかせながら門前の石畳に着地したところだった。
ギドロン兵「ご苦労」
ルリボシ「ん」
ガガンボ「やあ、息子さんは元気かい?奥さんは残念だったね」
ギドロン兵「例の化け物たちはどうだった?」
ガガンボ「まっすぐ喧嘩城に向かってるな。まるで場所を知ってるみたいに」
ギドロン兵「帰巣本能みたいなものか」
ガガンボ「わからん。それより、アッダリを美味そうに食べてたのには腰を抜かした」
ギドロン兵「あの悪魔の実を?幻獄で一番毒性が強いはずだが…」
虫ケラ「じゃあ旦那。あっしはこの辺で」
そう言うと、虫ケラは繁華街の方へ消えていった。
ガガンボ「あれは?」
ギドロン兵「乾燥大麻の売人だが、おそらく、喧嘩城のスパイだな。将軍のおっしゃるとおり、あえてこちらの計画を流しておいた」
ガガンボ「そんなことして大丈夫なのか?先手を打たれて『RoundTable』の連中が処刑されたりしたら、どうするんだ」
ギドロン兵「できるんなら、とっくにやってるさ。『RoundTable』の連中をあえて生かしておく意味があるんだろう」
ガガンボ「ふーん」
ルリボシは虫ケラが去った方向を、何やら意味ありげな目でじっと眺めていた。
※※※
ミクロイドよりも身分の低い「人虫(ひとむし)」が大勢暮らすスラムを抜け、虫ケラは郊外のボロ小屋に入った。
荷物をどかせ床板を三枚ほど抜くと、地下につながる階段がある。その先には最新の通信設備をもつ隠し部屋があった。
虫ケラはまず何度もドリップしてとっくの昔に出がらしとなったコーヒー粉に保温されていた湯を注ぎ、ほとんど香りのしないコーヒーを飲んだ。そして油で炒めた唐辛子の入ったフライパンに、たっぷりの塩で茹でたパスタを入れ、さっと絡めた。そして、フライパンごとテーブルに置いて、冷えた缶詰の人肉をつまみながら、パスタをかき込んだ。
それから、先ほどギドロン兵から仕入れた情報を喧嘩城へ暗号通信で送った。
ベッドに倒れこむと、ハァ…とため息をついた。天井をみつめながら、『晒しの楽園』に書き込みをしていた頃のことを思い出していた。
「いちご」という名の喧嘩師がいた。糞生意気な女子中学生で、馬鹿にされると鬼のように発狂する負けず嫌いな女の子だった。自分は最初から最後まで名無しの「虫ケラ」で通し、気の利いた会話ひとつできなかったが、好きだった。
虫ケラはのどに涙が流れ落ちていくのを感じた。