帰ってきたよ
「はっ…はっ…はっ…」
黒い粉のような石炭の砂が舞う、漆黒の地平の彼方。豆のように小さい人影が、こちらへ向けて一心不乱に走っている。
集落の入り口へとたどり着いた彼は、汗だくの体も気にせずに、希望に満ちた顔で、クチをめいいっぱい開いて叫んだ。
「塾長が…。じゅ…塾長が帰ってくるぞおおお!!」
肌寒くなってきた、秋の出来事であった。
ここは「幻獄」。最強の喧嘩師「ひよこ餅」と幻獄四天王のうち「セルシア(Selcia)」「黒うさぎ」「パーロンマスク」が次々に惨殺された。
幻獄の上層部がほとんど壊滅状態に陥ったのである。いったい、何が起こったのか?
幻獄の中心「喧嘩城」は混乱に陥っていた。残る上層部は、幻獄の管理者である「統括者X」とその直属の部下である「相剋」のみである。
これからいったい、幻獄はどうなるのか。残された幻獄の民は、死んだ四人と違って一切素顔を見せない「統括者X」と「相剋」に不安を感じていた。
全身を真っ赤なマントで覆った「統括者X」は、以前は「林檎様」と呼ばれる美しい女王だった。彼女には「刻苦」という美少年が宮廷料理人兼御庭番として仕えており、二人はなかば公認の恋人関係にあった。幻獄はこの頃、「林檎庭園」と呼ばれており、「論武一如」の「喧嘩」が一種のスポーツとして喧嘩師ではない住民にも親しまれていた。
そこにクーデターを起こして喧嘩界最高位の「塾長」の地位についたのが、当時最強を誇った喧嘩師の「アカテン」である。林檎様と刻苦は一時幽閉され、その後は「象徴」として、何ら実権をもたぬ形式的な君主となった。幽閉を解かれた林檎様と刻苦が再び民の前に現れた時、彼らはすでに「統括者X」そして「相剋」と名を変え、顔や身体を真っ赤な、そして漆黒の衣装と仮面で覆っていた。
そこから「喧嘩」はスポーツではなく、実践的なスパイ術ないしは武術として、ついには謀略の術、暗殺の術へと発展した。しかし年を経て体力気力ともに衰えた塾長は、若い「ひよこ餅」に追われる形で喧嘩師を引退、「赤の女王」と呼ばれた林檎様に対し「白の女王」と呼ばれていた林檎様の妹を妻とし、子を二人もうけていた彼は、家族ともども行方をくらませていたのだ。
「な…なんで塾長が今更??」
「塾長は引退したはずじゃなかったのか??」
「わからん…わからんが、塾長が居たんだ!もう、こっちに来るぞ!!!」
「落ち着け!とりあえず、とりあえずを相剋を呼ぶんだ!!」