シリーズ『大論界』(5):「ゴッドストーリー〜刀葉林の叶姉妹」











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第十一話 ひよこ餅黒人説
坂上田村麻呂黒人説
さしあたり、我々はウィキペディアの記述に意識を傾けることになる。しかも、我勝ちに。


「坂上田村麻呂黒人説(さかのうえのたむらまろこくじんせつ)は、平安時代の武官であり、征夷大将軍として蝦夷征討に功績を残した大納言坂上田村麻呂が黒人だったという風説である。遅くとも1911年には北米において発生していた。この説は説得力のある証拠を何一つ提示できなかったにもかかわらず、おもに黒人の学者のなかで21世紀に至るまで引用されており、古代日本におけるネグロイドの存在を証明するものとして考えられていた。」


『大論界』シリーズで超絶的な仮説には慣れているはずの我々でも、ちょっと信じられない説であるが、その前に、このご時世、「黒人」という概念にちょっと注釈をいれておこう。

ガーナで生まれ3歳のときに日本に来た「フィービィ」さんの「アフリカ人(黒人)の私が日本人に知ってほしい3つのお願い。」という記事を引用しよう。(https://all-about-africa.com/africa-japan-onegai/)


「日本で18年住んでて気づいたのは、よくテレビでアフリカに関して可哀そうな映像しか見せられていないため、それしか知らないということ。

興味を持って調べる以前にアフリカはこうですっていうイメージを詰め込まれているため、ポジティブな側面のアフリカが想像できないってことだと私は思います。

また、昔はアフリカといえば「未知」の世界だと言ってもいいぐらいアフリカに関する情報が少なかったです。」


そう、かつて「アフリカ」は異世界であり、「黒人」は異世界人だったのである。


「私は病院で働いてるのですが、患者さんによく、

『アメリカ人?どこの州?アメリカのどこから来たの?』

この質問されると、いつも思います。

一言もアメリカ人とは言ってないのに、なんでアメリカ人って判断するんだろう…
で、私はこう答えます。
 
『いいえ、アフリカのガーナ出身です!アメリカ人ではありません』

なぜ日本人は日本はアフリカ系アメリカ人だけしかいないみたいなイメージをするのかと、、アフリカ人はアフリカ系のアメリカ人よりも下に見られているのかと思う時もあるし、実際に経験したこともあります。

「黒人」全員がアメリカ出身ではないことを理解してほしい! また、「アフリカ人」だからといって見下げないでほしいです!」


この文章をもっとはやく読んでたら、「シカゴの五本指」とか出さなかったんですがね…。
もう遅いです。「物語」というものは、いったん動き出すと止められない。

いったん出したキャラクターをそう簡単に殺せないですよ!
おれは永井豪みたいなクソじゃねえんだからよ…(†)。

では、ウィキの記述に戻ろう。


「1911年にカナダの人類学者アレクサンダー・フランシス・チェンバレンは、“The Contribution of the Negro to Human Civilization(『人類文明への黒人の貢献』)”のなかで、歴史上人類の文明化に功績のあった黒人を紹介する際に坂上田村麻呂について短く触れている。

『遠い日本で、現代の日本人の先祖はその国の先住民であるアイヌに敵対し北上していたが、その軍団の指導者が有名な将軍でありネグロでもあった坂上田村麻呂だった。』

この記述の典拠がどこにあるかは記されていないが、おそらくこの記述が坂上田村麻呂黒人説の初出と思われる。

1915年には、同じく北米のアメリカの公民権運動指導者であるW・E・B・デュボイス〔全米黒人地位向上協会の設立者の一人〕が、黒人の秀でた支配者・戦士の一覧に坂上田村麻呂を加え、“The Negro”で紹介した。

終戦後の1946年には、Beatrice J. FlemingとMarion J. Prydによって“Distinguished Negroes Abroad”が出版された。これは田村麻呂を黒人として詳細に紹介した最初のものであった。この著作中で田村麻呂について述べている部分は、架空の日本人が二人の息子に清水寺の田村麻呂像の前で彼の偉業を語るという体裁をとっていた。

『「ハルオ」父親は忠告した。「お前はヨーロッパとアメリカで教育を受けた。お前が学んだ最良のものは積極的に取り入れなさい。しかし人種や肌の色は意識せず、人を人として見ることを心掛けなさい。田村麻呂の時代の日本は人質や異人を奴隷にすることはなかった。農奴のような低い身分に格下げされていたことは確かだが、出世して成功する機会はいつでもあった。坂上田村麻呂はネグロであり、自身の性質に忠実で、立派な戦士であることを自ら証明した。彼は私たちとともに、私たちのために戦った。(中略)私たちにとっては、それゆえ彼は異人ではない。私たちは彼を外国人とはみなさない。彼は我らが日本の尊敬される戦士なのだ!』

“Distinguished Negroes Abroad”で取り上げられた「清水寺の田村麻呂像」のイメージは、1989年にMark Hymanによって出版された“Black Shogun of Japan Sophonisba: Wife of Two Warring Kings and Other Black Stories from Antiguity”で具体化された。

『彼が祭られている寺院において見るところでは、麻呂の像は仲間の貢献者よりも背が高かった。彼の髪は巻毛で隙間なく、目の間隔は広く茶色だった。鼻孔はふくらみ、額は広く、顎は厚く少し突き出していた。』

なお実際には、田村麻呂を祀る清水寺田村堂(開山堂)の田村麻呂像は1633年の大火以降に作られたものであり、当然黒人の特徴は一切見られない。Mark Hymanが述べているのがこの像なのか別の像なのかは不明である。1980年、アメリカが制作したテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』が日本を含む多くの国で放送され、この風説も一時的に盛り上がりを見せたが、当時は情報網が十分に発達していなかったため、これらの情報が日本に伝わることはほとんどなかった。

『侍が勇敢であるためには、黒人の血を少しは受け継がなければならない』という諺が日本に存在するいう噂も発生したが、日本にはそのような諺は存在せず、いつ誰が言い始めたのかは不明である。

21世紀に入ってからも、2002年に黒人の歴史研究家Runoko Rashidiが取り上げるなど、「坂上田村麻呂黒人説」は一部の黒人の研究者に信じられていた。さらにはインターネット上のコミュニティを介して、現代でも「坂上田村麻呂黒人説」は命脈を保ち続けている。文化人類学者の中村寛は、2002年〜2004年頃の出来事として、ハーレム地区在住の黒人ムスリム男性から「坂上田村麻呂がアフリカンだった」と主張された体験を報告している(中村寛「アーカイヴへの不満 : アフリカ系アメリカ人ムスリムにおけるアイデンティティをめぐる闘争(<特集>アイデンティティと帰属をめぐるアポリア-理論・継承・歴史)」『文化人類学』第78巻第2号、2013年、225–244頁)。

田村麻呂の黒人説がリアリティーを帯びた背景には、白人中心主義の歴史観によって田村麻呂の正体が意図的に隠されていたのではないかとの猜疑心が存在していた。例えばある者は、現代の日本人は白人同様の黒人差別思想や日本が単一民族国家であるという考えを持っているので、英雄である田村麻呂が黒人であることを「恥じている」のだと考えていた。また、他のある者は、坂上田村麻呂の像がふだん一般に公開されていないことについて、ヨーロッパの黒い聖母像に人目のつかないところに隠されたものがあったという歴史を連想して、清水寺が意図的に坂上田村麻呂像の黒人的特徴を隠蔽しているのではないかとの疑念を持っていた。」


ウィキペディアは「坂上田村麻呂黒人説」がトンデモ説であるという前提で記事を書いている。


「しかし本当に「坂上田村麻呂黒人説」は、トンデモ説に過ぎないのだろうか? というのも、坂上田村麻呂が生きた奈良時代末〜平安時代初期の日本は、現代人がイメージするより、はるかに国際的な状況にあった。

坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命した桓武天皇も、生母・高野新笠を通じ、百済の王族だった武寧王と血がつながっていたのは有名な事実である。それゆえ外国から日本にやってきて、その後は帰化した渡来人系の氏族出身者も優遇措置を受けることができたともいう(高橋崇『坂上田村麻呂』)。

平安時代初期の帝・嵯峨天皇の手によるとされる『田邑麻呂伝記』(『群書類従』第五輯)の記述をまとめると、「大将軍(田村麻呂)」の身長は五尺八寸(約176センチ)、胸板の厚さ一尺二寸(横幅約36センチの厚さの胸板という意味)、体重は多い時で201斤(約120キロ)もあったという。

田村麻呂の娘の春子は、のちに桓武天皇の妃として葛井親王を産んだ。親王は即位して清和天皇となり、彼の皇子たちの末裔たちが「清和源氏」という武士の名流を形成している。清和源氏の武士たちが活躍できたのも、その祖先の一人である坂上田村麻呂のカリスマあってのことではないか。そんな坂上田村麻呂が、古代日本人のイメージを打ち破るような、エキゾチックな容貌の人物であったというのは実に興味深いのだ。」(堀江宏樹「アメリカの公民権運動に利用され、欧米で流布した「坂上田村麻呂=黒人説」とは【古代史ミステリー】」Yahoo!ニュース7/9(火) 16:30配信)


武士と天皇の関係性という観点からみても、「坂上田村麻呂=黒人説」は興味深い。

信長が起こした学問「論学」成立の立役者の一人であったキリシタン武将「増尾虚空蔵(ますおこくぞう)」も黒人に近い見た目をしていたという。その子孫である『キャスフィ避難所』の喧嘩師「マスー君」こと増尾架空蔵(ますおかくぞう)が、スパイのためとはいえ、黒人喧嘩師集団「五本指」に一時的に所属したのも、あながち嘘(あるいは妄想)とも言えないのではあるまいか。


■筆者メッセージ
いや〜、いったいどうしちゃったんでしょうねえ、この小説は。

作者である私もさすがに困惑しております(笑)。


【参考・引用文献】

ウィキ。


「アフリカ人(黒人)の私が日本人に知ってほしい3つのお願い。」
https://all-about-africa.com/africa-japan-onegai/


堀江宏樹「アメリカの公民権運動に利用され、欧米で流布した「坂上田村麻呂=黒人説」とは【古代史ミステリー】」Yahoo!ニュース7/9(火) 16:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e32c944c5339979d1c63083913b9ad900dc6c17c


【注】

†…お前ら「永井豪」持ち上げすぎやねん、殺すぞアホどもが。小学生の俺が『凄ノ王』で雪代小百合がレイプされるとこを見た時の気持ちがわかるか?『黒の獅士』で主人公・天王獅子丸の幼馴染・お夕がよりによって主人公の手で真っ二つにされたところを見てしまった俺の気持ちがわかるか?『デビルマン』で牧村美樹ちゃんが暴徒に惨殺され五体をばらばらにされて、生首を棒に刺して江戸時代の纏(まとい)みたいにブルンブルンふるわせてるとこを見た俺の気持ちがわかるのかよ、ああ!?フィクションでもやっていいことと悪いことがあんだよ。そら、そんなセンセーショナルなこと描いたら記憶には残るわな。それがどうした?クズやないか。俺は永井豪を殺すためだけに生きてきたといっても過言ではない。小学生の俺が心に決めた人生の目標は、永井豪の家族を皆殺しにして晒し首にすることじゃ!ずっと生きてると、いろんな関係性とか迷惑かけたらアカン人々とかできてなかなかあのガキをブチ殺すことはかなわんが、わいはまだ諦めてはおりまへんで?あの三流漫画家のクソガキが死んだら、クソガキの墓、絶対にダイナマイトで爆破してやりまんのや!絶対悪・辻政信の墓と子孫の家を爆破した帰り道あたりにやったりますわ!!(笑)
アメリカン・クルーソー ( 2024/12/01(日) 13:59 )