女が見ている。
女が見ている。女が見ており、こちらは動けず。
さらに女が見ており、オヤジがゲロ吐き、こちらは動けず。
オヤジが「ウーッ、ウーッ、エオッ」とゲロを吐き、
女が見ており、「エブッ、エブッ」と吐かれたゲロは白く光り、
酸っぱい匂いとともに「アウッ、アウッ」と犬が吠え、死んだ人たちの霊が集まってくる。
犬には霊が見え、女には見えず、オヤジは地面を、女はこちらを見ており、こちらは動けない。
何故動けないのか。金縛りか。足がないからか。形相を少しも含んでいないからか。
同じ様にゲロも動けず、「お願いだ!助けてください」と霊に向かって叫んでいる。
叫んでいるが、霊には聞こえず。同じ様に血の混じったザーメンも叫んでいるが、霊には聞こえず。
霊は純粋形相であり、死んでももう一度死なねばならず、
死後の世界は純粋形相から純粋質料に向かってノンストップで走り去るので人生も思想も小説も消滅し、いろいろ悩んだり叫んだり励ましたりしたことはパーになり、従って最終的にはこの世もあの世もパーになり、それでも我々は生きねばならず、そしてそんなこととは無関係に生きることはやや楽しくもあり、人間は死ぬとわかっていても死なねばならぬ。
どうせ死ぬのに、気持ち悪いとか近寄るなとか汚い手で触るなとかその薄汚い口を閉じろとか、なんでそんな口をきくのか。なんで腹を蹴ったり、目にツバを入れたり、電車に乗ればカップルがオレの外見を笑い、何も語るべきことがないので目についたものを話のネタにし、オレがTシャツを外に出そうが中に入れようがお前らに関係ないだろう!
お笑い芸人は他人を貶めずには笑いをとれず、さらに素人はそこからコンセンサスを抜き、ただただ相手を貶めるだけで、自分に都合のいいように人を笑い、それで人生は楽しく、それを誰も否定せず、論理的に否定できず、従って笑われて腹が痒くなり、やがてそれが痛みに変わってゲロを吐いたり、血の混じったザーメンを何度も出したりする者が生ずるのを論理的に否定できず、身体障害者は笑ってはいけないがブサイクは笑ってよく、ガイキチを笑ってはいけないがバカは笑ってよく、オレはガイキチでなくバカだから仕事ができずに「帰れ!」とか「死ね!」と言われても仕方なく、オレは若ハゲで唇も出ており、ヨダレが垂れ、目が血走っていて肌が異常に白いので笑われても仕方なく、腹が出ていてチンコも小さく包茎なので銭湯で高校生かそこらのガキどもに笑われても文句はいえず、法律があるのでそいつらを殺して首を切り取り、眼球に生け花を差し込んで楽しむこともできず、かといってそいつらを生かしておく理由もなく、はやく戦争がはじまってくれればとただただ念じるだけで、でも自分は戦争で死にたくはない。
しかし、オレだけが苦しむ現在に比べれば、オレを笑ったカップルもオレに死ねと言った同僚もオレにチンコ小さいと言った予備校生も等しく死の恐怖にさらされねばならず、今でもどうせ死んでるみたいなモンなんだから、死の恐怖におびえつつ、そいつらを笑ってやるのも悪くない。
地面がバキバキ割れ、キチキチ炎があがり、そいつらが火に焼かれて水膨れでボコボコになってるところを同じくボコボコになりつつあるオレが笑ってやる。舌は熱で反り返り、喉はパキパキ穴が開いて首の後ろにも笑い声は響くだろう。だが、それでいいのだ。後ろにも敵はいる。360度全部笑ってやればよいのだ。
そう考えると楽になってくる。動きますよ、体が。そしてポコチンが。女の視線は私の人生になんの関係もなく、英霊が何をしようと私は私。オヤジは地面をつかんでヒーヒー言ってるが、なーに人間の不満や悩みなど考え次第でどうにでもなる脆弱なもの。アンタの悩みとオレのケリとどっちが重要ですかな?―オレはスタスタオヤジに近付いていき、オヤジの腹をおもっきり蹴飛ばす。
「エフッ!」
ほら、痛みの方が勝ってるじゃん。失恋でもおなかがすくというアレですよ。結局、こういうとこに落ち着くんですナ、頭の中で解決しようとすると。でも、オレは根性なしだし、現実に立ち向かえばまた同じ結果が待ってるだけだから頭の中だけで解決していいんだった。いやー、ヒヤヒヤしましたねぇ。ホント。…というわけで死ぬなんてもうやめときません?腹を蹴ったのは謝るからさ。
だけど、頭の中だけの解決はいつも冷や汗を生むだけで、自分の中で自然にキャラが縦や横に分裂するのをただ呆然と眺めるしかない。腹を蹴飛ばされたような痛みが去れば、また日常的な思考とその論理が復活し、女も霊もオレすらも存在しないことが露呈しはじめ、名も無きオヤジはただおのれの存在を見つめるしかないのだ。だが、もともと見つめるべきおのれの存在などどこにもなく、そうするとはらわたがスカスカしてきて、別に気にしなければどうということもないのだが、いったん気にしだすと、おっかなくて寂しくて、どこかに逃げ出したいのに動くこともできず、「助けてください」と言うかわりに、ただゲロと血の混じったザーメンを流すことになる。すると、きまってそのすぐそばで女が見ているのだ。
女は何故見ているのか。オレにホレてるからか。だが、オレのカンでは、ゲロを吐くオヤジにマジボレする女が存在する確率は0・3パーセント。オヤジといってもまだオレは三十代だが、女から見れば、若ハゲで唇も出ており、ヨダレが垂れ、目が血走っていて肌が異常に白く、腹が出ていてチンコも小さい包茎のオレはオヤジ以外の何者でもないだろう。
女は見たとこ二十代前半。最近の若いヤツはまんべんなく貞操観念がないので、どんなマジメな女もセックスしており、AVの影響でみんなフェラーリの運転がうまく、駅弁くらいは体験しているので全員処刑しなければならないが、いざセックスとなればフェラがうまい方がいいに決まっているので生存が許されている。そんな抽象的な彼女も実際に話してみれば悩んだり叫んだり励ましたりした具体的な生存をもっていることがわかり、わかってしまえば逆にこちらが抽象的な存在になってしまうので、オレとしては話したくない。話したくないが、それは根本的には話したいからなのであって、反動的に話したくなくなっているだけだから、後はそれを自覚し、ただゆっくりと話せばいいのだ。
しかし、そもそも女と話せるのなら、こんなオレにはならなかった。自覚するだけなら簡単で、生まれてこのかた、自覚しなかったことなどなかったほどだ。心臓の鼓動や呼吸も自覚的であり、髪の毛が生えたり爪が伸びるのも自覚的で、無意識や無自覚にも自覚的だから、自覚のみがどんどん深まり、地球温暖化とか、北朝鮮の核開発とか、後期資本主義の展開とか、そういうのも全部自覚的である。だが、君はそれを女に話すことができるだろうか?できるというのならば、オレは君を殺さねばならない。
ここは古都「パラドゥ (Paradu)」。
自分の家のダイニングで椅子に座り、ひたすら石でできた床をみつめていたのは、前世「日本」で蟻として叶姉妹に飼われていた黒人「アンソニー」である。どうやら一睡もしていないらしい。
それに対して、叶姉妹一行はのん気にアクビをしながらベッドルームから出てきた。
『おはよう』「ああ〜ああ〜」
「おはようございます」
アンソニーは二人の女を見た。女たちはそれぞれ自分しか見ていない。それがアンソニーには心地よかった。しかし
「ジョー!ジョーッ!!」
誰かが呼んだ気がしてアンソニーは振り返った。
「ああ〜!ああ〜っ!!」
フランチェスコが嬉しそうに叫んでいた。
再び床に視線を落としたアンソニーは、自分が「黒人」などではないことをいつ二人に打ち明けようかと思案しはじめた。