第三章「わたしが消えた夏」
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 雑居ビルの階段を上がると、厚い扉の向こうから微かにベースの低音が響いてきた。
 高宮さんに誘われてやってきたのは、駅前のレッスンスタジオ。彼がバンドをしているなんて、想像すらしていなかった。

 スタジオの中は、ギターやドラム、キーボードが所狭しと並べられていて、高宮さんと同世代らしき男の人たちが4人ほどいた。


「あれ、確か莉奈ちゃんだよね? やっほー」


 ドラムの場所に座り、スティックを回しながら手を振ってきたのは、ファミレスで会った笠原拓海さんだった。


「どうも。笠原さんも一緒にバンドされてるんですね」

「そうそう、俺が高校の時にこいつら集めてさ、そっからたまにこうやって集まっては、ちっちゃなライブハウスでワンマンとかやらせてもらってるんだよ」


 笠原さんはそう言うと、今度のワンマンライブのチラシを私に差し出してきた。
 これまで触れた事の無い世界だったために、それを受け取っていいのか少し躊躇ったが、彼の屈託のない笑顔に私は自然と手が伸びていた。

 ギターの調整をしていた別のメンバーが音を鳴らすと、高宮さんがマイク前に立った。


「よし、じゃあやろっか。あっ、莉奈ちゃんはそこで聞いてて」

 「はい」と近くにあったスツール椅子にわたしは腰を下ろした。
 少しの沈黙から、彼の息遣いが聞こえたかと思うと、それに合わせてギターとドラムの音がそれまでの沈黙を切り裂くように鳴り響いた。

 音が始まると同時に、空気が一変した。
 全ての楽器の音が重なり合って、目の前でひとつの世界を形づくっていく。

 そして、その中心に立つ高宮さん。
 少しうつむいた表情で、それでもまっすぐにマイクに向かい、歌い始めた。


 ――言葉じゃなくて、音で伝える。


 その声には、何かを抱えたまま、それでも前に進もうとする不器用さと、まっすぐな想いが込められていた。

 胸が、強く揺さぶられる。


 ――この人は今、こんなふうに生きてるんだ。


 知らなかった彼の一面に、私は小さく息をのんだ。
 演奏が終わると、スタジオの外からスタッフの呼び出しがかかった。


「ごめん、ちょっと打ち合わせ行ってくる」


 そう言って高宮さんはスタジオを出ていった。
 その背中を見送った直後、隣にいた笠原さんが自然な動作で私の隣のスツールに腰を下ろした。


「悠人がさ、ここに女の子連れてきたの初めてなんだよね」

「え……そうなんですか?」


 思わず目を見開いて私は聞き返した。


「なんか、あいつにとって音楽は自分の想いとか魂を込めてるものになるから、心を開いた人じゃないと見せたくないんだろうな。きっと」


 その言葉に、私の頭の中で、あのときの光景――悠人と女の子がテラスで親しげに話していた場面がよみがえった。

 あの人は、ここには来れなかったんだ―

 わずかな優越感が無意識に口角を緩ませた。


 笠原さんは私の方をちらりと見て、柔らかい声で言った。


「ま、でも。あいつがここまで心開くのって、ほんと珍しいから。これからも……仲良くしてやってよ」

「……仲良く、ですか」


 その言葉を口の中で繰り返してみる。
 それは、どういう関係のことを言うのだろう。友達?それとも、もっと別の何か……?

 私には、まだその答えがわからなかった。

■筆者メッセージ
冷房直で当たったまま寝てしまったせいで、起きたら寒くて震えていました…笑
黒瀬リュウ ( 2025/08/02(土) 08:36 )