03
この日は始から貰った合鍵を使って、美玖は彼の部屋に上がり込み、アルバイトで帰りが遅い彼の帰宅をカレーを煮込みながら待っていた。
バタンという鉄の扉が閉まる音が聞こえ、その方に目を向けると、彼が疲れ切った表情で帰り着いたところだった。
「おかえり。もう少しでご飯できるよ」
「あっ、来てたんだ…。ありがとう」
せっせと食事の支度を進めている彼女を、始はぼんやりと見つめながら、彼女にあることを尋ねた。
「ねえ、こないださ、俺が寝てる時に部屋から出た時あったでしょ」
「えっ?」
「一緒にベッドに寝てたのに、夜中に目を覚ましたらいなくなってた」
「ああ、電話がかかってきたから、起こすの悪いなって思ってこっちに出たの」
「誰から?」
彼女が答え終わる寸前ぐらいで、始は食い気味にそれを尋ねた。
美玖は少したじろいで、ええっと驚いたが、始は至って真剣な表情のまま、彼女のことを見つめていた。
「須崎先生…」
そんな彼の表情に圧倒され、渋々答えると、向こうはあからさまに怪訝な表情を浮かべた。
「なんだよそれ。あの先生のことはもう諦めたって、そう言ってたよね?」
「別に私から掛けたわけじゃないし…」
「そういうことを言ってるんじゃないんだよ。何であの先生からの電話をわざわざ取ったんだってこと」
「勢いで出ちゃったの…。ちゃんと画面の名前見てたら、私だって出なかったよ」
だんだんと始の口調が荒々しいものになってくる。それに呼応するように、美玖の返答も強めな返しをしてしまっていた。
二人の間に流れる空気は、鍋のカレーのように、ぐつぐつと煮えたぎっていた。
「嬉しかった?」
そんな言葉をこのタイミングで言われると思っていなかった美玖は、思わずはあと彼に聞き返した。
「あの先生から電話がかかってきて、嬉しかったのかって聞いてんだよ」
「ちょっと何言ってるの。何でそんな怒ってるのか、意味分かんないんだけど…」
「答えろよ。それとも動揺したの?どっち?」
会話の主導権を一切握ろうとさせてくれない彼に、美玖は髪をかきあげて、小さくため息をつきながら、鍋に蓋を閉め、一度火を止めた。
「別にどっちでもないよ。それに、新田くんと付き合ってるって話したら、すぐ電話切られたし…」
「はっ?えっ、ごめん。全然意味がわからないんだけど…?」
「何が?」
「そもそもなんで俺に話してくれなかったわけ」
「別に、心配かけたくなかったから…」
「心配かけるようなこと、あの人としてんの?」
「そんなわけないじゃん!」
「じゃあなんで電話がかかってくるわけ?」
「それは…、多分、あの人には他に話せるような人はいないから…」
彼女の言葉に彼は呆れるように鼻で笑い、背負っていたリュックをキッチンから部屋に投げ入れた。
「何だ、それ。そんなの別に美玖じゃなくたっていいじゃん!」
「だってあの人は…!」
それを言いかけた時、この事を話してしまえばさらに火種になってしまうと判断した美玖は、その先の言葉を胸にしまった。
だがそれが気に食わなかったのか、今度はそのことに始は食いかかってきた。
「なんだよ。言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなよ」
「別に。今は関係無い話だから…」
「関係あるかどうかは、俺が聞いて判断するよ」
そう言われて黙り込んでしまった彼女に、始はゆっくりと近づいてきた。
「美玖にとって、俺と付き合う理由って何?」
「えっ?」
「美玖にとって俺は、ただあの人を忘れられることが出来れば、誰でもいいような相手なの?」
「そんなわけないじゃん!私ちゃんと新田くんのこと、好きだよ?」
「黙れよ!」
口答えをしてくる彼女に、初めて大きな声で怒鳴りつけた。
始はすぐにごめんと何度も何度も謝ってきた。
初めて聞いた彼の大きな声。
その声に美玖は少し驚き、それ以上言葉を返すことが出来なくなっていた。
すると始はそんな彼女の肩を優しく掴んで、子犬のように潤んだ瞳で話してきた。
「ごめん。でも、やっぱり不安になるんだよ。時々思うんだよ。俺なんかが美玖に相応しい男なのかって…。だから、今度から連絡があったら、俺に教えて欲しい。いいね?」
悲しい目で見つめてくる彼に美玖は小さく何度も頷いた。
「わかった。もう連絡はしないって言ってたから無いとは思うけど、もし何かあったらすぐに新田くんに話すよ。心配かけてごめんね」
彼に背を向けて、再び調理に取り掛かろうとしたその時、突然背後から抱きしめられたかと思うと、体の向きを変えさせられ、強引に唇を奪われた。
やめてと言って彼の体から離れようとするも、歯止めが効かなくなった始は彼女の服を引き剥がすように強引に脱がさせながら、力強く腕の中に美玖を抑え付け、その唇を何度も何度も貪るように重ね合わせた。