02
肉と肉がぶつかり合う乾いた音と、それに反するようにぴちゃぴちゃと雫がこぼれ落ちる湿った音が2Kという小さなアパートの一室内に響き渡っていた。
そういえば玄関近くの窓、閉めてたっけ。
彼に抱きしめられながら、美玖は頭の片隅でそんなことを思っていた。
アパートの周りにこの音が聞こえてしまっていないだろうか。
そういえばこの部屋は二階だった。
下に誰か住んでたっけ。
そろそろこの時間は外で遊んでいた子供達がお家に帰るために、この近くの河原を通る頃合いのはず。
窓が開いてたらこの乾いた音も、自分の情けない声も子供達に聞こえてしまうのだろうか。
ギシギシとベッドが激しく軋む音も激しく腰を動かす彼の吐息を耳元で聴きながら、彼女はただひたすらに相手の愛を受け止めた。
行為が終わり、気が付けば夜になってしまっていた。
始の腕の中で眠っていた彼女は、机の上に置かれていた携帯の振動の音で、目が覚めてしまった。
最初は気にせず着信が止まるのを待っていたが、また再び鳴り出して、一向に止まる気配を見せないそのバイブレーションに、美玖は彼を起こさないようにそっと起き上がり、眠る前に彼に着させてもらった大きなTシャツだけを一枚羽織ったまま、ベッドから降りて、キッチンの方へと向かった。
「もしもし…?」
小さな声で電話に出ると、それに呼応するように電話をかけてきた相手もか細く弱々しいような小さな声で言葉を返してきた。
「もしもし。ごめん、寝てた…?」
「…急にどうしたんですか、先生」
電話の主は須崎からだった。約三ヶ月ぶりに聞く彼の声は、大雨の日と同じように弱々しく握れば簡単に崩れてしまいそうなぐらい儚く感じた。
「なんだか…、君の声が無性に聴きたくなって…」
「お酒、また飲みすぎたんですね?」
「君は相変わらず、僕のことを何でも分かってくれるね…」
彼が発する一言一言が、彼女の心をざわざわと揺るがした。
なぜ今。どうして今になって。
せっかく、あなたのことなんて忘れようとしていたのに。
そんな台詞を彼にぶつけてしまいたかったが、大雨の日のことを思い出し、彼女はそれを胸にしまった。
すると黙ってしまった美玖に須崎は相変わらず突拍子もないことを尋ねてきた。
「ねえ、君は、どうして僕にあんなに心を許してくれたの…」
愚問だった。
やはり彼は、自分の気持ちに気付いてくれていた。
なのに…。
彼女は出てくる言葉をグッと堪え、次に用意した言葉をその口から放した。
「私、今、新田くんとお付き合いしてるんです」
そう告げると、数秒ほどの沈黙が流れた。
向こうも動揺しているのだろうか。
電話越しでは全く分からなかったが、ここまで彼からの返答に時間がかかるのはとても珍しいものだったが、ようやく帰ってきたその言葉は、いつものような優しく甘いトーンの言葉だった。
「そうか。今、幸せなんだ。安心したよ」
そうじゃない。
そんな言葉を言って欲しいんじゃない。
そんなに冷静を装わないで欲しい。
もっと、もっと嫉妬して、泣き叫んで欲しい。
そんなわがままを言い出せるはずもなく、美玖は"良き元教え子"を従順に演じることに努めた。
「先生?学校で何かあったんですか…?もしかして、ひなのちゃんに何か…?」
コソコソと小さな声で電話をしていたが、引き戸の向こうのベッドの上で、始が寝返りを打ったような音が聞こえた。
あまり長電話も出来ないと判断した美玖は早々に話の要件を聞き出して、電話を切ってしまいたかった。
「ううん、なんでもない。ごめんね、遅くに突然。もう連絡しないようにするから」
彼女の雰囲気を電話越しに感じ取ったのか、須崎からそのように切り出された。
美玖はおやすみなさいと彼に告げると、早々に携帯の終話ボタンをぷちっと押した。
秋の夜の中、縁側に座って携帯を耳に当てていた須崎は、ツーツーと鳴り続ける電話をゆっくりとおろし、風に揺れる庭の木々たちをぼんやりと眺めていた。