08
秋があっという間に過ぎ去り、冬がやってきた。
入試直前ということもあり、土曜日にも関わらず補講が入っていた。
麓の駅から山の上にある学校までは、長い坂道を登っていかないといけない。
普段はスクールバスに乗って行くのだが、土曜日曜は運休となっており、自らの足で登って行かなければならなかった。
ぜえぜえと息を切らしながら、重い足を持ち上げて、坂を登って行く。
楽器を演奏するときは基本的には上半身の筋肉を使うことがほとんどなので、足元などの下半身に関しては全く力を身に付けていなかった。
何度か美玖の隣を自転車に乗った男子生徒たちが通り過ぎていったが、この急な坂をよく自転車で登ろうと思えるなと感心をしていると、横に一台の軽自動車が停まった。
ふとその運転席を見ると、須崎が窓を開けてこちらを見ていた。
「あっ、先生」
「金村、大丈夫?」
「大丈夫です。これぐらいへっちゃらです…!」
そう答える彼女の額にはこの冬には似つかわしくない玉のような汗をかいているのがすぐに分かった。
須崎は運転席から降りると、回り込んで隣の助手席のドアを開けた。
「学校まだまだ距離があるから、送ってくよ」
「えっ、いや、大丈夫ですよ!あとちょっとですし…」
申し訳なさから遠慮をしたが、須崎は彼女に近づくと、その背中を押して、半ば強引に車の方に向かわせた。
遠慮するだけ無駄だということがわかった美玖は、すみませんと一言謝りながらも、内心は須崎の隣に座れるという喜びの方が勝ってしまっていた。
車は動き出し、先程美玖の横を通り過ぎた男子生徒たちを軽々と追い越して行く。
カーブを何度も繰り返しながら、ハンドルを握る須崎は、助手席でカバンを両手に抱えながら少し緊張の面持ちで座る美玖に尋ねた。
「どう、最近は。学校、楽しくなってきた?」
「えっ、あっ、はい」
狭く密閉された空間で二人っきり、しかも少し車内には彼の匂いなのか、どこか落ち着くような香りがしている。そのことで頭がいっぱいになってしまっていた美玖は、彼からの問いかけに答えるのに少し時間がかかってしまっていた。
「上村が、金村に会いたいって言ってたよ」
「ひなのちゃんが…?」
「上村は金村に懐いてるもんな。受験期間で会えなくて寂しいって口を溢してたよ」
上村ひなのは我が吹奏楽部の中で花形とも言えるフルートを担当している一年生であり、美玖と一番仲のいい後輩であった。
「部活にも馴染めたみたいで、よかったよ」
「いえ、先生のおかげです」
「僕は何も。もともと金村が持っていた魅力が紡いだ結果さ。そういえば、卒業後の進路はどうするんだい?」
「将来は音楽のイベント関連の仕事をしたいって思ってて。そのためにまずは大学でより専門的なことを学ぼうかなって」
「へえ、すごいな。そしたらもしかしたら、君が企画したイベントに僕が行くことになるかもしれないんだね。楽しみだな」
美玖はふと彼の顔を見た。
ハンドルを握り、まっすぐ前を向いている彼の横顔は彼女の目にはとても美しく見えた。
思えば彼と出会ってから、全てが変わったような気がしている。
最悪だった高校生活も、たった数ヶ月の楽しかった出来事のおかげで、いい思い出として締め括ることができそうにすらなっている。
美玖は再びカバンをぎゅっと握ると、胸に秘めた言葉を思い切って口に出してみた。
「先生」
「うん?」
「私、実は…」
彼女が言いかけたとき、須崎があっと何かに気付いて再び車を停めた。
異変に気づいた美玖は窓の外に目を向けると、並んで自電車を押している久美と綾人の後ろ姿を見つけた。
須崎は窓を開け、美玖に声をかけた時と同じように、彼らにも声をかけた。
「佐々木、柊、おはよう」
「あっ、先生!あれっ、美玖もいる!」
「えっ、何。乗せてもらってんの?いいなぁ」
「じゃあ私も乗せてもらおっと。綾人、これお願いね!」
そういうと久美はそれまで押していた自転車を綾人に押し付け、須崎の車の後部座席に乗り込んだ。
おいおいと須崎は笑っていたが、久美はお構いなしに進んでくれと言っていた。
仕方なしにアクセルを踏み、再び車を動き出したあと、須崎は何か言いかけた美玖に続きを尋ねたが、彼女はなんでもないと答え、助手席のシートに深々と座った。