03
美玖は高校三年生に上がった春から、同じクラスメートの女子生徒に虐められるようになっていた。
理由は自分でも分からない。だが否応なく理不尽に始まるのがいじめだ。きっと虐めてきた側も大した理由はなかったはずだろう。
しかしそんな"大したこと"でもないことに美玖は悩み、苦しめられ、屋上に立つまで思い立ってしまっていた。
あのとき須崎が声をかけてこなければ、本当に屋上から飛び降りていたかもしれない。
家に帰って食事を済ませ、自分の部屋に戻って落ち着いたときに、ようやく事の大きさを実感するように思い返されて、自分の行動力に少し恐怖を感じた。
少ししてから美玖はカバンの中にしまってあった『星の誕生と最期』を取り出した。
須崎から"宿題"として手渡された本。それを読んでどうしろとは言われてはいない。だが恐らく、感想を聞かせろとでもいうことなのだろう。
宇宙のことなど全く興味なかったが、読めと言われた以上、ないがしろにすることはできない。
じっくりとは行かないが、流し見程度に美玖は本を読み進めて行った。
夏休み直前、最後の体育の授業。男子は校庭で野球を、女子生徒はプールにて水泳の授業を受けていた。
だが美玖はというと、調子があまりすぐれず、スクール水着姿ではしゃぐクラスメートたちをプールサイドから制服姿で、日陰に隠れながら見ているだけだった。
授業が終盤に差し掛かり、水泳を楽しんで生徒たちがプールから上がろうとしたその時、ドボンと大きな音が一帯に広がった。
体育教師の春日が何事かとプールを見ると、見学をしていたはずの金村美玖が制服姿のまま、プールの中に入っていたのだ。
「金村!何してんだ!」
怒鳴りつけてくる春日の後ろで、クスクスと指をさして笑う女子生徒たちの姿を、美玖は濡れた髪越しに見ていた。
体育の時間が終わったものの、バスタオルも何も用意していなかった彼女は、ずぶ濡れのまま、着替えが済んだ他の生徒たちの後ろを歩いていた。
ブラウスからうっすらとキャミソールが見えてしまっていて、恥ずかしかったが、隠すものが何もない。
教室に戻って体育服に着替えよう。そう思って廊下を歩いていると、後ろから呼び止められた気がした。
振り返ると、須崎が教科書とクラス名簿を片手にこちらを心配そうに見ている。恐らく、次の授業に向かう途中か、授業が終わって、いつもの理科準備室へと戻っている最中だったのだろう。
彼の顔を見たときに、美玖は急に目元が熱くなり、何か込み上げてくるものを感じた。
須崎はその表情を見ると、その視線を彼女の先を歩く女子生徒たちに囲まれている体育教師の春日に向け、彼を呼び止めた。
「春日先生」
「うん?ああ、須崎先生。どうされました?」
「金村、何があったんですか?」
「ああ、体調が優れないというから見学させていたら、"ふざけて自分から飛び込んだ"んですよ。まったく、困ったものです」
恐らく先ほど春日の後ろで笑っていた女子生徒たちが、そう口添えをしたのだろう。
それをまともに信じ込む教師もどうかと思うが、もう訂正する気力すらも起きない。そう諦め、美玖の瞳から涙が溢れそうになって目を閉じたその時。
彼女の横をすっと人が通り、後ろの春日の元に向かって行ったのがわかった。
「ふざけんなよ!金村がそんなことするわけないでしょうが!」
大きな声が廊下中に響き渡る。
後ろを振り返ると、須崎が春日の胸ぐらに掴みかかり、見たこともないような剣幕で怒鳴りつけていた。
「な、何するんですか!離してください!」
「あんた、ちゃんと金村のこと見てたのかよ」
「見てましたよ!」
「見てないから、こういうことが起こってるんじゃないのかよ!」
「何なんですか、いい加減にしてください!言いがかりを付けるのはやめてくださいよ!第一、二年部のあなたには関係のないことでしょう?」
騒ぎを聞きつけ、他の教師たちも駆けつけた。
まるで街中で起きている若者たちの喧嘩を止める警察官のように間に割って入ると、激昂する須崎を複数の教師たちが引き離していた。
美玖はただその姿を見つめていた。目に浮かんでいた熱い一雫は、すでにどこかへ引いてしまっていた。