02
理科準備室へと連れてこられた美玖は、濡れた髪と体を、渡されたタオルで拭きながら、冷蔵庫を漁る男性教諭の後ろ姿を見ていた。
自殺未遂をしようとして間違いなく怒られると覚悟していたのだが、教室に入ってからも、彼からはそれについて何も言われることもなく、飛び降りようとした理由についても何も尋ねてこなかった。
「あった。ソーダ味とみかん味、どっちが好き?」
「あっ、ソーダで…」
皆には内緒だからと優しくアイスキャンディーを手渡してくれた時に触れた彼の手は、美玖の手よりもはるかに大きかった。
「先生」
この人は何を考えているのだろう。腹の内が知りたくなった彼女は、思い切って自ら、その話題を口にすることにした。
「どうして怒らないんですか」
「何が?」
「私が屋上に立っていたこと。あんな危ない場所にいて、飛び降りようとしていたのに」
彼女の質問に教師はみかん味のアイスキャンディーを片手に、少し黙り込んでいた。どう返してあげるのが正しいのか悩んでいるのだろう。手間のかかる生徒だと思われているのではと、美玖は少し心配に思っていた。
窓からは先ほどまで美玖が立っていた屋上がよく見えている。教師は自分のデスクに腰を下ろすと、そこを見つめながら、考えがまとまったのか、ようやくその口を開いた。
「あそこ、景色がいいよね」
「えっ…?」
「山の上にそびえたつこの校舎の屋上からだと、海に面してる下の港町の端から端まで見渡すことが出来て綺麗だから、僕もよくあそこに行くんです」
「そうなんですか…」
期待していたものとは全く異なる回答に少し落胆した美玖は、アイスを早く食べ終わって、この教室を立ち去ろうと考えていた。
すると教師は屋上から彼女の方へと視線を変えると、彼女の様子を見て、徐に立ち上がり、ガラス戸で閉ざされていた棚の中から、一冊の本を取り出して、それを彼女の前に置いた。
「なんですか、これ」
「もうすぐ夏休みですよね。僕からの"宿題"です」
"宿題"と称されて渡された本には『星の誕生と最期』と表紙には書かれてあった。
アイスも食べ終わり身体もある程度乾くと、美玖は理科準備室を後にした。
失礼しましたとドアをゆっくり閉め、ふと見上げると、そこには教師の名前が記されており、『須崎 健』と記されてあった。
理科の教科担任である彼とは、理科の授業で度々顔を合わせることはあったが、二年のクラス担当も持っている彼と三年になった美玖とでは、授業で教わるとき以外の接点がない。
だからこそ理由に深追いをしようとしては来なかったのかと、彼の距離感の取り方を不思議に思った。
須崎から手渡された本を両手に抱え、美玖は教室へと歩き出す。
変わった人だ。これから死のうとしていた人間にアイスを食べないかと声をかけ、挙句の果てには全く意味の分からない宿題まで出されてしまった。
だがそのおかげもあってか、屋上から飛び立ちたいという気持ちはすっかり消えてしまっていたし、外を見ると、あれだけ降っていた雨も気づけば雲間から晴れ間が見え始めていた。