04
それから二ヶ月が経った。あれから毎日同じ時間の電車に通うなんて事はせず、篠田はいつも通りの生活にも戻っていた。
始業チャイムギリギリに到着する電車に乗り、いつもの特等席に立ち、ヘッドホンで周りから音を断ち切って、外を眺める。
彼にとって何も変わりのない日々。しかし毎日背負うそのリュックの中身は、あの日から変わってはいなかった。
終業式が終わり、渋谷で集まりがあるからと緒方に誘われ、二人は渋谷駅に来ていた。
「あー、やっと、学校終わったな」
「式の間、ずっと寝てたくせに」
「あんなつまんない話聞くぐらいなら、寝てた方がマシでしょ。ってか、なんだったら学校サボればよかったな」
緒方がケラケラ笑うその横で、久しぶりに来た渋谷の街を篠田は歩きながら見ていた。
相変わらずこの場所は音が煩い。ヘッドホンをして遮りたかったが、今日は隣に緒方がいるため、グッと我慢をした。
「あっ、そうだ。俺、ちょっと金おろしてくるわ」
「おう」
ハチ公口に出てきたあたりで、緒方がコンビニに向かって走っていった。篠田は彼の帰りを大看板前で待つことにし、スマホを触り出した。
「いった、どこ見て歩いてんだよ」
ふと、そんな会話が少し遠くで聞こえた気がした。だがそのような事はこの街ではよくあること。篠田は全く気にも留めていなかった。
「おい、ぶつかったんだから、ちゃんと謝んないと」
「黙ったままじゃダメでしょ?」
どうやら会話はハチ公付近で行われているらしい。少しガタイのいい男二人が、制服姿の女の子一人に詰め寄っているようだった。
「礼儀っていうの、お兄さんたちが教えてあげようか」
男の一人が女の子の肩を抱いて、どこかへ連れ出そうとしている。
全く気にもしていなかったが、彼らが交差点前に来たとき、ふと女の子の顔が目に止まった。それに気付いた瞬間、篠田の足はすでに彼らの元へ歩き出していた。
篠田は女の子の肩を抱く男の手を掴むと、その肩を離すように、後ろに捻り返した。
「いててて!なんだテメエ!」
「女の子嫌がってんでしょ。そんな雑なナンパ、今時誰もしないよ」
「なんだよお前。お前に関係ないだろ!」
「関係ないけど、見ていて気分が悪いんだよ。とっとと失せろ」
彼らの険悪な雰囲気に流石に交差点を行き交う人々も、彼らを避けるようにして歩いていった。
助けられた女の子は子犬のように怯えた顔で、彼らを見ている。
交差点前にある交番から二人ほど警官が出てきたのも見えた。
「ここで喚いてると、周りの目もあるし、いい加減諦めたら?」
「テメエ、覚えとけよ」
彼らも警官たちに気が付いたのか、手を振り払い、あっさりと引いてくれたが、篠田に思いきり睨みつけてから、その場を立ち去った。
取り残された異なる制服姿の男女二人は、少し気まずそうにしていた。
「もう、大丈夫だから。この街、ああいう人たち多いから、気をつけて」
篠田は彼女を安心させようとそう言ったが、少女はまだ不安そうな顔を続けていた。
「あっ、そういえば、これ」
篠田は背負っていたリュックを前に向けると、そのファスナーを開け、中から例のぬいぐるみを取り出した。
「前に電車の中で落としてたの見つけてさ、次会った時に返そうって思ってたんだ」
女の子の手にそれを返すと、彼女は目を大きく開かせて、そのぬいぐるみを大事そうに抱えた。
「そんな大事な物だったら、持ち主のところに戻ってよかったよ。それじゃあ」
目的が果たせたことで満足した篠田は、その場を立ち去ろうとした。しかし振り返ったとき、彼の腕の裾をぐっと掴まれた感触があり、彼は後ろを振り向いた。
「どうした?」
彼の問いに彼女は答えない。だが、真っ直ぐにこちらを見つめてきている。
どういう状況かわからず篠田は戸惑っていると、女の子はぬいぐるみを左手に持ち、右手をその甲に当てて上にあげた。
彼女が何をしてきたのか、全くわからず戸惑っていると、今度はスマホを取り出し、何やら文字を即座に打ち込み、その画面を見せてきた。
[助けてくれて、私の宝物まで守ってくれていて、ありがとう]
その文面を見たとき、彼はようやくこの状況を理解した。目の前にあるこの少女は、自分の口から言葉を発することができないのだと。
それが二人の本当の出会いの始まりだった。