第二章「彼らは」
06

 <現在>

 蝉の声が少しずつ小さくなりだし、蒸し暑かった暑さも、少しずつ秋の涼しさと入れ替わり出した頃。
 その日も彼女の姿は、義母のラブレターの翻訳を手伝いに、立川の家へと来ていた。というのはあくまでも建前で、最近の目的としては、鳴海への手紙を誰にも邪魔されることなく、静かに書くために、この家を使わせてもらっていた。
 そよ風がちりんと縁側の風鈴を鳴らしたのと同時に、ブーっと古いタイプのインターホンが家中に鳴り響いた。
 家主の立川が出るのかと、一度辺りを見渡したが、本人の姿は見当たらない。居留守を使うのも悪いので、代わりに彼女が立ち上がり、戸口へと向かった。

「はい、どちらさまです…か…」

 軽快なトーンで話しながらドアを開けた彼女の言葉は、その向こう側に立っていた人物の姿を見て、徐々に小さくすぼんでいった。

「やあ、久しぶり」

 鳴海の姿を確認した彼女は、見るや否や、すぐにそのドアをバタンと強く閉めた。
 自分の見間違いだろうか。恐る恐るのぞき穴をゆっくりと覗いてみるも、少しよれよれのしわがかかったジャケットを着て、不思議そうに家を見る彼の姿が、紛れもなくそこにはあった。
 どうして彼がここに。不思議で仕方がなかったが、一度顔を見せてしまった以上、見なかったことにするわけにもいかないと踏ん切りをつけた彼女は、ふぅと息を整え、ゆっくりとそのドアを開けた。

「どうして…、ここに…?」
「えっ、だって、君から届いた手紙の封筒にここの住所が書いてあったから」

 そう言って彼が見せてくれた封筒は、先日彼女が便箋が足りないと立川に借りた際に使われていた封筒であった。
 どうやらその裏面には立川がもともと住所を記載していたらしく、彼はそれをもとに、わざわざ東京の離れた地から、山梨の住宅地へとやってきたのだった。

「だからっていきなり会いに来られるのは…」
「ごめん。こうでもしないと会って話ができないと思って。ここ、君の家…?」
「あっ、えっと、"知り合い"の知り合いの家です。ちょっと使わせてもらってて」
「そうなんだ」

 何気なく会話しているの中で、彼女はふと自分の状況に気が付いた。
 目の前に彼がいるというにもかかわらず、自分は全く何の化粧もしていない、ただのすっぴん姿であった。
 その事を思い出した彼女は、急に顔を伏しがちにし、彼に少し待っててもらえないかと伝え、再びドアを閉めた。
 
 再びバタンと閉められたドアの前で、鳴海は悪いことをしてしまったかなと少し反省をしていたのであった。

 バタバタと家の中に戻ると、彼女は自分のカバンを急ぐように開け、その中を漁りだした。
 すると今までどこにいたのか、立川がフラっと彼女のいる部屋に現れた。

「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「あっ…、来ちゃったんです…!」
「誰が?」
「"初恋の人"…!その人が来ちゃったんですよ!それなのに私、化粧もしてないし…。あぁ、もう、こういう日に限って、何にも持ってきてない…!」

 ちょっと手紙を書いて、買い物をしてから、家に帰るつもりだったため、彼女のカバンには必要最低限のものしか入っていなかった。
 するとそんな彼女に立川は、何かを思い出したかのように部屋を離れ、小タンスの中の物を探しに行った。

「そういえば、以前、小笠原さんが口紅を忘れてた時の物が、どこかにあったはずですよ」
「えっ、お義母さんの…!?」

 藁にもすがる気持ちで、彼女は立川の後を追いかけた。

■筆者メッセージ
あれ、夏ってどこに行った…?

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黒瀬リュウ ( 2020/09/15(火) 23:07 )