04
それからしばらくして、彼女が鳴海への手紙が書いたのは、実に数週間ぶりのことだった。
―拝啓、鳴海一樹様。お久しぶりの手紙になります。実は最近、愛知から義母が来ていたのですが、出先で腰を痛めてしまい、バタバタとして、中々お手紙を書けるような状況じゃありませんでした。
今はようやくひと段落つき、落ち着くことができたので、またたまりにたまった鬱憤をここに書き記させてください。
いまやただの日ごろの愚痴を溢すだけになってしまった手紙を書き進めていた彼女は、ふと何かを思いつき、その筆先を止めた。
「"先生"、先生は初恋の方っていらっしゃいましたか…?」
『先生』と呼びかけられたその男は、腰かけていた一人用のソファーからゆっくりと立ち上がると、彼女のもとへとやってきた。
彼は先日義母が入っていった小さな平屋の持ち主で、義母が腰を痛めた後、彼女は改めて事情を確かめにやってきたのだった。
彼は立川という男で、20年ほど前まで中学の教員をしていたらしい。義母は先日、中学校の同窓会でこの男と再会した際に、海外に住むボーイフレンドからの手紙の返事の翻訳を手伝ってもらうために、彼女はわざわざここまで足を運んでいたらしいのだ。
病床で休む義母から彼へ手紙を渡してきてほしいと頼まれ、彼女は立川の自宅へとやってきていた。
しかし先日の騒動で、義母の介抱をしようとした際に、足を滑らせてしまい、立川自身も腕の骨が僅かに欠けてしまっていた。
義母が書いた英文を添削しなくてはならないという立川に代わり、彼女自身が彼の"腕"となって、義母の英文を添削している。
「どうしたんですか、急に」
「あっ、いや、お義母さんの手紙を書いていたら、なんとなく思い出しちゃいまして。先生は初恋の想い出とか覚えてますか?」
立川はギブスをした腕を撫でながら、作業部屋で添削をしていた彼女のそばにやってくると、今度はうーんと顎を指先でつまみ出した。
「私の場合、家内が想い出ですからね。覚えてるも何も、ついこないだの出来事ですよ」
「えっ、奥さんが初恋の相手だったんですか!?」
「お恥ずかしい話、私が学生だった頃は、恋愛に想いを馳せる暇がなかったのですよ。あの頃は"お国のため"にと、皆が必死になって生きていましたからね」
立川は作業部屋の机に置かれた写真立てを手に取ると、それを寂しそうに見つめていた。
「奥さんとはどうやって知り合われたんですか?」
「幼馴染です。戦地から帰ってきた私を唯一、迎えてくれたのが彼女でした」
「へぇ…」
「ごめんなさい、大したお話じゃなかったですね」
「いえ、すごく素敵だと思います!」
立川はふふっと笑うと、写真立てをもとの場所に戻した。
「小笠原さんはどういう想い出があるんですか?」
「私ですか…?」
聞いたからには自分にも返ってくるだろうと覚悟はしていたが、いざ話すとなると言葉が詰まった。
「私こそ大したことないですよ…」
「そうですかね。"初恋"ほど人の心に深く刻み込まれるような想い出は、なかなかないと思いますよ?」
立川の言葉にしばらく考えた彼女は、照れを隠すように笑って見せると、便箋を貸してほしいと彼に頼んだ。