9.引導
「犯してやるぞ、若月!覚悟しろ!」
と、鮫島が声を上げた。
…と、その時。
突然、地下室に銃声が轟いた。
「全員、動くなっ!」
誰かの怒鳴り声、そして階段を駆け降りてくる大勢の足音。
「ちィッ!なぜ、こいつらがここに…!?」
鮫島は、掴んでいた若月の腰を放り投げるように放し、狼狽したような声を上げた。
「鮫島、動くな!」
部屋をつんざく一人の女の声。
(れ、玲香…?玲香の声…いや、まさか…)
若月は、重く下りる瞼を必死に上げ、声がした方を見た。
見慣れた長髪の女が、凛とした顔で拳銃を構えている。
(玲香…来てくれたの…?)
同時に、身体をコートで包まれた。
その手は、同じく盟友の中田花奈だった。
「若月、もう大丈夫だよ!」
「花奈…」
中田も、若月の身体を覆い隠すようにして、銃口を鮫島に向けた。
その鮫島の背後では下っ端たちが慌てている。
「後ろのヤツらも動かないで!」
秋元真夏が声を上げる。
さらに、その背後には、井上小百合、星野みなみ、堀未央奈、北野日奈子、向井葉月、中村麗乃、久保史緒里ら、精鋭たちが揃い踏みしていた。
それでも逃げ出そうとする男たちに対し、
「動くなっつってんだろ、テメーらぁ!」
と、荒ぶる伊藤純奈が天井に向けて威嚇射撃をした。
男たちの足が止まる。
そして静寂、それを切り裂いたのは玲香だ。
「鮫島。これでもうお前も終わり。観念しなさい」
「チッ…俺としたことが」
「動かないで!…それ以上、動いたら、容赦なく射殺するわよ」
面と向かって「射殺する」と言ったのは人生で初めてだ。
それだけ、この男には怒りと憎しみがあった。
視界の隅でうずくまる若月の姿を見たら尚更だ。
その剣幕に押されたか、鮫島は苦笑して、
「やれやれ…まさか、ここに踏み込んでくるとは誤算だったなぁ」
と言いながら、内ポケットに手をやった。
(…!!)
さては拳銃でも取り出すのではないか、そうだとしたら黒い銃身が見えた瞬間に先手を取って撃たなければ…と、玲香たちは一斉に身構えた。が、鮫島が取り出したのは煙草の箱だった。
一本くわえて火をつけ、燻らしながら、
「なぜ、ここが分かった?」
「お前が一年前のことを逆恨みしているのは、お前の性格を考えればすぐに分かった。となると、最終的なターゲットは若月か私。組織の中にいる私に対し、一般人に戻った若月は無防備で狙いやすい。私を表に引きずり出すエサにするためにも、まず若月を狙う筈だと踏んでいた…」
そう考えた玲香は、若月に内緒で見張りをつけた。
阪口珠美、育成訓練の時から若月のことを公私ともに慕っている若い捜査官にその大役を任せた。
案の定、鮫島は、若月に接触した。
玲香も、鮫島が現れたと、すぐに珠美から報告を受けた。
しかし、玲香は、その時点ではまだゴーサインを出さず、若月が拉致されるのを静観し、それを尾行するように命じた。
苦渋の判断だった。
若月に被害が及ぶのは心苦しかった。が、人質の監禁場所を知るためには、泳がせるしかなかった。
そして珠美が、連中が山間の別荘に入っていったと報告した。
玲香は、前線部隊を形成し、すぐに急行した。
その別荘を監視しつつ、突入に際して必要な邸の間取りを知るため、邸の住所から所有者を割り出し、佐々木琴子と鈴木絢音の二人を向かわせた。
これが意外と時間がかかった。
所有者は鮫島に口止めされていて、態度を硬化させたからだ。
そうこうしてる間に、伊藤理々杏、梅澤美波、山下美月の三人が、順次、車に乗せられ、別荘から運び出されていった。
玲香は、そちらにも捜査官を回し、既にその三人は無事に保護している。
残るは拉致された若月と、唯一、解放されずに人質として残る与田祐希の二人だ。
そんな折、ようやく佐々木と鈴木が図面を入手して戻ってきた。
玲香は、図面を貰うと、すぐさま突入を決めた。
一階の大広間には誰もいなかった。が、二階に向かった樋口日奈と新内眞衣が監禁されていた与田を保護した。
これで捕らわれていた人質は全員救出できたことになる。
あとは若月を助け出し、鮫島に引導を渡すだけと、玲香は、ワインセラーの奥の隠し扉から秘密の地下室へ続く階段を駆け降りた!
「…鮫島。もうここらが潮時よ。潔く投降しなさい」
玲香は引導を渡すように言った。
「投降…か」
鮫島は、短くなった煙草を手に取り、
「あそこの灰皿に捨てたら行くよ」
と言って、部屋の隅にある一斗缶に歩みを進めた。
抵抗する様子はない。
玲香は、ふぅっと息を吐いて、構えていた拳銃を下ろした。
それに続いて、他の捜査員たちも、拳銃を納める。
真夏と中田が、傷ついた若月に肩を貸す。
(これでようやく全てが終わる)
と玲香は思った。…が、その時、ふいに男の一人が、鮫島に向かって、
「何をするんだ!それは灰皿じゃない!」
と叫んだ。
その声にハッとして、玲香たちは一斉に鮫島に目をやる。
その瞬間、一斗缶から突然ボワッと火柱のような炎が吹き上がった。
鮫島がそれを蹴り飛ばして転かすと、流れ出た液体が瞬く間に燃え上がり、一瞬で地下室全体が真っ赤になった。
(ガソリン…!)
立ち込めるニオイに、玲香の顔色が変わる。
「鮫島!お前、何を…!」
「桜井、聞けっ!」
鮫島は声を上げ、
「さっき、若月が言った言葉をそのまま返す。俺を甘く見るなっ!投降しろ…だと?笑わせるな!俺は、お前たちに投降するぐらいなら死を選ぶぞ!」
「貴様っ…!」
「一度ならず二度までも、か。まったく、厄介な女に目をつけられたもんだ。…畜生ッ!ちくしょおおお!」
追い詰められて発狂した鮫島は、次々と新しい一斗缶をぶちまける。
次々と引火し、燃え広がる炎。
「みんな、早く上へ!」
玲香は部下全員に向かって退去命令を出し、さらに、
「真夏!花奈!」
と、近くにいる二人にも、
「二人も、若月を連れて早く上へ!」
「玲香は?」
「アイツを捕まえる」
「バカ!死んじゃうよ!」
中田が、とんでもないという顔で、玲香の身体を引っ張る。
「花奈、離して!アイツはこの手で捕まえないと気が済まないの!」
「ダメっ!行かせない!」
「ここで捕まえないと、また一年前みたいに悔しい思いを…!」
「落ち着いて!玲香っ!!」
その悔しさを共有した若月が、よろけながら二人に割って入り、
「これはもう無理だって。火の回りが早すぎる。行ったら玲香も死んでしまう」
「―――」
「確かに鮫島は憎い。でも、私は玲香に死んでほしくない。だから、ここは諦めて逃げよう」
若月は、つとめて冷静に言った。
我の強い玲香も、若月に言われては、思い直す他なかった。
「どうした?来ないのか?俺を捕まえてみろ!」
炎が中から鮫島の挑発の叫びが聞こえる。が、もはや、その姿すら見えないぐらい地下室が燃えている。
四人は、急いで階段を駆け登り、火の海となった地下室から逃げ出した。