3.狸と狐の化かし合い
部長室から戻った怜奈は、一旦、座る気にもなれず、そのまま、
「賀喜ちゃんと聖来、ちょっと一緒に来て」
と声をかけ、回れ右で本部を出た。
「え…?あっ、は、はいっ…!」
とデスクの上を片付け、慌てて立ち上がる賀喜と、その賀喜に釣られて立ち上がる早川。
二人が小走りにならないと追いつけないぐらい、怜奈は既に先を行っていた。
(何でこの二人なんだろう…?別にウメや久保ちゃんだって空いてるのに)
それが妙にひっかかって、やや不機嫌な怜奈。
そして、今野の言いつけはもう一つ。
「昨日、ぞろぞろと通りを歩いた際に監視がついたそうだな?つまり、その時に車を見られた恐れがあるし、連中が車に敏感になっているかもしれん。警戒されないように電車を使って行ってこい」
部長直々の指示だから聞かないワケにもいかないが、これも妙な話だ。
昨日と違う車で行けばいいだけだし、離れたところに停めて、そこから歩いて行けば済む話だと思うのだが…。
(どうも部長とは考えが合わない…)
と、そんなことを考えたりもしながら、ようやく追いついた賀喜と早川を連れ、地下鉄の駅へ。
ホームへの長い階段を下りながら、これから行う任務を簡単に説明する。
優等生の賀喜は、うんうんと真面目に話を聞き、
「なるほど。要は、相手の出方を見るワケですね?」
と勘が鋭いのに対し、早川は、
「この駅の階段、めっちゃ長くないですかぁ?聖来、いつも思うんですよぉ…しんどいですぅ…」
と、どこか能天気だ。
そんな後輩二人を連れて地下鉄に揺られるうちに、本部を出た時は不機嫌だった怜奈も、ようやく落ち着いて、普段の冷静で頭脳明晰な顔に戻ってきた。
(まぁ、一緒に来てくれるだけ、ありがたいよね。むしろ、この子たちにとって、いい経験になるかもしれない)
とポジティブに考える怜奈。
そして、目的地に到着し、再び長い階段を上って地上へ。
C出口から少し歩き、問題の繁華街の起点に到着。
「私たち、24時間ぶりですよね。この通り」
と相変わらず能天気な早川。
だが、昨日と違って今日は目的地が決まっている。
通りの入り口から歩いて3分。
何の変哲もない雑居ビルだが、チラシに記載されてた所在地は間違いなくここだ。
シャッターが半開きで、開店に向けて準備中のような雰囲気。
三人は互いに目を見合わせ、それぞれ胸ポケットに忍ばせた伸縮警棒を何かあればすぐに抜け出せるよう、向きを揃えた。
そして、先輩の怜奈の、
(行くよ…!)
という目に、頷く賀喜と早川。
「ごめんくださーい」
と身を屈めて半開きのシャッターをくぐり、店内に声をかける怜奈。
すると、奥から男が出てきて、
「何ですか?」
「失礼ですが、あなたは…?マネージャー?」
「そ、そうだけど…急に来て何?君たちこそ誰?」
と明らかに警戒した目を向けられる三人。
怜奈は、黙って身分証を示した。
「…不法就労摘発課?」
「ええ、新たに新設された部署です。風俗街における密入国女性の不法就労を調べています」
と怜奈は、あたかもそんな部署が実在するように喋り、このために急造した精巧なニセの身分証をさっさとしまった。
「不法就労なんて、ウチは何もしてないぜ?」
と怪訝そうな目をするマネージャーに、
「本当ですか?先日、このお店で、十代のタイ人の女の子に相手をしてもらったと証言してる男性がいるんですが?」
「はぁ?ウソだよ、それは。ウチは日本人しか雇ってないから。そんなすぐバレるウソを言ったのはどこのどいつだい?」
「では、確認したいので従業員の名簿をご提示いただきたいのですが」
と言うと、思った通り、
「何でそんなことしなきゃいけないの?令状か何かあんの?」
と食ってかかってくる。
「令状はありません。任意です」
「じゃあ、お断りだね。風俗店にもプライバシーってもんがあるから」
とマネージャーは突っぱねて、
「デタラメだよ、そんな情報は。はい、準備の邪魔だから帰った、帰った」
と手で払う。
この時点では、まだ、どちらとも判断つかない。
怪しいといえば怪しいし、こんなものだといえばこんなものだ。
なので怜奈は、なおも食い下がり、
「店内を見せていただけませんか?」
「だから何でそんなことしなきゃいけないのよ?日本人しか雇ってねぇって!」
徐々に苛立ちを見せるマネージャーだが、こちらも負けじと賀喜が、
「何か見られて困ることでもありますか?」
「いや、ないよ。ウチは健全にやってるから困ることなんてないけどさ」
「じゃあ、見せてくださいよ。調べて何もないと分かればそれで納得して帰りますよ」
と畳み掛ける早川。
「店内を見せていただけますか?」
と、再度、怜奈が頼むと、マネージャーは肩をすくめ、
「…分かったよ。見せればいいんでしょ?見せれば!」
と言って、
「ただし、勝手に散り散りにウロウロされて備品とか壊されたら困るから、店内の案内は俺がする。それでいい?」
「…分かりました」
令状がないため、そこは怜奈も折れるしかない。
「じゃあ、まずはどこから見たいの?」
と投げやりなマネージャーに、
「全てです。順に案内してください」
と言いながら、チラッと胸の内ポケットに手をやり、万が一、この男が振り向き様に襲いかかってきても、すぐに警棒を抜けるように心構えをする。
賀喜、早川も同様だ。
まずは受付の後ろの狭い事務所。
人を隠せても、せいぜい二人だが、デスクの下を覗いても人の気配はない。
次に利用客の待機スペース。…異常なし。
続いて、男性に仕える泡姫たちの控え室。
ズラリと鏡台の並ぶ控え室だが、まだ出勤前とあって、誰も来ておらず、がらんとしている。が、怜奈は、目ざとく、天井に監視カメラを見つけた。
控え室など従業員のプライベート空間そのもの、盗撮や監視は問題になる筈だ。…が、あえて見て見ぬフリをして指摘はしない。
口にしたら警戒されてしまう。
まだ油断させておきたい。
ふと、賀喜が、怜奈にパクパクと口で何か伝えようとしているのに気がついた。
唇を読むと、
(ドア…!部屋のドア…!)
と言っている。
促されて目をやると、なぜか、中からではなく外から施錠をする仕組みの妙な造りになっていた。
普通は鍵をかけるなら中からの筈なのに、なぜ外から…?
答えは一つ、中に閉じ込めておけるように、だ。
(間違いない…!ここが監禁スペースだ…!)
監視カメラ、そして外から施錠できるドア…その不審な二点が、それを物語っている。
怜奈は、賀喜、早川に目配せをしてから、急に、
「昨日は何人の従業員がこの部屋を使いましたか?」
「普段、この部屋には何人ぐらい待機してますか?」
「収納スペースはありますか?」
と矢継ぎ早な質問を浴びせ、マネージャーの気を引く怜奈。
その背後で賀喜が身を盾にし、その隙に早川が、しゃがみ、床に落ちている毛髪を数本、素早く回収する。
マネージャーと話しながらチラチラと目をやる怜奈に、早川が、
(オッケー!)
という意味でウインクをした。
回収した毛髪は、持ち帰ってDNA鑑定に回す。
本部には所属する全捜査官のDNAの情報がある。
これで、もし、ここで採取した髪のDNAが、現在失踪中のメンバー、たとえば中田花奈や樋口日奈などのDNAと一致すれば、この控え室に監禁されていたという動かぬ証拠になる。
早川が立ち上がったのを確認して質問を打ち切る怜奈。
マネージャーは時間稼ぎの質問攻めに辟易したようで、
「まだ見るの?あとはプレイに使ってる部屋が3つあるだけで、見てもしょうがないよ」
「いや、念のため」
と怜奈は、プレイルームも案内させた。
まず1つ目の部屋。…誰もいない。
次に2つ目の部屋。…ここも誰もいない。
それぞれ、既に清掃が終わって開店を待つ状態で、浴槽もベッドもキレイだった。…と、2つ目の部屋を出たところで、
「ね?誰もいないでしょ?もういいですか?」
と急に切り上げようとするマネージャー。
(…?)
その態度に怜奈は、ふと、違和感を感じた。が、口にする前に賀喜と早川が、
「さっき、部屋は3つあるって言いましたよね?」
「あと1つ、見てない部屋がある筈ですよ?何で終わらせようとするんですか?」
「いや、もう、見ても一緒だから。部屋の広さや浴槽の形が少し違うだけで、誰も隠れてませんって」
「いいから見せてください」
「ほら、早く!」
と、すっかり気が大きくなって詰問する二人。
「わ、分かったよ。ったく…」
と舌打ちしながら三番目の部屋へ。
「はい、ここで最後」
と不貞腐れながらドアを開けるマネージャー。
流れのまま自然に部屋に入る賀喜、早川だが、怜奈は、ふと、
(…今まで、私たちから先に入れてたっけ…?)
と思った。
思い直してみる。
事務室、待機スペース、控え室、1つ目の部屋、2つ目の部屋…。
…いや、どれも、マネージャーから先に入っていた筈だ。
(…嫌な予感!危ない!)
と反射的に思って、
「…二人とも、ちょっと待って!」
と言った時に、突然、それまでおとなしかったマネージャーが、
(お前も入れ!)
と言わんばかりに怜奈の背中を強引に押した。
まんまと隙をつかれ、押し込まれて転倒する怜奈。
その瞬間、
バタンっ!
と勢いよくドアが閉められた。
「あっ!こらっ…!」
「何をするの!?」
慌ててドアを開こうとノブに手を伸ばす二人だが、開かない。
耳をすますと、バタバタと廊下に人が駆けつけた足音がする。
「くっ…!」
「しまった…!」
焦る後輩二人。
「落ち着いて!」
起き上がった怜奈も加わってドアを開こうとするが、それ以上の馬鹿力…おそらく外からは五、六人がドアを開けさせまいと引っ張っている様子だ。
「ぶち破ろう!」
と怜奈が提案し、
「せーのっ!」
ドンッ…!!
「せーのっ!」
ドンッ…!!
と三人で団子になって体当たりをするも、破れない。
次第に汗が噴き出てくる。
体当たりによる運動の汗と、冷や汗、脂汗…。
びくともしなくても諦めずに何度も続けていた三人だが、そんな中、急に、早川がへたりこんでしまった。
てっきり諦めたのかと思って、思わず、
「バカ!何やってんの!」
と先輩らしく叱りつけた怜奈だが、違った。
「あ、あれ…?」
自分も急に視界が霞み、脳が揺れて力なく膝をついてしまった。
体当たりに夢中で気付かなかったが、いつの間にか部屋中に甘いニオイが充満している。
(エ、エーテルだ…!)
と、さすがは秀才、すぐに気付くも、既にたっぷりと吸い込んでしまって意識が朦朧、もう手足に力も入らない。
「か、賀喜…ちゃ…ん…す、吸っちゃ…ダ…メ…」
と、どうにか言葉を絞り出すも、まったく声が出ていない。
「怜奈さん…!聖来…!」
と、最後に一人残った賀喜も、ぐにゃっと歪む視界の中で、再度、渾身の体当たりを仕掛けるも全く歯が立たず、虚しく、ボンッ…と跳ね返され、そのまま踏ん張れずに転倒した。
誘い込んだ獲物を逃がさない無情のドアの前で折り重なって突っ伏した三人。
意識が飛んでいく…もう起き上がれない…。
数分後。
徹底的な換気が行われた後で、ようやくドアが開いた。
その傍で気絶し、横たわる三人を確認し、
「へへへ。ざまぁみやがれ!」
と勝ち誇るマネージャーと、その背後で同じようにクスクス笑う西野七瀬、齋藤飛鳥に寺田蘭世、与田祐希に岩本蓮加も…!
計画通り、三人を部屋に押し込むまで廊下の突き当たりに造られた隠し扉の中で潜んでいた彼女たち。
五人の手は、どれも、全力でドアを引っ張り続けたせいで真っ赤っ赤だが、マネージャーは構わず、段ボールを放り投げると、
「よし、コイツらを一人ずつ、この段ボールに詰めろ。まもなく表に車が来る手筈になっている。車が来たら、荷台に素早く段ボールを積み込むんだ」
「はいっ!」
と声を揃え、早速、取りかかる従順な泡姫たち…。
こうして三人が梱包された段ボール。
宛先は「凌辱」と刻まれ、それぞれ“人生二度目の地獄”へ向けて、静かに発送されていった…。
(つづく)