2.愛のカタチ
和也のマンションに着いた眞衣。
ここに来るまでの電車の中で、先ほどのそっけない返事について、いろいろ考えてしまった。
(怒ってるのかな…?)
今まで仕事にかまけて放置していたくせに急に会いたいと誘うのは自分勝手すぎたのか?
確かに眞衣の都合だが、しかし、それで怒るとは考えにくい。
(もしかして━)
眞衣の表情が固くなったのは、もしや、別れを切り出されるかもしれないと思ったからだ。
やはり、これだけの期間、ほったらかしにしていたら愛想を尽かされるということか。
(嫌だ…!別れたくないよ…!)
そんなことを思うと急に足取りが重くなってきた。…が、もう彼のマンションは目の前。
逃げるワケにもいかず、ドキドキしながらインターホンを鳴らす。
「はい」
「あ、私…」
と眞衣が言うと、ガサガサと音がして、ドアが開いた。
「ひ、久しぶり…」
まだ表情の固い眞衣をよそに、
「入って」
と招き入れ、ドアを閉める和也。
「外、寒かった?」
「ううん、そんなに」
「そっか」
和也は頷いて、廊下を進みながら、
「とりあえずコーヒーでいい?」
「う、うん…」
「…どうかした?」
「ううん、何でもない…」
和也の口から出る言葉の一つ一つに怯える眞衣。
その不安を必死に押し殺し、ゆっくりとリビングへと足を進めた。
部屋に来るのは二ヶ月ぶり。
調度品などを見れば懐かしい反面、いくつか見たことのない家電が増えていたりもして、二ヶ月という期間の長さを改めて実感した。
なんとなく自分のポジションに迷って右往左往してると、和也はクスッと笑って、
「なにウロウロしてんの?今、淹れたてを持っていくから座りなよ」
と言った。
その声のトーンで眞衣は少し安心した。
(とりあえず、フラれるってことはなさそうかな…?)
だが、依然ぎくしゃくはする。
ソファーに腰かけて待っていると、
「はい、コーヒー」
と和也は運んできて、隣に座る。
眞衣は、こうして会うのは二ヶ月ぶりなので、何を話していいか分からず、まずは月並みに、
「元気してた?」
「うん。なかなか会えなくて寂しかったけどね」
(私も寂しかった…!)
と言いたかったが、何だか妙に照れてしまい、言えなかった。
二ヶ月のブランクのせいなのか、その後も、
「最近、どこか出かけた?」
とか、
「昨日、なに食べた?」
とか、ぎこちない端的な会話が続く。
空気を変えようと、眞衣は、
「と、とりあえず来たけど、ちょうどいい時間だし、どこか行く?何が食べたい?」
と聞くが、和也は面倒くさそうに、
「あまり外食気分じゃないなぁ…」
「そっか…じゃあ、ピザでも取る?」
「んー…ピザねぇ…」
これも渋る和也。
「も、もしかして、あまりお腹すいてない感じ…?」
と聞く眞衣。
すると、次の瞬間、ふいに和也の唇が、眞衣の口を覆った。
「んっ…!」
いきなりのキスに戸惑う眞衣だが、和也は積極的に舌で唇を割ってくる。
(ちょっ…!い、いきなり…!?)
ほんのりコーヒーが沁みた舌のノックでしつこく促され、仕方なく唇を緩めて舌を絡める眞衣。
和也は、そのまま眞衣をソファーに押し倒し、服の上から胸を揉んだ。
脚の長いスレンダーな体型のわりに、けっこうボリュームがある眞衣の胸が、鷲掴みにされる。
「んっ…んっ…」
キスに応じつつ、眞衣の中で、じわじわと湧き上がる不信感。
それに気づくこともなく、和也は夢中でキスと前戯を続ける…。
そして…。
「…嫌っ!やめてっ!」
唐突に声を上げ、顔を背けるようにして舌を遠ざける眞衣。
「眞衣…?」
あまりの形相に、黙って胸を揉む手を離す和也。
眞衣は、戸惑う和也を睨みつけて、
「何で…?何でいきなりなの!?私たち、二ヶ月ぶりなんだよ!?」
「そ、そうだけど…」
「久しぶりに会うんだから、もっとあるじゃん!確かにほったらかしにした私が悪いかもしれない…でも、私だって寂しかったんだよ?今日、久々に会えて、前みたいに楽しくお喋りしたりしたかった!仲良く食事だってしたかった!それなのに、何で、会っていきなり、まず、それなの?他にないの!?」
「━━━」
うっすら涙を浮かべる眞衣。
二ヶ月ぶりの再会…眞衣が思っていたのは、こんな安くて短絡的な愛ではない。
お互い、耐え忍んだこの二ヶ月の距離を縮める方法は、他にいくらでもある筈だ。
「サイテーだよ…和也…!」
会ってすぐ、こういうことがしたいから部屋に呼んだのかという失望が眞衣を包む。
「ご、ごめん…」
と、ぼそっと呟く和也だが、眞衣は、
「もういい…帰る…!」
と言って、乱れた服を直し、立ち上がる。
「ま、眞衣…!」
と呼ぶ和也を無視して、眞衣は部屋を後にした。
……
翌朝。
出勤すると、先に来ていた佐藤楓が、
「あ、新内さん!おはようございます!」
と元気に挨拶をしてくれた。が、当の眞衣は、
「おはよう…」
と返すのみ。
そのまま充血した目をしばたいて、自分のデスクにつく。
しばらくすると、次はみり愛が寄ってきて、
「ねぇ、どうだった?久しぶりのデートは」
と聞いた。
眞衣は暗い目で、
「別に…」
とだけ返し、そそくさと自分の仕事を始める。
きょとんとするみり愛。
さらに、次は真夏が、
「あ、眞衣。おはよう」
「おはようございます…」
「今日、別にお昼からでもよかったのに」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございました」
「それはいいけど、どうだった?少しは息抜きになった?」
微笑みかける真夏に対し、表情を曇らせる眞衣。
真夏もきょとんとして、
「…どうしたの?元気ないじゃん」
「…え?い、いや…別に普通ですけど…」
上司の真夏に対しても、どこかそっけない。
まるで、少し一人にしてくれというような態度。
同じように首を傾げる真夏と目が合ったみり愛、そして楓。
誰からともなく、
(ちょっと集合…)
という目をして次々と部屋を出て、廊下で再集合してもなお声をひそめながら、
「何かあったのかな?何か聞いてる?」
「いえ、何も…」
「眼が赤かったですね」
「昨日あまり寝てないのかも…」
「彼氏と喧嘩でもしたんですかねぇ?」
「久々に会ったのに?」
「でも、久々だから…ってことも考えられますよ」
「なるほど。確かに…」
と話し合う。
その結果、三人の出した結論は、
「少し、そっとしておこうか…」
だった。
仏頂面で仕事を続ける眞衣だが、邪念があるせいか、はかどらない。
それに、時間が経つにつれ、だんだん後悔もしてきた。
(ちょっと言いすぎたかな…)
つい、その場の怒りに任せて、罵倒し、部屋を飛び出して帰ってしまったが、久々の再会ですることではなかったかもしれない。
長らく待たせていたのは自分。
強引なアプローチだったとはいえ、それぐらい和也も会えない期間が寂しかったのかもしれない。
(どうしよう…)
後悔が強くなる。が、変な意地も出てきてしまい、自分から謝るには気が引ける。
デスクの上に置いたケータイに何度も手を伸ばそうとしては躊躇し、引っ込めてしまう。
(もう、フラれるのは確定かな…)
そうだとしたら悲しいが、昨日の自分の振る舞いなら、愛想を尽かされても文句は言えない。
その後も、チラチラとケータイに目をやる眞衣。
せめて向こうから連絡が来たら、話の流れで謝ることも出来るのだが…。
そう思いながらデスクで仕事を続ける眞衣。
目が疲れ、長い腕を天に掲げて伸びをした時、ケータイが鳴った。
(…!)
反射的に手を伸ばし、画面を見る眞衣。
<和也>
と出ている。
(来た…!)
しかも電話だ。
用件が雑談の筈はない。
謝罪の電話か、それとも別れの電話か…。
(と、とりあえず、どっちにしても、まず、昨日のことは謝らなきゃ…!)
幸い、真夏もみり愛も楓も、ちょうど今、席を外している。
眞衣は、一度、深呼吸をして、
「…もしもし?」
と電話に出た。
「……」
「和也…?ねぇ、やっぱり怒ってる…?」
と切り出そうとした眞衣だが、
「新内眞衣…だな?」
と耳に聞こえてきた声にハッとした。
(…違う!和也の声じゃない…!)
とっさに直感した眞衣は、怪訝そうな目になって、
「もしもし?ねぇ、誰?」
と問いかけた。
相手は少し間を置いてから、
「柴崎…と名乗れば分かってもらえるかな?」
(柴崎…!)
怪訝な目がキッとした目に変わる。
柴崎は、低い声で、
「いいか、よく聞くんだ。この電話の主である君の彼氏を預かっている」
(…!!)
「愛する恋人であり、なおかつ君は捜査官。すぐに助けに来るべきではないかね?」
動揺し、目を見開く眞衣。
さらに慌てたのは、このタイミングで真夏が部屋に戻ってきたからだ。
(どうしよう…真夏さんに怪しまれる…!)
という危惧と同時に、
(知られるワケにはいかない…!)
と、どこか後ろめたいものを感じた。
眠気覚ましにコーヒーを淹れようとしている真夏の様子を横目で窺っていると、電話口から、
「…聞こえたのかね?」
(…!)
「…え、ええ…」
「もし、まわりに誰かいるなら、適当に相槌を打って聞きたまえ」
と前置きをして、
「彼氏を無事に返してほしければ、今夜19時、品川にあるRホテルに来てもらおう」
「…はい」
「くれぐれも君一人で来ることだ」
「えぇ、分かってます」
「もし仲間を連れてきたり、妙な真似をしたら、明日の朝刊に君の彼氏が載ることになる。東京湾を漂う身元不明の変死体としてだ」
「…了解です」
「では、今夜、楽しみに待っているよ」
と柴崎は含み笑いをして電話を切った。
「━━━」
(な、なんてことなの…!)
和也の携帯電話からの着信だから、ヤツらが和也を人質にしたというのは、どうやら事実に違いない。
となると、拉致されたのは、ゆうべ、眞衣が怒って部屋を飛び出した後ということになる。
(あのまま、一緒に朝まで過ごしていれば…!)
飛び出し、帰ってしまったことに後悔が募る。
(ど、どうする…?)
相談は出来ない。
相談すれば、真夏は対策を打ってくれるだろうが、そうすれば和也の命が危ない。
たとえケンカ中の彼氏でも見殺しには出来ない。
捜査官としてはもちろん、眞衣自身としても、だ。
眞衣は、ちらっと時計を見た。
(19時に品川のRホテル…)
上手く抜け出し、向かわなければならない。
眞衣は、少し考えた末、真夏に体調不良を訴え、早退を希望した。
幸い、思い詰めた顔が真実味を帯びたらしく、真夏は苦笑して、
「ウソから出た誠になっちゃったね」
「すいません…」
「分かった。幸い、今は相手方も大きな動きは見せていない。今のうちに早く帰って休んで」
「━━━」
良心が痛む眞衣。
ウソを信じて優しくしてくれる真夏に対してももそうだし、今まさに相手が動きを見せていることを言えない後ろめたさもある。
「申し訳ないです…」
と、いろんな意味の言葉を絞り出し、眞衣は静かに部屋を出た━。