田村真佑のその後… (中編)
「つ、冷てぇっ…!」
「ほら、じっとしてよっ!子供じゃないんだから!冷やさないと腫れが引かないでしょ!?」
と、氷を包んだタオルを痛々しく腫れた徹也の頬に押し当てる真佑。
「だ、大丈夫だよ、これぐらい…」
と徹也は言うが、心配性の真佑は、
「後から痛くなってくるかもしれないでしょ!ほら、次は消毒!」
「え、まだやるの?」
「当たり前でしょ!何でそんな能天気なの!?」
と、子供を叱るように言って、消毒液を染ませた脱脂綿で細かな擦り傷を順になぞっていく。
「ヒ、ヒリヒリするよぉ…」
「我慢しなさい!」
「そ、そんなことよりさ…」
チラチラと時計を気にする徹也。
招かれた真佑の部屋、時刻は21時過ぎ。
突発的な流れとはいえ、女性の部屋に呼ばれた身としては、いろいろ考える時間だ。
「ま、真佑ちゃん…僕、そろそろ…」
「なに言ってんの!ほら、そのシャツも脱いで!」
「え?ぬ、脱ぐの?」
「当たり前でしょ!鼻血で血まみれじゃない!」
と半ば無理やり脱がせては、そのシャツを広げて眺め、
「ん〜…これは落ちないかもしれないなぁ…ひとまず洗濯だけしてみよっか…」
「べ、別にいいよ!帰ったら捨てるからさ…!」
と、もじもじ裸を隠す徹也には聞く耳を貸さず、クローゼットを漁り、
「んー…こんなのしかないけど、とりあえずこれ着といて!」
と、自分が着ると裾が膝までくるLLサイズの部屋着のシャツを放り投げた。
「……」
こっ恥ずかしそうにそのシャツを拾って着る徹也。
貧相な身体の徹也でも少し大きいぐらいだが、仮の部屋着としては充分だ。
洗面所に消えた真佑は、何やら、ピッ、ピッ…と設定をいじる音を立てながら、
「完全には落ちないと思うけど、ひとまず洗濯機かけてみるからー!」
と声を上げた。
音を立てて回り始める洗濯機。
洗面所のドアを閉めると少しは静かになった。
そして真佑はリビングに戻ってくると、急に、
「…ねぇ、ちょっと向こう向いてて」
「え?な、何で?」
「いいから向こう向いて!着替えるから!」
と徹也を壁に向かせる真佑。
「ねぇ?分かってるよね?絶っっっ対に振り向かないでよ?もし振り向いたら、ただじゃおかないからねっ!これ、フリじゃないからねっ!?」
「わ、分かってるよ…」
と、渋々、従う徹也。
(そ、そんなに言うなら、あっちの洗面所でドア閉めて着替えてくればいいのに…!)
と至極まっとうな反論が頭によぎるも、言ったらまた怒られそうなのでやめておく。
言われた通り、白い壁とにらめっこの徹也。
呆れてはいたものの、いざ背後からボタンを外す音、衣擦れの音が聞こえてくると、徹也の方も妙にドキドキしてきた。
(も、もしかして、今、裸なのか…?ま、真佑ちゃんの裸…?)
幼少期の裸なら見たことがあるが、こんな成長した…大人になった真佑の裸は知らない、当たり前だ。
(み、見てやろうか…!)
もし、今、振り返ったら、どうなるだろうか?
あの可愛い声で「もぉっ!見ないでって言ったじゃん!」と叱られるぐらいで済むだろうか?
いや、気の強い真佑のことだから、再び鼻血が噴き出すぐらい殴られ、半殺しにされて廊下に放り出されるかもしれない。
(ど、どうしよ…どうしよ…)
見るか見まいか…一つ上の幼馴染に抱く不意の下心と妙なドキドキ。
だが、やはり徹也にそんな勇気はなかった。
結局、躊躇している間に、
「…はい、もういいよ」
と言われ、早くも後悔しながら振り返る徹也。
裸を拝むチャンスは逃した。…だが、それでも顔を上げた瞬間、ルームウェア姿の真佑に徹也は目を奪われた。
モフモフした生地のガードの甘いウェアに、いかにも一人暮らしの女の部屋着っぽい悩殺ホットパンツ。…正直、どストライクだ。
徹也にとって、彼女に着てほしい理想の部屋着が、まさに今の真佑だった。
(か、可愛い…♪)
思わず見とれてしまう徹也。
あまりに見すぎて、
「…ちょ、ちょっと!どこ見てんのよ、テッちゃんのエッチ!」
と白くてむっちりした太ももを手の平で隠されてしまった。
徹也も、
「ち、違うよ…べ、別に見てないよ…」
と誤魔化すのが精一杯だ。
「へ、変な気おこさないでよね…」
とだけ言って、キッチンに向かい、冷蔵庫を開ける真佑。
「洗濯機が止まるまで時間あるからさー、軽く飲み直そうよ。テッちゃん、なに飲む?ビールでいい?」
「え…いや、あの…」
勝手に飲み直す方向で話を進める真佑に対し、思った以上に長居することが確定の空気に戸惑う徹也。
だが、当の真佑は意に介する様子もなく、缶ビールを二本持って戻ってきて、
「ほら、改めて乾杯しよ?」
と、缶を突きつけてくる。
「う、うん…」
さっきのこともあるから目のやり場に困りつつ、勢いに押され、缶と缶を当てて乾杯する徹也。
真佑は、自分の部屋ということで、さっきのレストランで飲んでた時よりも数段リラックスした様子で、
「…ぷはーっ!」
とビールを味わい、
「それにしても、さっきはビックリしたよ、テッちゃん。私、ちょっと見直しちゃった♪」
と、先ほどの勇姿を褒め称えた。
ゴクゴクと飲み干す真佑と対照的に、ちびちびと口に含んだ徹也は恥ずかしそうに、
「で、でも…全然、敵わなかったよ…一方的にやられただけだし…鼻血まで出して…カッコ悪いよ…」
「そんなことないよ。向かっていったってだけでもすごいじゃん。カッコよかった♪」
「…そ、そうかなぁ…?」
悪い気はしない。が、面と向かって言われると照れ臭い。
ふいに真佑が立ち上がり、
「何か作ってあげよっか。…って言っても、冷蔵庫の残り物を炒めるぐらいだけど」
と、再び冷蔵庫に向かい、ガサガサと野菜を取り出し、簡単に料理を始めた。
食器を用意したりしながら、
「退屈でしょ?テレビでも見てて」
「う、うん…」
あまりにも自然な振る舞いに感じる温度差。
言われるがままにテレビをつけるも、内容が入ってこなくて、終始、上の空だ。
トン、トン…と包丁とまな板の音がして、やがて、ジュ〜っ!…という炒め物の音に、漂ってくる香ばしい匂い。
数分後、
「はい」
と、出てきたのはベーコンとエリンギの炒め物に野菜スティック、おつまみチーズの組み合わせ。
「美味しいかな?試しに、一口、食べてみて?」
「うん…い、いただきます…」
真佑の手料理を、一口、食べてみる。…炒め物など失敗のしようがないとはいえ、普通に美味しい。
「どう?」
「…うん…美味しいよ」
「よかった♪」
ホッと安堵の表情とともに少し嬉しそうな真佑。
自分も料理をつまみながら、
「何か懐かしいね、こういうの。昔はよく、お互いの家で行き来して、晩ごはん一緒に食べたりしてたよね?」
「そ、そうだね。家が隣同士だったから…ね…」
と、まだイマイチ固さが抜けない徹也の腕をパンッと叩いて、
「ちょっとー!いつまで固くなってんの?もっとリラックスしなよ」
「いや、だ、だってさ…」
「だって、なに…?」
聞き直された徹也は少し間を置いて、
「女の人の部屋って…は、初めて来るから…ど、どういう顔していればいいか分からなくて…」
と、ぼそぼそ言った。
…そう。
ひ弱で口下手で運動オンチ…そんな短所が重なり、年齢=彼女いない歴の徹也。
そんな彼にとって、一人暮らしの女の部屋というのは、まさしく未知の世界。
部屋に香る女性のいいニオイ、男にはない感性で作られた部屋のレイアウト…そして何より、白くて肉感的な生足を無防備に晒し、すっかり大人の女になった幼馴染の家主…。
これには徹也も緊張せずにはいられない。
「へぇ〜…♪」
それを聞いて意地悪な目をした真佑が、
「さっきから妙におとなしいと思ったら、女の人の部屋が初めてで緊張してたんだぁ?可愛いじゃん、こいつぅ♪」
と、人差し指で頬を突く。
「や、やめろよ…!からかうなよ…そ、そうだよ!初めてなんだよ…!わ、悪りぃかよ…!」
対抗するように悪態をつき、酔いではなく照れで顔を真っ赤にし、ビールを口にすることで逃げる徹也。
「ってことは、テッちゃん…彼女とかいないの?」
「━━━」
無防備なルームウェアとほろ酔いで妙な色気を醸し出し始めた真佑に恥ずかしさが込み上げるのを抑え、
「い、いないよ…」
「いたことは?」
「ね、ねーよ…!で、出来ないんだよ、ずっとッ!」
と不貞腐れたように吐き捨てる徹也。
「ふーん…そうなんだぁ…」
と呟く真佑が呆れてるように見えて、
「しょ、しょうがないだろ…こんな陰キャの意気地無しが女にモテるワケ…!」
と言い訳をしようとしたところに被ってきた真佑の一言。
「じゃあ…テッちゃん、まだ童貞なの…?」
(…!)
ちょうどそこで間の悪いことにかけ流していたドラマがシリアスなシーンに入り、無音になった。
シーンとしてしまった室内。
口ごもってしまった徹也の様子に、真佑も慌てて、
「…あ、いや、別にバカにしてるワケじゃなくて…その…か、彼女いないって言ったから…それって、つまり、そういうことかと思って…」
「━━━」
「…ご、ごめん…」
気まずくなって、徹也同様、ビールに逃げる真佑。
「━━━」
別に怒ったワケではない。…事実だから。
ただ、それを幼馴染に指摘された恥ずかしさ、惨めさを痛感し、返す言葉が見当たらない。
そして、こういう気まずい空気の時にかぎって間の悪いことが続く。
「あ…」
とテレビに目をやる真佑。
釣られて目をやった徹也も、思わず、
(バ、バカ…!)
と口にしそうになった。
シリアスなシーンから一転、突然のキスシーン。
それも、なかなか濃厚なものを画面いっぱいで繰り広げる主人公とヒロイン。
それで目を背けるのもおかしくて、テレビに釘付けのまま、さらに気まずくなる二人。
(な、何だよ、この空気…)
ほんの数秒前まで和気あいあいとしてたのに、突然、急転直下で重苦しい空気になった。
時間が長い。
そしてキスシーンも長い。
(い、いつまでしてんだよ…!)
と、テレビにツッコミたくなるほどだ。
沈黙に耐えかねた真佑が、どうにか、からかう方向に持っていこうとして、
「じゃ、じゃあさ…!もし彼女が出来たら、こんなこともしてみたいとか思うんだ…?」
と画面を見ながら言ったが、あまりにも声が上ずりすぎて、からかうキャラになりきれていない。
対する徹也も、開き直るしかないと思い、
「そ、そりゃ…僕も男だから、してみたいとは思うけど…あ、相手がいないことには…」
と返すが、これもモジモジしすぎて空気を変えるには至らない。
また沈黙…。
余計なことをしてくれたドラマは無責任にエンディングテーマを流し始めた。
ピアノがメインの伴奏に人気の歌姫が切ない歌詞を乗せた曲。
そのピアノの旋律に紛れるように、真佑が、突然、
「じゃ、じゃあ…試しに私でしてみる…?」
(へ…?)
聞き間違いかと思い、真佑の方を見る徹也。
すると真佑は、もう一度、
「…私とキス…してみる…?」
「い、いや…あの…」
戸惑う徹也に、
「ほら…してみて…?」
と、「してみる?」が「してみて?に変わり、促すようにじっと目を見てくる真佑。
「え…?ホ、ホントに…?」
どちらか分からず呟くと、真佑は、小さく頷いて、
「ねぇ…来て…?」
と目を見つめる。
「━━━」
長く感じていた時間がさらに長く、そして遅く感じる。
まるでバンジージャンプを飛ぶ前のような気分…この一歩を踏み出すのは相当な勇気が必要だ。
勇気が…足りない…。
「い、いや…ま、真佑ちゃん、ちょっと酔いすぎじゃ…」
と無理やり笑顔を作って和ませようとするが、当の真佑は、そっと徹也の手の甲に手を添え、
「…本気だよ…?私は…」
と、口を尖らせ、そっと目を閉じる。
あとは徹也次第。
(ウ、ウソだろ …?)
これでもまだ勇気が足りず、再びビールに逃げようとするが…。
(あ…!)
…カラッポ。
逃げに使っていたビールが、ひっそりと底をついた。
なくなってしまった逃げ場。
「━━━」
沈黙…。
手の甲に添えられた真佑の手が、急かすように、ぎゅっと握ってくる。
その手に背中を押された気がした。
「…わ、分かった。じゃあ…いくよ…?」
と、必要かどうかも分からない前置きをして、目を閉じて待つ真佑にそっと顔を寄せる徹也。
少しずつ…少しずつ…ゆっくりと顔を近づけ、そして…。
…チュッ…♪
三度目の正直。
今度こそ勇気を振り絞り、唇を重ねた。
あとはもう、アダルトサイト、アダルトビデオで見た知識と見様見真似で、がむしゃらに真佑の緩んだ口に舌を突っ込み、唾液を交換し合う徹也。
「んっ…んっ…」
いつの間にか二人は手を握り合っていた。
手にしていたカラッポの缶も無意識のうちに足元に転がっていた。
無我夢中で続ける初めてのキス。
終わりが分からず、延々と…延々と舌を絡め合う徹也。
そのうち、冷やかすように、ポツポツ…と雨が窓を叩き、そして、その長いキスの終わりを教えるように、一瞬、窓が光ったかと思えば、ゴロゴロと雷が鳴った…。
突然の激しい雷雨…タイミングが良いのか悪いのか…。
(つづく)