田村真佑のその後… (前編)
翌日。
療養最終日は、戦線復帰に備え、心身の休養に充てようと思った。
まず朝、贅沢に二度寝、三度寝をして昼前までベッドから出ず、ようやく起きたところで朝昼兼用の食事を摂り、その後はコーヒー片手に録り貯めたドラマを消化する優雅な午後。
そして夕方には、療養中ずっと伸ばしっぱなしだった髪を切ろうと、行きつけの渋谷の美容院へ。
長らくロングヘアーだったのを心機一転、肩までの長さにバッサリと切り、気持ちだけでなく装いも新たになった真佑。
そして美容院を後にし、徐々に人が増え始めたセンター街を足早に抜けたところで、だんだん空が薄暗くなり始めた。
いい時間となり、
(久々の渋谷だし、どこかでササッと夕飯を済ませちゃおっか…)
と考えた真佑。
渋谷という場所から、道玄坂にあるお気に入りのパスタの店が頭に浮かび、
(よし、あそこにしよう!)
と、足を進めていたところ、ふいに目の前で、
「痛てぇな、このヤロー…!」
「おい、待てよ!」
と、いかにもそういうお年頃という若い不良二人組が揃って声を上げた。
彼らは傍で立ちすくむ気の弱そうな青年めがけて近寄り、
「なにぶつかってんだよ、テメーよぉ!」
「今ぶつかったろ?」
「す、すいません…」
「すいませんじゃねぇんだよ」
「こっち来いよ、テメー!」
胸ぐらを掴む不良たち。
カラまれた青年の方は、彼らの金髪、ピアス、咥え煙草の見た目にすっかり怯えてしまい、声も出ないようだ。
そんな状況にもかかわらず、すぐ横を行き交うサラリーマンやカップルたちは見て見ぬフリ…嫌な世の中である。
仕方なく、一つ大きな溜め息をついて、その輪の中に入っていく真佑。
「やめなさい」
「あぁ?何だ、テメーは?」
「関係ねぇだろ!女は黙ってろよ!」
と意気がる不良たちに対し、真佑は毅然と、
「私、今、見てたよ?すれ違う瞬間に肩を出して、明らかに自分からぶつかりにいってたよね?君たち…」
「な、なにぃ…?」
「し、してねぇよ…!」
「ウソはダメよ。ちゃんと見てたんだから」
「━━━」
黙り込む不良たちに、さらに畳み掛けて、
「しらばっくれるなら、あそこの交番に行きましょうよ。私は見たままを証言するわ。反論があるならお巡りさんに聞いてもらいなさい」
と言うと、途端に不良たちは態度を変え、
「…く、くそっ…」
「い、行こうぜ…」
と言って、そそくさと人混みに消えていった。
(ふぅ…)
まったく、タチが悪い連中だ。
こんなのがいまだにいるから渋谷はいつまで経っても治安が良くならないと言われるのかもしれない。
そして…。
「あ、ありがとうございました…!助けていただいて…」
と、ペコペコする気の弱い青年に対し、
「相変わらず弱虫なんだから…情けないぞ、テッちゃん」
「へ…?」
キョトンとする青年。
察しの悪さに呆れて、
「…もぉっ!私が分からないの?」
と言ってから、
(あ、そっか…!)
ついさっき、バッサリ髪を切ったのを思い出し、
「私よ、わーたーしッ!分からない…?」
と、訴えるように彼の目を見つめた。
その顔をじっと見つめる青年は、ようやくハッとした顔をして、
「…あっ…ま、真佑ちゃん…?」
「そう、真佑だよ。もっと、すぐに思い出してよねっ!」
と膨れっ面を見せる真佑。
彼の名は徹也。
真佑は「テッちゃん」と呼んでいるが、お互い実家が隣同士の一つ下の幼馴染みである。
当時からいじめられっ子で、よく一つ上の真佑がいじめっ子から守ってやっていたが、あれから何年か経っても、相変わらず気の弱さは変わっていないようだ。
……
運命的(?)な再会を果たした二人は、真佑の誘いで一緒に夕食をとることになった。
真佑の行きつけの隠れ家的なパスタ屋。
ほんのさっきまで一人ごはんの予定だったが、退屈なので半ば無理やりに誘い、連れてきた。
「へぇー!真佑ちゃん、お洒落なところ知ってるんだねぇ!僕には似合わないなぁ…あ!サッカーのユニフォームがある!ACミラン!インテル!ユヴェントス!」
と、店内をキョロキョロ見回す徹也に、
「ね、ねぇ…!やめてよ…!おのぼりさんみたいで恥ずかしいから…!」
と少し赤面する真佑。
二人はペペロンチーノとカルボナーラ、そしてシェアして食べるということでピザを一枚、注文した。
店員が退がっていくと、真佑は肩をすくめて、
「ねぇ、テッちゃん。あんなの、自分で何とかしないとダメよ?さっきはたまたまだけど、もし私がいなかったらどうしてたの?」
「う、うん…」
「テッちゃんも、もう大人だし、何より男なんだから…。将来、可愛いお嫁さんでも貰ったら、逆にテッちゃんが守ってあげないといけないんだよ?」
「そ、そうだよね…気をつけるよ…」
とモゴモゴ俯いて言う徹也だが、どうもまだ頼りない。
(本当に分かってんのかなぁ…?)
と、思わず溜め息が出る真佑だが、それもその筈。
元々、根っからの弱虫。
地元にいた当時から、ちょっと道で転んで膝を擦りむいただけでも大泣きしていたような子だ。
よく近所の子供たちで集まって公園で遊んだが、その頃から何をやらせてもパッとしなかった。
そもそも足が遅いから駆けっこは必ずドベだし、鬼ごっこもすぐに捕まる。
球技のセンスも皆無で、野球はバットに当たらずボールも捕れず、サッカーは足元のボールすら豪快に空振りし、バレーボールは顔面レシーブ。
バスケはゴールネットではなく怖いおじさんの家の庭に放り込み、テニスは足がもつれて転倒、そして泣く始末。
ドッジボールすら真っ先に当てられて外野行きという具合で、一つ年上とはいえ、何をやらせても、おてんばな真佑の方が上だった。
そして、そんな気弱な子だったから、いじめっ子には格好の獲物だっただろう。
泣き声がするので目をやると、きまって、いじめっ子たちに囲まれて泣いていた記憶がある。
「そうしたら、いつも真佑ちゃんが『コラー!テッちゃんをイジめるなー!』って走って僕を助けに来てくれたんだよね」
「…そうだっけ?」
と首を傾げ、徹也の思い出を一蹴する真佑。
覚えてないのではない、似たような事柄があまりに多すぎて分からないのだ。
「…ねぇ。何年ぶり?」
と、ふと聞いた真佑。
「んー…四年ぶりぐらい?」
「そっか。私が高校卒業してから会ってないか」「だから、さっき、よく分かったね。僕って」
「分かるよ。こうして渋谷で会ったのは偶然だけど、テッちゃん、全然、変わってないもん。男らしくないし、ナヨナヨしてるし…しばらく会ってなくても見たらすぐ分かる」
「……」
ボロクソに言われて返す言葉もなく、苦笑いの徹也。
その微妙な空気に助け船を出すように注文した料理が運ばれてきた。
テーブルに並ぶパスタとピザを見て、
「あ、そういえばドリンク頼むの忘れた!」
と思い出した真佑。
店員がいるうちにと思い、
「テッちゃん、何にする?」
と何の気なしに聞くと、徹也は、
「じゃあ、僕、ビール」
「……」
「…?真佑ちゃんは?」
「…わ、私も、じゃあ、ビールで」
と慌てて注文し、再び店員が退がっていった後もしばらく、真佑は不思議な気持ちだった。
あの徹也が、あの幼馴染みの“弱虫テッちゃん”が、いつのまにかビールを飲める歳になっているという感慨深さ。
それを口にすると、徹也は笑って、
「そんなの、真佑ちゃんも一つしか変わらないんだから一緒じゃん」
「まぁ、そうだけど…」
「ほら、早く食べないと冷めるよ?食べようよ。はい、フォーク」
と手渡してくれる少し優しい徹也に、まだ幼少期とのギャップを感じずにはいられない。
その後、店内に客が増え、周りが賑やかになるにつれ、二人のテーブルにも笑顔がこぼれた。
幼馴染みという関係が、逆に、変な気遣いを必要としなかったからだろう。
会話も弾み、それに合わせて酒も進んだ。
そして、いい感じに酔っ払ったところでお会計。
スッと席を立った徹也を追いかけ、
「テッちゃん、私が出しといてあげるよ。伝票、貸して」
を手を伸ばす真佑を制し、
「いや、僕が出す」
と言う徹也。
「何でよ。私が奢るよ、これぐらい」
「いいよ。さっき助けてもらったから」
「なに言ってんの。誘ったのは私だし、年上なんだから出すってば。あんなの気にしなくていいって」
「大丈夫」
「もぉ〜、なにカッコつけてんのよ。素直に甘えときなさい」
「いいってば!」
と、周りから見れば面倒くさいレジ前の押し問答。
しまいに店員も、
(あのー、どっちでもいいんで、さっさとしてもらえますか?)
と言いたげな眼で呆れている。
そして決め手は徹也の一言、
「いつまでも子供扱いしないでよ。僕だってこれぐらい払えるから」
(…!)
徹也のその言葉に負け、スッと退いた真佑。
やはり成長を感じる。…いや、当たり前だ。
あの幼少期から考えれば自分だって成長してるし、それに合わせて徹也も成長するに決まってる。
分かっている。…分かっているのだが、やはりまだ子供に見えて仕方がない。
二人が、ここ東京ではなく、埼玉のはずれで育ち、いつも夕焼けの中、泥だらけになって遊んでいたあの頃。
あの頃の、世話のかかる弱虫のイメージが消えない。
実際は、もう立派な大人に成長してるのに、それを見てやれなかったことを、先に外に出て待ちながら、少し反省する。
(ちょっと言い過ぎたかな…?)
男らしくないとか、ナヨナヨしてるとか、つい昔に戻った気になってバシバシ言ってたが、ここにきて、もしや気に障ったのではないかと少し不安になってきた。
会計を済ませ、出てきた徹也。
「真佑ちゃん、何で帰るの?」
「…京王線。テッちゃんは?」
「僕、JR。じゃあ、京王線の改札まで送るよ」
と先に歩き出す徹也。
小走りで追いつくも不思議と会話がなく、気付けばまた少し離され、慌てて追いかけ…の繰り返し。
黙々と駅を目指す徹也と、その歩調に合わせて、ただついていくだけの真佑。
恋人同士なら手を繋いで足並みを揃えるところだが、そういうワケにもいかないから、依然、微妙な距離感のままだ。
そのまま、もうすぐ渋谷駅というところで、
「ちぇっ…ひっかかっちゃったよ」
と赤信号で止まったところで、耐えきれず、
「…ねぇ。もしかして怒ってる?」
と真佑は聞いた。
すると徹也は、意外に平然とした顔で、
「え?何が?」
「いや、もしかして子供扱いしたことに怒ってるのかなー…って」
と言うと徹也は笑って、
「そんなので怒らないよ。ただ、いつまでも真佑ちゃんに頼りっぱなしじゃダメだと思っただけ」
「そう…だったらいいけど」
そのついでに言い忘れた「ごちそう様」と言おうとした時、ふいに横から、
「お?姉ちゃん、可愛いねぇ!顔もスタイルもストライクだよ。どうだい?これから一緒に飲みに行かない?」
と、徹也の反対側にいた少しコワモテの酔っ払いが声をかけてきた。
目が合った瞬間、
(うっ…お酒臭い…!)
と、まず思ったし、信号待ちの間にこんなデリカシーのない声のかけ方をしてくるのも気分が悪い。
「…行きません」
と突っぱねてそっぽを向くが、男はしつこく、
「そう言わずにさぁ。こう見えて、俺、なかなかいいもの持ってるからさ。何なら朝まででも全然…」
「行きませんっ!」
さっきより強めに突っぱね、信号も変わったので歩き出す真佑。
「ねぇ、待ちなって。存分に楽しませてあげるから。ね?ね?」
と、べったり横についてきてしつこい男にイライラしてきた時、突然、
「いいかげんにしましょうよ。迷惑してるじゃないですか」
と徹也が声を上げた。
(…!)
意外だった。…いや、意外だと思ってしまった。
だが、紛れもなく徹也の口から出た声だった。
あの徹也から…?
あの弱虫テッちゃんの口から…?
「あぁ?何だ、テメーは?テメーに言ってねぇんだよ!」
邪魔をされて機嫌を損ねたのか、男も急に態度を変え、徹也に食ってかかる。
その瞬間、徹也が怯んだのが分かった。
だが、徹也も退くに退けない様子で、震えた声で、
「な、何ですか!現に真佑ちゃんも嫌がってるじゃないですか…!」
と応戦する。
すかさず真佑が、
「テ、テッちゃんっ!いいよ、ほっといて…!ほら、行こ?ね?」
と徹也の袖を引いて収めようとするが、
「おい、待て!コラ!なにカッコつけてんだ!彼氏か?おい!」
「ち、違いますけど…」
「だったら引っ込んでろ、このヤロー!」
と、なおも男は徹也に食ってかかり、
「なぁ?やるか?おい!俺とやるか?テメー!」
と、とうとう手が出た。
胸を小突かれ、よろめく徹也。
さらに、
「や、やめてよっ!」
と間に入ろうとする真佑を突き飛ばし、徹也に掴みかかる男。
「な、何すんだ…!は、離せよ、この…!」
と、払いのけようとする徹也の頬に先制の拳が一発。
「ぎゃぁっ…!」
それを食らって悲鳴を上げてよろけたところに、さらにもう一発、拳が入り、そして膝蹴りまで。
「や、やめなさいっ!」
条件反射で、つい鳴りを潜めていた捜査官の眼になる真佑。
だが、驚いたのは、拳を二発に膝蹴りまで食らった徹也が、倒れず、むしろ果敢に自ら男の腰にしがみつきにいったことだった。
「ま、負けないぞぉ…!ぐぅっ…!」
と小さく呻き声を上げながら、その貧相な身体で必死に男を倒そうとする徹也。
「くっ…は、離せ!抱きつくんじゃねぇ、このヤロー!気持ち悪りぃな!こ、殺すぞ、コラ!」
と暴れる男。
渋谷駅の真ん前で相撲を取るようにもつれ合う男二人。
こうなると次は真佑の方が慌ててしまい、
「やめて…!テッちゃん、やめてってばぁ…!」
と繰り返し、あたふたするのみ。
すると、そこに、
「コラー!何をやっとるかぁ!」
「離れなさいっ!」
と、偶然、駅前をパトロールしていた警官三人が血相を変えて駆け寄ってきた。
「チッ…やべぇ!ポリ公が…!くっ、は、離せ!コラ!」
と男は、しがみつく徹也をボコボコと殴りつけ、緩んだ腕の隙間から身体を抜くと、そのままスクランブル交差点に赤信号にもかかわらず突っ込んでいった。
「待てぇーっ!」
「止まりなさーいっ!」
と、けたたましく笛を吹きながら逃げた男を追う警官二人。
そして、残った一人の警官が、ずるずると倒れた徹也に、
「おい、君っ!大丈夫か?おいっ!」
「だ、大丈夫です…ぐっ…!」
と、しかめっ面で小さく返事をした徹也。
ひとまず真佑は、その警官と一緒に徹也の肩を抱いて人混みから離れ、高架下の柱の陰に座らせた。
「テッちゃん、大丈夫!?」
と覗き込むと、まず目についたのは口の周りについた鮮血。
一瞬ぎょっとしたが、徹也本人が苦笑して、
「は、鼻血だよ、鼻血…大丈夫だよ…」
と言った。
その他にも先制攻撃でモロに殴られた頬も赤く腫れ、何とも痛々しい有り様だが、幸い、それ以上の外傷はなさそうだし、意識もハッキリしている。
「えー、こちら○○、こちら○○。渋谷駅前にて喧嘩が発生。一人が軽傷、殴った男は宮益坂方面へ逃走、現在追尾中です。どうぞ」
と傍で警官が無線を飛ばしてる間、徹也の鼻血をハンカチで拭いてやる真佑。
徹也は、痛みに加え、悔しさと恥ずかしさ、照れ臭さも入り交じった複雑な表情で黙っている。
無線を終えた警官が寄ってきて、
「痛むなら交番で手当てしようか?」
と聞いてきたが、真佑が答えるより先に徹也が、
「いえ、大丈夫です。これぐらい、少し風に当たってれば治りますよ…」
「そうかい。なら、いいけど…被害届は?」
「それも結構です。僕の自業自得でもあるんで…さっきの人の謝罪とかも別にいらないんで」
と答える徹也。
そう言われたので、
「じゃあ、お大事に」
とだけ言って、そそくさと人混みに消えていく警官。
どうやら二人がカップルだと察し、本人が断ってるのをしつこく食い下がってはかえって邪魔をして悪いと思ったようだ。
それでも真佑は、
「ねぇ。本当に大丈夫なの?ちゃんと警察沙汰にしておかないと殴られ損よ?」
「いいんだよ…面倒くさいし、一人で勝てなかった時点でカッコ悪いよ…」
徹也は立ち上がると、時計を見て、
「真佑ちゃんも。僕に構ってると、電車、行っちゃうよ?ほら、今から走れば45分発の急行にギリギリ間に合うから早く…」
「バカっ!京王線なんて次から次いくらでも来るのっ!こんな状態のテッちゃんを放って帰れるワケないでしょ!」
と思わず叱りつける真佑。
ふらつく徹也の腕を掴むと、そのまま引きずるように道路へ。
そして車道に半身を出して手を挙げると、タクシーが停まった。
「真佑ちゃん…?」
キョトンとする徹也を、
「とにかくウチ来て?手当てだけでもしてあげる。そんな腫らした顔で一人で帰せない…!」
「で、でも…」
「いいからッ!」
と声で言いくるめた真佑は、徹也を後部座席に押し込むようにして自分も乗り込むと、
「下北沢」
と短く言った。
下北沢…真佑が今、部屋を借りて住んでいる街である。
(つづく)