1.サソリと罠
秘密組織「乃木坂46」のアジト。
辛くも逃げ延びて帰還した久保史緒里からの報告で、山下美月に続いて梅澤美波も罠に嵌まって捕らわれたと聞き、幹部連は焦燥に駆られていた。
久保は、ひたすら自分を責め、
「ごめんなさい…私の力不足のせいで美波まで…」
と涙を浮かべていた。
管理官の秋元真夏は、優しく肩を抱き、
「そんなことないわ。あなただけでも無事に戻ってきてくれてよかった。さぁ、落ち着いて次の対策を考えましょう」
と慰めはしたものの、内心、
(まさか、向こうも罠を張って待っていたとは…)
と、予想外の展開に困惑していた。
久保の報告では、郊外の廃病院を改造して根城にしていたという。
どうも、歌舞伎町のクラブでいかがわしいパーティーを開いているだけの小悪党とは思えなくなってきた。
(もしかすると、相手は、こちらが思っている以上に狡猾で巨大な組織なのかもしれない)
という不安が、真夏の顔に浮かぶ。
……
翌日、前線部隊が形成され、問題の廃病院へ踏み込んだ。
そこには室長の桜井玲香、管理官の秋元真夏も加わっていた。
全員が拳銃を装備し、銃撃戦も辞さない覚悟での突入だったが、中は既にもぬけの殻、梅澤や山下どころか、人っ子ひとり見当たらなかった。
「となると、二人とも、どこか別の場所に移されたのかもね」
と、新内眞衣が言えば、
「その“どこか”が知りたいな」
と、中田花奈が返した。
廃病院を隅々まで調べると、改めて、何者かが手を加えて根城にしていたことが窺える。
ゴミ箱から押収した缶ビールの空き缶は指紋の検出に回された。
そんな中、真夏は、ふと、玲香の姿がないことに気がついた。
探し回ると、三階の旧院長室に玲香はいた。
その部屋の隅にはなぜか飼育箱が置いてあり、それを玲香は睨みつけるような眼で見ていた。
「何を見てるの?」
真夏も気になって覗き込んだが、すぐに悲鳴をとともに飛び上がり、
「サ、サソリ!?」
と驚く声を上げた。
尾に毒針を持つ節足動物で、日本でも沖縄の一部にしかいない筈だ。
「何でこんなところにサソリが?誰かが趣味で飼っていたのかな?」
「━━━」
玲香は、しばらく考えていたが、おもむろにその飼育箱に手をかけて持ち上げた。
「ちょっと!そのサソリ、どうするの?」
「押収する」
「押収?サソリを?」
「気になることがある」
玲香はそれだけ言って、スタスタと下へ降りていった。
結局、人質に取られた二人や、相手の一味の行き先を示す手がかりは何も出てこなかった。
しいていえば、サソリの入った飼育箱ぐらいか。
しかし、それも、玲香が何を思って押収したのか、真夏にはよく分からなかった。
……
一方その頃。
廃病院に向かう前線部隊に加わらなかったメンバーは、引き続き、例のクラブ『メリー・ジェーン』を監視し、出入りする客を尾行して素性を洗い出す作業に奔走していた。
「…出てきた!二人!」
物陰で、北野日奈子が声を上げる。
「よし、私はあっちのスーツの男を尾ける。日奈子は向こうの革ジャンの方」
齋藤飛鳥は素早く指示をして歩き出した。
雑踏の中で見失わないよう、一定の距離を保つ。
そのスーツの男は大通りまで出てきたところでタクシーを拾った。
飛鳥も後続のタクシーを拾うと、
「前のタクシーを追って」
と手短に告げた。
前の車は甲州街道を西へ進む。
「お客さん、刑事か何かですか?」
運転手の問いに対し、飛鳥は、
「…違います」
と、そっけなく返した。
前を行く車の動きを注視していたし、単に面倒な絡みだった。
それに、そもそも、秘密組織である自分たちの素性をペラペラと明かすワケにはいかない。
二台のタクシーは都心を離れ、郊外へ出ていった。
ビル群ばかりだった景色にも、ちらほら自然が混じってくる。
都内では無数にあった対向車も、ここまでくると数はまばらだった。
(どこまで行く気だろう?)
信号で停まっても、前の車のリアシートの影は無警戒で、後ろを振り返る様子もない。
(どこの誰か調べて、懲らしめてやる!)
そんなことを考えていた時、突然、運転手が無警戒の飛鳥の顔面にスプレーを噴霧した。
「んっ!!…な、何っ!?」
あまりの出来事にワケが分からない飛鳥。
そして。
(な、何?…身体の力が抜けていく…まぶたが重い…)
やがて、リアシートにぐったりと倒れた飛鳥。
運転手は、飛鳥が意識を失ったのを確認すると、無線機を取り出し、
「ボス。また一人、獲物を捕まえました」
と報告した。
(つづく)