乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―





























































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第三部 第八章・ラッシュアワーパニック ―帰れない女たち― (岩本蓮加、星野みなみ)
1.アフターファイブ
 対策本部。
 その部署の長である白石のデスクに持ち込まれた数枚の写真。
 それを黙って一枚ずつ見つめた後、白石は重い口調で、
「…確かに奈々未に間違いないわね」
 と声を絞り出し、落胆の表情を浮かべた。
 その写真の提出者、佐藤楓と阪口珠美のうち、佐藤の方が気まずそうに、一言、
「…どうします?」
 と聞く。
 白石の返答には時間を要した。
 その写真の被写体は、先日、罠に嵌まり、拉致されたと思われていた橋本奈々未。
 その橋本が、花田組の人間とホテルから出てくるところを写した写真だった…。

 橋本奈々未、そして伊藤万理華。
 木更津の偽密造工場の罠によって敵の手に落ちた二人の行方が依然として分からなかった。
 あの日、白石たちは木更津の街中を駆け回って捜索したが、結局、見つからなかった。
 ようやく手がかりを得たのは夜になってからだ。
 夕刻、木更津のマリーナから二隻のクルーザーが相次いで慌ただしく出航したというのだ。
 その二隻のクルーザーに二人が分乗させられていると踏んだ白石は、その木更津のマリーナへ急いだが、一足遅かった。
 既に夜の帳が下りた木更津のマリーナ。
 問題の二隻のクルーザーは既に役目を終えて帰港しており、もぬけの殻だった。
 それどころか、キャビンの中で明らかに如何わしい行為が行われた形跡があり、白石に絶望をもたらした。
 その後も、帰港してからの二人の足取りが掴めず、監禁場所を求めて、目下、捜索中だった。
 そんな矢先に佐藤・阪口ペアが撮ってきたこの写真…。

「……」
 白石は、なおも、その写真を見つめていた。
 まるで、写真に口がついているなら、その口から嘘だと言わせるように、ただじっと…。
 佐藤と阪口の二人には、花田組が縄張りとする繁華街をカメラを持って巡回し、少しでも怪しい動きをする組員を見つけたら、とにかくシャッターを切るようにと命じていた。
 撮影した写真から、この男は幹部の誰々だと割り出したり、頻繁に被写体となる組員がいれば要注意人物としてマークしたりと、そういう用途のつもりで現場に出したのだが、どうやら思っていたのと違うものを撮ってきたようだ。
 横から覗き込む秋元真夏が、
「これ、本当に奈々未…?」
 とフォローするように言うが、白石は、そのフォローを突き返すように、
「残念だけど、奈々未だということは間違いないわ」
 と断言した。
 もちろん信じたくはないが、だからといって信頼する仲間の顔を見間違えはしない。
「でも、どうして奈々未が花田組の人間と…?」
「━━━」
 橋本が自分たちを裏切る筈はないし、脅されて言いなりになる性格でもない。
 となると、あと考えられるのは“支配”のみ。
 おそらく性拷問にかけ、無理やり服従させたのだろう。
 現に、手元の写真、ルーペで拡大してよく見ると、奈々未の首に、何やら首輪のような物がついているのを確認できる。
 チョーカーではなく明らかに首輪だし、どう見ても奈々未の趣味ではない。
 となると、おそらく、この横にいる組員の男がつけさせたものに違いない。
 さしずめ、奈々未を我が物にしているとでもいうアピールだろうか。
(あの奈々未が音を上げ、こんなヤツの言いなりになってしまうほどの壮絶な性拷問…)
 信じ難い話だが、事実、その拷問の場に使われたと思われるクルーザーの船室の隅から使用済みの薬包紙のようなものが見つかっている。
 薬包紙=クスリ、そして、この抗争においては、クスリ=媚薬。
 この写真に写る橋本は、もはや白石の知る橋本ではなく、薬漬けにされ、洗脳された成れの果ての姿に違いない。
(問題は、そんな状態の奈々未を、果たして奪回できるかどうか…)
 この後、橋本は、男に連れられ、タクシーで走り去ったという。
 どこかに監禁されているのか、それとも呼べば現れるコールガールのような関係を強いられているのかは不明だが、どちらにしろ、助け出すのは
容易ではない。
 ヘタに飛び込んでも、その橋本を盾にされたら、逆にこちらが、さらに窮地に追い込まれてしまうからだ。
 それに、もう一人、伊藤万理華のこともある。
 おそらく万理華も橋本同様、洗脳されてヤツらの支配下に置かれている状況に違いない。
 どちらかを助け出すことで、どちらかが犠牲になるというケースも想定される。
(八方塞がり━)
 という言葉が、一瞬、頭に浮かんだので、すぐにかき消した。
(何か…何か方法がある筈…!本当に八方塞がりなら、実質、私たちの負けということになる…!)
 さじを投げるワケにはいかない。
 善後策を練る捜査本部。
 その話し合いは、今日も夜中まで続くのだった。

 ……

 対策に追われる白石と真夏が本部詰めとなったため、代わりに、星野みなみと岩本蓮加の二人が離脱者の復員要請を引き継いでいた。
 おかしなもので、リーダーと副リーダーの重鎮二人が頼んで回るよりも、星野と蓮加、先輩と後輩でペアを組んで回った方が作業が捗った。
 それぞれ同期の世代が違うし、上司と部下という関係での説得よりも気の知れた同期同士で話をする方が変に壁を作られることがなくスムーズに話が出来るからだろう。
 もちろん二人の人柄とその話術の成果でもある。
 おかげで、今日だけで、中田花奈、梅澤美波、伊藤理々杏の三人から復員の承諾を貰うことが出来た。
 中田には星野が、梅澤と理々杏には蓮加が、それぞれ同期という間柄で気持ちを伝えた。
 残念ながら斉藤優里には保留されてしまったが、それも渋っての保留ではなく、「もう少し時間が欲しい」という脈がある保留だったから、日を改めればオーケーしてもらえるだろう。
 この調子で、明日は、生田絵梨花、久保史緒里、与田祐希らを訪ねる算段を立て、ひとまず二人は本部に戻ることにした。
 最寄駅まで戻り、地下鉄に乗る。
 本部に戻るには、このY駅からM線で一本。
 その間およそ27分、途中9つの駅を挟むが、来た時と違って、帰宅ラッシュが始まるこの時間帯は「通勤快速」という種別が走り出すので、停車駅はぐっと減り、時間も短縮する。
 二人は切符を買い、改札を抜けてホームに入った。
 ちょうど次に来る電車が「通勤快速」だった。
 当駅17時32分発。
 これに乗れば9つあった停車駅が1つに、所要時間も27分から20分と大幅に短縮、おかげで18時には本部に戻れるが、その反面、混むことを覚悟しないといけない。
「満員電車、やだなぁ…」
 と蓮加がぶつぶつ言うので、
「仕方ないでしょ。20分ぐらいだから我慢、我慢」
 と、星野がお姉さんっぽく言った。
 横にいるのが同期のメンバーなら今の蓮加のセリフを星野が言っていたかもしれないが、年下の後輩の前なので、少し背伸びをしてみた。
 接近チャイムが鳴り、列車がホームに滑り込んできた。
 やや混んでる状態で到着したところに、この駅からの乗客が雪崩れ込み、車内は満員になった。
 特に蓮加は、乗り込む際、後ろのサラリーマン連中に変な向きに押されたせいで運悪く連結部の人がすし詰めになる方へ行ってしまった。
(ちょっ、最悪…!)
 振り返ると、やや離れたところで同じように人波に埋もれる星野が見える。
(降りるの、次の次だからね?大丈夫?)
 という目を蓮加に送る星野だが、当の蓮加はそんなことよりも、
(もうっ…誰っ!?押したの…!)
 と、そっちに腹が立っていた。
 通勤ラッシュの満員電車では当たり前の光景だが、それでスネてしまうのはまだ若い証拠だろう。
 吊り革も掴み損ね、仕方なく蓮加は、背の高いサラリーマンたちに囲まれた中で立ちっぱなしを余儀なくされた。

「ドアが閉まります。荷物をお引きください。ドアが閉まります」

 とアナウンスの後、ドアチャイムとともにドアが閉まり、ゆっくりと列車は動き出した。

「車内、混み合いまして恐れ入ります。次は〜、○○、○○。地下鉄R線、E鉄道はお乗り換えです」

 とアナウンスが流れる。
 その次が、二人が降りる駅だ。
 そして次の駅まで約15分、通勤快速はノンストップで走る。
 トンネルの暗闇一色の車窓が急に明るくなった。
 1つ目の駅を通過したのだ。
 轟音を響かせ、通勤快速はさらにスピードを上げる。
(……!?)
 ふいに、誰かの手が腰に触れた。…が、それに対して蓮加がピクッと反応した途端、すぐに離れた。
(え、何…?誰…?)
 反射的に振り返ろうと思ったが、人が多くて身体をひねることもできない。
 すぐの二度目はなかった。
(気にしすぎかな…?)
 確かに気持ち悪い手つきだったが、まぁ、これぐらいのことは満員電車なら仕方ない。
 走行中の揺れでよろけたのかもしれないし、ポケットからスマホでも取り出そうとモゾモゾ動いたのかもしれない。
 そして、2つ目の駅を通過。
 矢継ぎ早に明るい光が流れた後、また窓の外は黒一色に戻る。
(……!?)
 また誰かの手が触れた。
 それも、さっきより下、腰よりもお尻に近い。
「ちょっ、ちょっと…!」
 満員の車中、蓮加は小さく抗議を声を上げると、またその手はスッと引っ込んでいった。
 今度は偶然ではない。
 明らかに触ろうと決めて触る手つきだった。
(な、何…?もしかして 痴漢…?)
 蓮加は一気に不機嫌になり、ムッとした。
(私、捜査官だよ?捜査官相手に痴漢とか…ナメてんの?)
 身を返して振り返るほど余裕もないので誰の仕業かは確認できないが、とりあえず、背後にいる誰かの仕業に違いない。
(次、触ってきたら手首をひねり上げて、怒鳴りつけてやる!)
 そして次の駅で降ろし、現行犯として鉄道警察隊へ引き渡す。
 花田組とは何ら関係のない捕り物となるが、痴漢は常習性がある。
 今後、自分以外にも被害に遭う女性がいるかもしれないと考えれば、これも世のためだ。
 次に蓮加の身体に手を伸ばしたら最後…その時に備えて、お尻に神経を集中する蓮加。
(…きたっ!)
 その瞬間、構えていた腕を素早く伸ばし、その痴漢の手を掴み上げた!…と思ったが、違った。
 手首を掴まれたのは、まさかの自分だった。
 しかも左右から。
(え…?何これ?)
 見上げると、背の高い両隣のサラリーマンが蓮加の手首をぎゅっと握っている。
(な、何?この人たち…!痛い…!)
 振りほどこうと、そして声を上げようとした時、ふいに耳元で、
「暴れるなよ。おとなしくしねぇと、向こうにいる先輩が怪我することになるぞ?」
 と、蓮加にしか聞こえない声量の声が聞こえた。

鰹のたたき(塩) ( 2020/06/22(月) 00:30 )