3.地獄への架け橋、東京アクアライン
翌朝。
最も重要視していたクスリの密造工場の場所が割れたことで本部は色めき立った。
「そうと分かれば仕掛けは早い方がいいな」
と今野本部長は決断した。
バレたと分かれば当然ヤツらは逃げ出すだろうし、踏み込むタイミングも明日、明後日と間を置けば、それだけ証拠隠滅の時間を与えることになる。
なるべく、その時間を与えず、ヤツらがバレたと気づいて逃げ出す前に押さえるためにも、今日中にやるしかない。
早速、橋本奈々未、伊藤万理華、深川麻衣、川後陽菜の別動隊チームが武装して制圧へ向かった。
アクアラインをひた走り、木更津へ向かう四人。
そして、それと同じ頃、練馬のアパートを張る高山と松村も、突入の指示を待っていた。
こちらにも援軍が続々と到着し、アパートを完全包囲した。
本部から「Go!」という指示が出て、突入した面々は、中に潜んでいた組員を片っ端から検挙し、裏ビデオ販売の指揮を執っていた幹部の新田も押さえた。
「ち、ちくしょう…!」
唇を噛みながら連行される新田。
部屋にあった証拠物品も一つ残らず押収し、早朝から大捕物となった。
本部に連れてきて、早速、尋問を開始する。
証拠を押さえられて言い逃れのしようがない新田は、裏ビデオを製作し、販売していたことについて、ほぼほぼ認めた。が、組への忠誠から、組長の花田の名は一切出さなかった。
全て自分主導で小銭稼ぎの副業としてやっていたと言い、稼いだ売り上げも、自分の縄張りから巻き上げた上納金だと偽って組に渡していたから、組長の指示ではないと話した。
(くっ…!コイツら、万が一、捕まった時の言い訳も徹底されている…!)
高山は舌打ちをした。
そんなのは嘘に決まっている。
花田組長が指示を出し、その通りに動いていたに違いないのだ。
だが、部屋から押収したものの中に花田組長と結びつくものはなかった。
もちろん、そこはぬかりがないよう徹底されていたに違いないが、そうなると、この嘘くさい供述以上の追及が出来ない。
「上納金だと言って組にウソをついていたことになるからな。頼むから組長には言わないでくれよな」
と、新田自身、ニヤニヤして開き直る始末だ。
ある程度は予想通りとはいえ、やはり本丸の花田組長まで手が届かないところがもどかしい。
松村が、憮然とした表情で、
「まぁ、ええわ。捕まったんはアンタらだけやない。木更津の密造工場も、今頃、奈々未たちに押さえられてる。力を削ぐという意味ではウチらの勝ちや」
と吐き捨てた。
「木更津…?」
なぜか、きょとんとした顔をする新田。
(…?)
その表情の変化を高山は見逃さなかった。
演技としては自然すぎたし、何より、今、この状況できょとんとした顔の演技をする必要がない。
(…まさか…知らない…?)
いや、そんな筈はない。
裏ビデオ製作を取り仕切る幹部が連携する密造工場のことを知らない筈がないし、下っ端の小橋でも知っていた情報をリーダー格の新田が知らないというのもおかしい。
(いや、もしかして…)
こうして、万一、捕まった時の言い訳まで徹底されているヤツらだ。
共倒れにならないよう、完全分業とし、余計の情報は入れていない…すなわち、裏ビデオ製作チームには密造工場のことを何も知らないし、逆に、密造工場チームにも裏ビデオ製作のことは知らされていない可能性がある。
そうすれば片方が死んでも片方が生き残り、組にとって大打撃になることはない。
(となると…ま、まさか…!?)
頭にちらついた最悪の想定に、高山の顔がみるみる青ざめていく。
高山は飛び上がるように立ち上がり、取調室を飛び出した。
「ちょっ、ちょっと…!」
松村の声も無視して廊下を駆ける。
(嘘だ…嘘だ…!)
密造工場が木更津にあると吐いたのは小橋自身━。
小橋など最初から捨て駒で、捕まって尋問に口を割ることまで折り込み済みだったとしたら…?
その小橋にわざと嘘の情報を吹き込んでいたとしたら…?
そして、それを信じ込んだ捜査官に対し、用意周到な罠が張られていたとしたら…?
「今野さんっ!」
高山は部屋に飛び込み、そのまま今野本部長のデスクに突進して、
「木更津に向かった四人から連絡は?」
「いや、まだ何もないが…どうした?何を焦ってるんだ?」
「すぐにこちらから連絡して、安否を確認してくださいっ!」
と高山は血相を変えて叫んだ。
「安否?何を言ってるんだ?」
まだ温度差のある今野は苦笑して、
「奇襲をかける側なのに、いったい何の危険があるのかね?」
「いいから早く確認してっ!」
思わず敬語に直すのも忘れて怒鳴る高山。
語気に圧され、事態を飲み込めないまま連絡をとる今野だが、二、三回、電話をかけた後、受話器を置き、
「おかしいな。橋本も伊藤も連絡がつかん…」
と、そこで初めて困惑した顔を見せた。
予感が的中し、絶句する高山。
そこに、ちょうどかかってきた電話。
「何だ、無事じゃないか。驚かせやがって」
出る前から相手を決めつけ、安堵の表情を浮かべる今野。
「もしもし、橋本か?心配するじゃないか。ちゃんと一回目で出てくれないと…なに?深川?」
反射的に高山が横から手を伸ばしてボタンを押し、その通話をスピーカーに切り替えた。
途端に深川の声が部屋に響く。
「木更津というのは、全部、罠だったんですっ!いち早く罠と気づいた奈々未の機転で辛くも私と川後は脱出できましたが、逃げ遅れた奈々未と万理華がヤツらに捕まってしまいましたっ!」
事態を知り、すぐに白石が本部に戻ってきた。
高山、松村とともに車を乗り込み、今朝、四人が通ったアクアラインを辿って木更津へ急行する。
海ほたるを通過し、海上に架かる橋を疾走する。
奇しくも空は快晴、絶好のドライブ日和だが水平線の景色を堪能している場合ではない。
「私のせいだ…小橋を難なく拘束できたことに浮かれて、こういう事態を想定できなかったから…」
と高山が呟くと、白石が首を振り、
「それを言うなら責任は私。密造工場の場所は木更津だと奈々未に伝えたのは私だから…」
と言った。
車内に広がる重い空気。
今頃、柴崎弁護士は高笑いしてるだろう。
まんまと人の裏をかいた悪知恵と狡猾な罠、おそらく裏で糸を引いたのは彼に違いない。
現状、唯一の手がかりの裏ビデオ販売サイトを辿り、配達人の小橋を拘束して尋問することを、はじめから見越していたのだ。
となると、昨夜の電話も、切迫した口調を演じながら内心ほくそ笑んでいたのかもしれない。
(やはりコイツが曲者だった…)
それを分かっていながら、その先まで見抜けなかったのが悔やまれる。
アクアラインを走破し、木更津に到着。
まず、こちらが到着するまで安全なところで身をひそめておくように指示した深川と川後、この二人と合流し、問題の工場へ。
既に人の気配は消え、鬱蒼としている。
中はがらんとしていて、クスリに関連するものは何もない。
深川が鼻を覆いながら、
「飛び込んだ瞬間、おかしいと思った。誰もいないし、クスリを密造してるような気配もない。これはもしかして…と思った瞬間、いたるところから催涙ガスが吹き出して━」
と状況を説明した。
そう言われてみれば、まだ所々に刺激臭が残り、空気中を漂っている。
「そこで二人は運よく脱出できたってことね?」
「ガスが吹き出た瞬間、咄嗟に奈々未が窓を割って『私が囮になって時間を稼ぐ』と言って私たちを外に出してくれた。万理華も一緒に脱出できればよかったんだけど間に合わなくて…」
と川後は言った。
確かに、一ヶ所、窓ガラスが割れていた。
それに、よく見ると、その脱出の際にガラスで切ったのか、深川も川後も指先を負傷していた。
車に戻り、救急箱を取り出して、消毒し、包帯を巻いてやる白石。
(今の私には、このぐらいのことしかできない…)
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
さらに調べると、工場の裏の側溝に捨てられた複数のガスマスクが発見された。
これをつけて、催涙ガスの煙に巻かれた獲物を易々と捕獲したのだろう。
こうして、まんまと罠に嵌まり、逃げ遅れて捕らわれた橋本奈々未と伊藤万理華。
既に工場内はもぬけの殻で二人の姿はなかった。
となると、二人がどこに連れ去られたかを考えなくてはならない。
ふいに白石の携帯電話が鳴った。
一瞬、身構えたのは、二人を人質にした花田組からの脅迫、もしくは取引の電話ではないかと思ったからだが、かけてきたのは秋元真夏だった。
東京に残してきた真夏には、引き続き、復員の説得に回ってもらっているが、その真夏が、
「少し妙なことが起きてるんだけど━」
と言い出した。
(もうっ…!今度は何なの…?)
次から次へと起こる受難に苛立ちが隠せない。
精神が病んでしまいそうだ。
「日奈子に関することなんだけど…」
「北野日奈子がどうかしたの?」
彼女も、先日、罠に堕ちて捕らわれ、凌辱の被害に遭った。
しかも彼女が受けた拷問は特殊で、相手が男ではなく、同性の女による衆人環視の中でのレズ調教というものだった。
男にやられるのと女にやられるのとで立ち直るのが早くなるか遅くなるかはよく分からない。が、とにかく、そんな彼女が、今、なぜか行方不明だと真夏は言った。
「部屋を訪ねてもいないし、連絡もつかない。外に出歩くほど吹っ切れたのならそれはそれでいいんだけど、どうも気になって…」
と真夏は最後に付け加えた。