乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―





























































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第三部 第五章・伊藤純奈の場合
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 ここは「乃木坂46」の本部に併設された取調室。
 昨日から、その部屋の中では女性の声とは思えないような怒号が飛んでいた。
「しらばっくれてんじゃねーぞ、てめぇっ!」
 その怒号の主、伊藤純奈は、その声とともに悪態をついた組員に張り手を見舞った。
 吹っ飛び、パイプ椅子から転げ落ちる組員。
 瞬く間に腫れ上がる頬を押さえながら、
「この野郎!何しやがるっ!」
「うるせぇ!てめぇが何も吐かねぇからだろっ!」
「だから黙秘だって言ってるだろ!黙秘権を使う相手に捜査官が暴力を振るっていいのか?」
「いいんだよっ!」
 即答し、次はローキックを入れる。
「ぐわっ…!」
「てめえらみたいな外道には何してもいいんだよっ!」
 純奈は馬乗りになって襟首を掴み上げ、
「あの廃校に誘い込むっていう罠、考えたのは誰なんだよ!?」
「お、俺じゃねぇよ…!」
「あぁ?てめぇも一緒になってウチらの仲間に乱暴したんだろうが!」
「で、でも、俺は、ただ、おもしろい話があるって言われて乗っただけで…」
「だから、そいつは誰なんだよっ!ホント面倒くせぇな、てめぇは…!」
 思わず握り拳を作って振りかざす純奈を、
「純奈!やりすぎっ!」
「ダメですよ!純奈さん!」
 と慌てて、新内眞衣と向井葉月が制止する。
 何とかグーパンチは免れるも、そのあまりの気迫に蒼い顔で後ずさりする組員。
 二人に止められて少しはクールダウンするも、まだ怒りが収まらない純奈は、その組員を鬼の形相で睨みつけ、
「ホント、お前らがやったこと、私は絶っ対に許さないからっ…!」
 と吐き捨てた。
 可愛い後輩が廃校に誘い込まれ、次々に襲われたあの一件。
 もちろん室長の白石麻衣をはじめ、仲間思いの全員が義憤に駆られたが、中でも純奈は、ひときわ燃えていた。
 ちょうど今、事後処理に追われて白石や秋元真夏、高山一実らのベテラン勢が出払っているため、その間、検挙した組員の尋問を担当することになったのだが、血の気の多く、勧善懲悪を地で行く純奈が相手では穏やかに進む筈がない。
 男たちの身体には生傷が増える一方だ…。


 その日の夕刻。
 帰り支度をする純奈と新内。
「…純奈、あのさ」
 新内は、少し言いにくそうにしながら、
「取り調べの件だけど…」
「なに?」
「やっぱ、さすがにやりすぎじゃない…かな…?」
「そう?」
「いくら白石さんたちがいないとはいえ…あまりやりすぎて問題になっても知らないよ?」
 と心配する新内に対し、純奈は、あっけらかんと、
「ヌルいんだよ、眞衣は。あんなナメたヤツら、ああやってボコボコにしてやらないと絶対に口を割らないよ?」
「でもさぁ…」
「それに、今回、私はマジで怒ってんの!捜査官じゃなく、一人の女としてっ!」
 と言い張る純奈。
 確かに卑劣な罠だった。
 意外に面倒見の良い純奈が怒るのも無理はない。
「それは分かるけど…」
 だが、その、猪突猛進なところが、新内は次第に心配になっていた。

 ……

 翌日。
 新内の心配が一気に現実となった。
 何やら弁護士を名乗る男が、突然、アポを取って会いたいと言ってきたのだ。
 相手は純奈を指名している。
 もちろん、思い当たる節は一つ。
 やはり取り調べ中の純奈の行動が問題視されてしまったようだ。
「ほら!だから、昨日、言ったじゃん…!どうすんのよ?」
 と、新内は心配したが、純奈は相変わらずあっけらかんと、
「会うよ」
「大丈夫なの?」
「どうせ花田組の顧問弁護士でしょ?牽制のつもりか何か知らないけど、自分たちの方こそ叩けばホコリだらけのくせに…告訴でも何でもしろって言ってやるわ」
 と純奈は自信満々に言った。


 その日の夕刻。
 純奈は、指定された喫茶店に出向き、その弁護士と会った。
 柴崎弁護士。
 花田組の顧問弁護士であり、切れ者と名高い。
 メガネをかけてインテリな雰囲気を醸し出し、時折、柔和な笑みまで浮かべているが、メガネの奥の目は笑っていない。
(へぇ…上等じゃん?) 
 純奈は臆する様子もなく席につくと開口一番、
「私は別に非があるとは思いませんね」
 と言い放った。
「こちらはあくまでも捜査の一環ですから」
「ほぅ。無抵抗の人間に平手打ちをして蹴り上げるのが捜査の一環ですか?」
「調べればすぐに分かるような言い逃れをしたからです。彼らは、問題の廃校で現行犯として検挙しました。弁解の余地がありません」
「しかしねぇ…」
「告訴すらなら自由にどうぞ。公の場に出てまずいことになるのは、むしろ、そっちの方だと思いますけど」
 と、終始、突っぱねる純奈。
 それを聞いて柴崎弁護士は呆れている。
 しばらく無言、というより睨み合い…。
「…話がそれだけなら失礼します」
 と立ち上がり、背を向ける純奈。…だったが、その時!
 突然、その柴崎弁護士が背後から飛びかかってきた。
「くっ…!」
 思わずよろける純奈。
 テーブルを薙ぎ倒し、床に角砂糖が散乱する。
 落ちたグラスも割れた。
「は、離せよ…!」
 振りほどこうと身体を揺する純奈。
 だが、意外に力の強い柴崎弁護士は遠心力に耐え、純奈の身体を羽交い締めにする。
「な、何やってんだよっ!お前、弁護士だろ!?こんなことしてタダで済むと…くっ!」
 店の真ん中で取っ組み合いの二人。
 しかし、店のマスターは何故か見て見ぬフリ…。
 それどころか周りのテーブルにいた客の男たちも急に立ち上がり、一緒になって純奈を取り囲む。
(くそっ…!)
 どうやらコイツら全員グルのようだ。
「ふ、ふざけんなよ!てめぇら…!」
 身体を振り乱す純奈。
「腕だ!腕を固めろ!」
「脚も押さえちまえ!」
 飛び交う男たちの声。
 とうとう口まで塞がれたところで一人の男が前に立ち、
「へへへ。まんまと罠にかかっちまったなぁ?じゃじゃ馬の伊藤純奈ちゃんよォ!」
「ぐぅぅ…!」
「お前さんはウチの組員の中じゃ人気者だぜ?二度とその生意気なツラを出来ねぇように男の怖さをたっぷりと教えてやりてぇ…ってな!」
(くっ…!)
「さぁ、そろそろ観念しろよ、おらっ!」
 無防備なみぞおちに決められる強烈なボディブロー。
 ぐにゃっと身体を折り、崩れ落ちる純奈。
 気絶していることを確認して、
「…よし、運べ!」
 と組員たちに命じる柴崎。
 その目は既に、柔和な弁護士の目ではなく、立派な幹部クラスの目に変わっていた。
 さらに柴崎は、この店のマスターに十万円の入った封筒を手渡し、
「迷惑料だ。その金で一週間ほど温泉でも行ってきな。店は俺たちが出ていったらすぐに閉めた方がいい…」
 と、急にドスの利いた声を聞かせて、そのまま立ち去っていった…。

鰹のたたき(塩) ( 2020/04/27(月) 15:19 )