1.帰国
桜井玲香は、手を結ぶ高山一実から、また新たな犠牲者が出たと知らされた。
襲われたのは斉藤優里、彼女とも旧知の仲だった。
じわじわと戦力を削がれていく現実に、受話器越しに頭を抱える二人。
その落胆は電話を切った後も消えない。
(やはり、この抗争を収めるには私が出ていくしか━)
これ以上、周りの若い捜査官を巻き添えには出来ないという思いが、日に日に大きくなる。
首謀者の鮫島が目の敵にしているのが自分自身だということが分かっているから尚更だ。
(私が出ていけば、それ以上、新たな犠牲者は出ない筈━)
しかし、その心境を吐露するたび、秋元真夏が叱りつけるように、
「一人で行って何が出来るというの?向こうは花田組と結託して大勢で罠を張っている。そんな状況で焦って飛び込んでも返り討ちに遭うだけ。そして玲香がやられたら私たちも終わり。だから、そうはならないように今は耐え忍んで、じっと反撃のチャンスを待ちましょう。必ず時は来るから!」
と、玲香を何度も制止し、諭した。
確かに一理ある真夏の言葉に納得するしかない玲香。
防戦一方の現状を打開できる好機は果たして来るのだろうか。
……
一方その頃。
昨夜、ドイツのデュッセルドルフを発ったジャンボ機が、12時間以上に及ぶ長時間のフライトを終え、成田空港に到着した。
そして、そのジャンボ機から降り立つ一人の女性。
彼女の名は生田絵梨花。
元・性犯罪対策課の捜査官で、以前は情報収集や聞き込みなど日陰の仕事に奔走していた。
現在は国際犯罪対策課に転属し、ドイツ支部の局員として活動している。
そんな彼女が日本へ帰国したのは半年ぶりだった。
旧知の間柄である桜井玲香が困窮しているという話を聞き、長期休暇を取って帰ってきたのだ。
その橋渡しとなったのは、以前、日本を発つ直前まで妹分として可愛がっていた久保史緒里。
現在は玲香の下で活躍している彼女から、国際電話で自分たちの窮状を聞かされ、妹分の危機にいてもたってもいられなかった。
入国を済ませ、到着ロビーに出ると、目の前の景色、そして聞こえてくる言語が懐かしかった。
飛行機の到着時刻に合わせ、久保が迎えに来てくれると言っていたので、生田は、人ごみの中、久保の姿を探した。
しかし、人が多くて、見当たらない。
(あの娘ったら、もしかして…!)
生田が考えたのは、成田空港の到着ロビーは二ヶ所あるので、もしかすると、その反対側のところで間違えて待っているのかもしれないということだった。
念のため、そっちへ行ってみようと歩きかけた時、ふいにアナウンスで、
「生田さま━」
と呼ばれた。
耳を澄ませると、
「生田絵梨花さま。久保史緒里さまがお待ちですので、いらっしゃいましたらサービスカウンターまでお越しください。…繰り返します。生田さま━」
と、確かに自分の名前が呼ばれている。
生田は思わず頬を赤らめて、
(やめてよ。迷子の子供じゃあるまいし、恥ずかしい…!)
と苦笑いしながら足早にサービスカウンターに向かった。
サービスカウンターに近づいた時、ふいに、生田の顔色が変わった。
そこに姿が見えたのは迎えに来てくれている筈の妹分の久保史緒里ではなく、昔、性犯罪対策課で同僚だった衛藤美彩だったからだ。
咄嗟に身構えるような目になったのは、最近、この女が、正義に背き、悪の道へ寝返って相手方に加担していると史緒里から聞いていたからだ。
(その彼女が、なぜここに…?)
一瞬、考えてから、生田は急にハッとして、
(まさか━!)
と顔を蒼くした。
衛藤はこちらに気づくと、サービスカウンターの係員と会釈をして別れ、近寄ってくるなり、黙って一枚のメモを生田に手渡した。
さっと目を通す。
(━━!)
やはり、危惧した通りの内容だった。
<黙読すること。
お前の可愛い妹分は預かっている。
今のところは無事だが、もし、この場で騒ぎ立てたり、こちらの要求を拒否する場合は身の安全は保証しない。
無事に助けたければ黙って後についてくること。
以上>
ニヤリと笑って先を行く衛藤。
生田はそのメモをくしゃくしゃと丸めて拳の中にしまうと、苦い表情で、黙って、その後に続いた。