君の隣、僕のしっぽ
02
 鼻歌が聞こえる。
 それは僕の大好きな彼女のソロ曲だった。
 彼女の声を聞くといつも安心する。
 彼女の悩みを僕はどれだけ聞いてあげられてただろう。僕はいつも彼女のワガママを叶えてあげられず、彼女が泣いている時には、涙を拭ってあげることもできなかった。僕はただ彼女の隣にいることしかできない。

 寝惚けた瞼をゆっくりと開くと、優しい七瀬の顔があった。
 微笑む彼女は体をべたりと畳にくっ付けて、うつ伏せに寝転がっていた。僕の寝顔をずっと見ていたのだろうか。七瀬が頰を撫でる。
 顔を少しだけ起こすと、彼女は言った。

「テン、いつもありがとね。側にいてくれて」

 ぼんやりとした意識の中で、ふと、七瀬と初めて出逢った日のことを思い出したーー。


 ダンボールで囲まれた視界に覆いかぶさる木々の枝から微かに覗く青い空を今日も見上げていた。
 誰からも忘れられたように、日の当たることのない湿った公園の隅。
 公園の砂を蹴る子どもたちの声と転がるサッカーボールの音。
 空を羽ばたく鳥たちに笑われる毎日。
 身を乗り出して、助けを呼ぼうにも僕にはこの数センチしかない紙の壁ですら大きかった。僕の小さな一生はここで、誰の目にも触れられることもなく、終わりを迎えるものなんだと、そう思っていた。

 風に乗った桜の花びらが一枚、ひらひらと額に落ちてきた。花びらの湿った感じが気持ち悪い。
 春だというのに、僕の生きるこの世界は冷たく、暗い。涙を流しても、僕の声は届かない。
 目が覚めたある朝、僕はここにいた。昨日までの温かい生活が突然消え去り、気がつけば公園の片隅で何日も過ごしていた。狭い箱の中、食べ物もなく、濡れたダンボールの床に座り続けた。
 みんなが探しに来てくれると信じて、何日も待ち続けた。しかし、誰も来なかった。
 雨の降る夜は体が震えた。雨は感情もなく、僕に激しく打ちつけるばかりだった。僕はただ雨が止むのをじっと待つしかなかった。そして、朝が来て、雨が止んでも二、三日は体の震えが止まらなかった。
 
 僕はもう、ここで死ぬんだ。
 僕という存在はこの世界にとってどんな意味があったのだろうーー。そう、空を見上げた時だった。七瀬が僕を、見つけてくれた。





氷華 ( 2018/11/08(木) 07:59 )