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「じゃあ」
「うん」
それだけ交わして、私は背を向けた。本当は聞きたいことがたくさんあった。
あったけど・・・慶治くんが幸せな絵を描いているなら、それでいい。それを知っただけで、私も幸せな気持ちになれたから。
だから言わなかった。
またねとは言わなかった。
「七瀬っ」
その時、背中に名前を呼ばれた。振り返ると慶治くんが腕を伸ばし、空を指した。
私は立ち止って空を仰ぐ。青く青く澄みきった空。その空に白い線がすうーっと一本引かれていく。
飛行機雲。
あの大阪の川原で慶治くんが指で描いた飛行機雲を思い出す。
「元気でな」
視線をおろすとそう声を上げる慶治くんと目が合った。
「慶治くんも」
慶治くんはいつもと同じ穏やかな笑顔を見せた。
私は土手を振り返らずに歩く。
犬の散歩をしている人とすれ違い、自転車に乗っている人がに追い越されていく。
やがて、目の前に赤ちゃんを胸に抱いた女の人の姿が見えた。土手の上の道でその人とすれ違う。
長い髪が風にさらりと流れ、その瞬間、懐かしい記憶が甦った。
甘い香り。
慶治くんが彼女と会った日に、彼の服から漂ってきた女の人の香り。
しばらく前を向いたまま歩き続けたあと、ゆっくりと振り返った。赤ちゃんを抱いた女の人が慶治くんのもとへと向かう。
立ち上がった慶治くんは彼女と何か話したあと、寄り添うように三人で歩き出した。
ああ、そうか。そうやったんや。
彼女の抱いていた赤ちゃんを慶治くんが抱き上げる。背中を向けている彼の表情はわからなかったけど、簡単に想像できた。
「よかったね・・・慶治くん」
隣を歩く彼女の手が愛おしそうに慶治くんの腕を抱きしめた。
ゆるやかな坂道を一人で歩いた。小雨の降る中、初めてこの道を歩いた日、不安でいっぱいだった気持ちを思い出す。
やがておばさんと住む隠れ家のような大きな家が見えてきた。
私は立ち止まり、その家を見上げた。蔦の絡まり合う、二階の部屋にあたたかい日差しが差し込んでいるのがわかる。
――七瀬! 雨が止んでる。外に絵を描きに行くか?――
――うんっ! ななも一緒に行く!――
引っ込み思案だった私を外へ連れ出し、お父さんは色とりどりの世界を見せてくれた。
――七瀬、外を見てごらん。この世の中は、こんなにたくさんの色があふれているんやで――
空の色。雲の色。風に揺れる草花の色。桜の色。落ち葉の色。雪の色。そして夜の色と、そこに浮かぶ月の色。
淡く濃く、鮮やかで儚いその色たちをきっとあの人も同じように見ている。
今度の日曜、スケッチブックを持って出かけてみようかな。
そんなことを考えながら、また歩き出す。
そうや、おばさんも誘おう。
お花見の時期は過ぎちゃったけど、サンドイッチ作って、風に吹かれて、春の色を探しに行こ。
そう決めると躍りだしそうな足取りで家へと向かって歩きはじめた。