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どんよりとした曇り空の寒い日。学食で向かいの席に座った万理華が言った。
「慶治・・・学校辞めたんだって?」
七瀬はこくんと頷いた。
「うん、学校辞めて働くって。とりあえずはおばさんの絵画教室を手伝ってるけど、いつまでも世話になるのは悪いから就職先も探すって。もう実家にも戻らないって」
「・・・そっか」
万理華がぽつりとこぼした。
美大に通うのを辞めてしまった慶治。そして、そんな慶治を追いかけて入学してきた万理華。
万理華は今、何を思っているんだろうか。
「辞めないよ」
万理華は顔を上げた。
「私は辞めない。小さい頃から描いてきた絵だもん。ここで描き続けたいって思ったからね」
「うん、そやね。私も同じ」
小さく頷く七瀬に万理華が笑顔を見せた。
「とりあえずは、目の前の課題を仕上げなくちゃね。七瀬は終わった? この前の自由課題」
「あ、まだや・・・」
「大丈夫? 締切もうすぐだよ?」
「だ、大丈夫と思う。・・・多分」
もうっと笑ってから、万理華が言う。
「でも、もっと心配なのは慶治の方かな。あいつ、結局は温室育ちのお坊っちゃんだからさ。甘いんだよね、考えとかさ」
少し大人びた表情でそう言った万理華が、バッグの中から一通の封筒を取り出した。
「ま、私も甘やかしちゃってるとは思うけどね」
そして、それを静かにテーブルに置いた。
「これね、奈々未姉から来た手紙なの」
「え?」
春色の封筒には綺麗な字で万理華の名前が書かれている。
「ちゃんと新しい住所も書いてあるの。家を出たって言っても、几帳面な奈々未姉だもん。家族と完全に縁を切ることはできなかったみたいね」
万理華は指先でそっと封筒を裏返す。差し出し人の欄には都内の住所とアパート名が書かれてあった。
「新しい場所で仕事も見つけて、元気にやってるって。だから心配しないでねって、便箋3枚にぎっしり書いてあるの」
万理華はふふっと封筒を見つめながら笑う。
「でもね、奈々未姉の口数が多い時は不安になってる時なの。昔からそう。本当は一人ぼっちの生活に馴染めなくて寂しい思いをしてるんじゃないのかなぁ、なんて思うの」
そう言った万理華が封筒をすっと七瀬に差し出した。
「これ、慶治に見せてあげてくれないかな?」
「え・・・」
「私宛の手紙だけど、私が許す。住所も書いてあるし。これをどうするかは慶治の自由だけどね」
七瀬はその封筒をそっと手に取る。
「私ね、最近よく思い出すの。小さい頃から私っていつも、奈々未姉のものを欲しがってた。その度に、いいよって譲ってくれてさ。歳が離れてたからってのもあると思うけど、それでも我慢してたこと、いっぱいあったんじゃないのかな」
万理華が穏やかに微笑む。七瀬はそんな万理華を黙って見つめた。
「だからもう、奈々未姉には我慢しないで欲しいの。私に遠慮しないで、本当に好きな人と一緒になって欲しい」
万理華の声が学生たちの笑い声にかき消されていく。手の中にある淡い色の封筒が、七瀬にはなぜだかずっしりと重く感じた。