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七瀬は政江と食後のイチゴを食べてから二階へ上がり、自分の部屋へ入った。だけど、なんとなく落ち着かなく、部屋の中をうろうろしているとドアをノックする音が聞こえた。
「俺だけど。入っていいか?」
「ど、どうぞ」
(ホンマに来た)
もしかしたら来ないかも、と勝手に思っていた七瀬の予想を裏切り慶治が約束通りやって来た。
「イチゴ食ったの?」
「うん」
ドアを開けた慶治は軽く七瀬に笑いかけると、なんの躊躇もせず部屋の中へ入ってきた。
「あの、私に見せたいものって?」
七瀬の言葉を無視する様に目の前を通り過ぎ、窓際に立った慶治の手が勢いよくカーテンを開けた。
「七瀬、こっち来てみ」
「え?」
七瀬は言われるままに窓へと近づく。慶治の開けた窓から暖かい風がかすかに吹き込む。
「あ・・・」
深く濃い青色をした夜空の真ん中に、白く輝く月。
「さっき外歩いてたら満月だったからさ。そういえば、この窓からよく月が見えたっけなぁって思い出してな」
窓から空を見上げながら、慶治の声を聞いた。動けば体が触れてしまいそうなほど近くにいる慶治の声を。
「よ、慶治・・・くんって」
初めてその名前を七瀬は口にした。
「意外と・・・ロマンチストなんやね?」
「なんだそれ? 初めて言われた」
隣で笑っている慶治の顔が恥ずかしくて見れなかった。
「言っとくけど俺はリアリストだ。ロマンチストなのはあんたの方だろ?」
そう言った慶治の体が七瀬の側から離れていく。
「見せたかったってのは、これだけ。じゃあな」
「あのっ、ちょっと待って」
背中を向けた慶治のことを呼びとめた。
「一つだけ、聞いてもええ?」
ゆっくりと振り返った慶治が七瀬を見る。
「なんだ?」
「その、慶治くんって・・・なんでこの家に住んでるのかなって思って」
「あぁ」
体をこわばらせている七瀬の前で、慶治が口元を緩ませた。
「俺さ、政江さんに拾ってもらったんだ」
「え?」
「行き場を無くしてフラフラしてた俺にだったらここにいればいいって。政江さんが拾ってくれた」
「・・・・・・」
「ま、分かんねぇだろうな。あんたみたいな幸せそうな子には」
慶治が笑いながら部屋を出て行く。七瀬はその場に立ち尽くしたまま、静かに閉じられたドアを見つめた。
(それなら、慶治くんは幸せちゃうの? 誰もが羨むもの、いっぱい持っているのに)
七瀬は一人もう一度、窓の外を見上げた。夜空に浮かぶ満月は辺りをうっすらと照らしている。
部屋にはさっき慶治と触れ合いそうなくらい側にいた時に彼のシャツからした甘い香りが残っている。
それは女性用の香水のような香りだった。