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慶治が有名人と言われる要因の一つが彼の父親の存在。椎名慶雅は名の知れた日本画家だった。七瀬も名前くらいは、聞いたことがあった。
もちろん、慶治自身も幼少の頃からいくつものコンクールで賞を取っているような才能ある人物なんだと、怜奈は言っていた。
(なんで、近くに立派な家があるのにあの人は下宿なんてしてるんやろか?)
七瀬には不思議に思えて仕方がなかった。
「もう学校には慣れた?」
夕食の席、大きなダイニングテーブルに向かい合って座った政江が言った。
「うん。でもまだ、オリエンテーションとか説明会ばかりで」
「お友達は出来たの? 七瀬ちゃんのお母さんもそれを心配してたから」
政江の言葉に七瀬は苦笑いを浮かべた。
確かにこれまでも七瀬は友達が多い方ではなかった。その上、仲良くなるのに時間もかかる。でもそれを大学生にもなっても母親に心配されているなんて、少しだけ情けない気持ちになった。
「大丈夫。友達は出来たから。ねぇ、政江おばさん。今度その子をこの家に呼んでもいい?」
「もちろんよ。七瀬ちゃんのお友達なら大歓迎。あ、彼氏も出来たら紹介してね。おばさん楽しみにしてるから」
「彼氏なんて・・・」
政江が七瀬の前でにこにこと微笑んでいる。だけど七瀬は複雑だった。政江に彼氏を紹介する日なんて、きっと来ないんじゃないかと思ったからだ。
「ごめんね、おばさん」
誰にも聞こえないほどの声で呟いた時、ダイニングのドアが勢いよく開いた。
「あら、慶治くん。お帰りなさい」
七瀬が振り返るとダイニングの入り口に慶治が立っていた。
「夕飯は食べてきたんでしょ?」
「はい」
「あ、今ね、七瀬ちゃんとイチゴ食べようと思ってたところなのよ。慶治くんも一緒にどう?」
「あ、俺はいいです。腹一杯なんで」
政江と話している慶治の顔をちらりと七瀬は見上げた。
(いっつもご飯、どこで食べてくるんやろ? 一人なんかな?)
「ん? どうした?」
いつの間にか慶治のことをじっと見ていたことに気付き、七瀬は慌てて顔を背けた。
(うわ、こんなん、大学にいる子らと変わらんやん)
みんながこの人のことを見ている。父親が有名人で、本人にも絵の才能があって、見た目も良くて、女の子たちに騒がれている芸術のことを。
「あ、そうだ」
ダイニングを通り抜け自室に向かう途中で慶治が七瀬の方を向いた。
「七瀬」
慶治に名前を呼ばれると今だに七瀬は焦ってしまう。父以外の男の人に呼び捨てで呼ばれたことなんて今までなかったからだ。
「ちょっと見せたいものがあるんだ」
「な、なに?」
心臓がどきんと跳ねる。
(やっぱし男の人と話すの苦手や)
そんな七瀬を見て慶治が小さく笑う。
「イチゴ食べ終わったら、あんたの部屋行ってもいいか?」
「え、い、いいですけど」
「そうか。じゃ、あとでな」
「う、うん」
(なんなんやろ。私に見せたいものって)
ドキドキしながら慶治から目線を戻すと、穏やかな顔で七瀬のことを見つめている政江と目が合った。