01
「海へ行きたい」
突然に彼女は振り返ってそう言った。
「急だな」
苦笑いを浮かべると、彼女は怒っているのかと思うぐらい真剣な顔で歩み寄ってきた。
「連れてって」
彼女らしくない強い要求に驚いたが、滅多にない彼女の頼みならと、俺は頷いた。
「いいけどさ。で、いつ行く?」
「今すぐ」
畳み掛けるように彼女が答えて詰め寄ってくる。見上げてくる視線が挑むように俺をとらえる。
「もう9時前だぞ」
今から海へ行くとすると、どんなに急いでも到着は10時過ぎだろう。つまり、帰ってくるのは夜中。
海を見て楽しめる時間ではないし、2月の深夜。とにかく寒い。やんわり断ると彼女が俺の服を掴む。
「お願い。連れてって」
「どうした、突然」
こわばったようにも見える彼女の真剣な顔をまじまじと見つめると、彼女は目を反らすように俯て黙り込んだ。
俺はゆっくりと息を吐く。
(甘いなぁ)
心の中でそうつぶやいた。
ついこの間、彼女は18になったばかり。10も年下の、しかも女子高生。どう考えても子供なのに。『好き』と言われ、潤んだ目を隠し、まるで睨み付けるように見つめられたあの時、俺は彼女を抱きしめたい衝動と戦う羽目になった。
彼女を子供と割り切れない自分を自覚した。惚れた弱みというやつだ。
「・・・家に連絡したら、な」
驚いたように顔を上げた彼女に俺は苦笑いを浮かべる。
彼女が喜ぶのなら叶えてやりたいと思うとか、どんだけ溺愛しているのかと。
このくそ寒い冬の夜の海とか、バカじゃないかと思うのに、彼女が喜ぶ顔を想像したら、アホみたいに浮かれて行く気になる。
見上げてきた彼女の表情がほころんだ。
(ホント甘いなぁ)
しみじみと自覚する。かわいくてたまらないと思ってしまう自分にただただ笑うしかない。
「今日はお父さんとお母さん、二人で旅行に出かけてるから大丈夫」
うれしそうに言う彼女に俺は自虐的に考える。
(おいおい、勘弁してくれよ。俺の理性を試す試練か。こりゃ)
車の助手席に彼女を乗せ、海へ向けて出発した。
あの時、『付き合って』と続けた彼女に『高校卒業してから出直してこい』と、とりあえず大人の理性で踏みとどまった。さすがにダメだろう、三十路を目前にして女子高校生とか。せめて女子大生だよな。
それでなくても妹のクラスメートとか手を出すのに踏みとどまりたくなる条件がそろいすぎている。
運転の合間にちらりと隣に目をやると、嬉しそうにこちらを見ていた彼女と目が合った。
不安はある。俺が彼女の年齢を子供だと思うように、彼女からすると俺は完全におっさんだろう。
ほんの二ヶ月が待ち遠しい。とりあえず、大学入学を彼女をくどく解禁日に予定している。どうか心変わりしてくれるな、とか願ってしまう。彼女の周りにいる彼女にふさわしい年齢のガキどもにつかまってくれるな、と。
この年になると生活が単調になりがちで、数ヶ月でプライベートが変化する事は少ない。けれど、十代の子にとっての一ヶ月は俺の一ヶ月とはずいぶん違う。ましてや年度替わり前後の季節、たったの一ヶ月がプライベートを大きく変化させる事は少なくない。