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しかし、その人物はなかなか出てくれなく、しかも嫌悪感剥き出しの第一声に思わず苦笑いを浮かべた。
『もしもし?』
だるそうに電話に出たのは玲香の親友の佑美だ。玲香は家出する時は決まって彼女の部屋に上がり込む。
「あ、俺、修介だけど。その・・・・・・玲香いないかな? いるなら変わってほしいんだけど」
『は? 今更?』
努めて低姿勢。かつ穏便に済ませたいという平和主義の俺の意向は聞き入れてはもらえないようだ。その刺々しい話し方が耳に刺さる。
どうして女同士の友情はこんなにも律儀で結束力があるのだろうか。特にこんな場合は一段と連帯感とやらが上がるから厄介なことこの上ない。
『玲香ならいないよ』
「ほんとに?」
『なんなら確かめに来る?』
「いや、遠慮しとくよ」
玲香がいないなら佑美との電話にもう意味はない。出来れば一刻も早く電話を切りたかったのだが、そう簡単に切らせてはもらえないようだ。
電話の向こうから深い溜め息と共にお説教が始まった。
『あんたってさ、なんでいつもそうなわけ? もう少し玲香のこと考えなよ』
「考えてるさ」
これは自信を持って言えた。本気に将来のこともちゃんと考えている。だからこそ必死こいて仕事も頑張っている。
家事だって彼女任せには絶対にしない。ご飯を作ってくれたら、洗い物は俺がしたし、ゴミ出しだって部屋の掃除だって協力し合っていた。
"私はあなたのお手伝いさんじゃない"なんて絶対に言われたくなかったし、言わせたくなかった。
それが俺なりのプライドであり、優しさでもあった。
『そう? でも、玲香は寂しそうだったけど?』
「え・・・・・・」
一瞬だけ玲香の哀しげな顔が浮かび、すぐに消えた。
もう手が届かない何処かへ行ってしまったような虚無感に襲われる。
『あんまり寂しそうだったからさ、あんたなんかより、もっといい男紹介してあげるって言っとてあげたわ』
「余計なこと言うなよな」
これだから女友達は信用できない。
『余計なことじゃないでしょ?』
電話越しでもより一層と刺々しさが増したのが充分に分かった。
『じゃあ聞くけど、最近デートしたのはいつ?』
『愛してるって言葉にしたのは何日前?』
『玲香が怒った理由ちゃんと分かってる?』
矢継ぎ早に次々と言葉を投げ込んでくる。恐ろしいほどに破壊力のある言葉の球筋に俺は返す言葉を探した。
最近デートしたのはいつか?
―――いつだろう。土日の休日は家でゴロゴロすることが多かったのは確かだ。玲香も催促しなかったし、家でゆっくりするのが好きなんだと思ってた。でも、もしかしたら俺に気を遣っていただけなのかもしれない。
"愛してる"を口にしなくなったのはいつからか?
―――そんなの気にしたことなかった。一緒にいる時間が長くなればなるほどに、お互いの信頼は強くなる。信頼しあえば、言葉なんてなくてもお互いの考えてることは、なんとなく分かるはずだ。
なぜ玲香はあんなに怒ったのか分かるのか?
―――全然分からない。結局、俺は何も分かっていなかったのだろうか。
『ちょっと、聞いてる?』
「あ、悪ぃ」
軽いカルチャーショックに目眩までしそうだ。
俺は今まで玲香の何を見てきたんだろうか。
幸せだと感じていたのは俺の単なる自己満足でしかないのだと思い知らされた。
『私だってね、玲香のあんな顔みたくないの。喧嘩の度に部屋に上がり込んで来て、あんたの愚痴聞かされる私の身にもなってよね!
ここは駆け込み寺じゃないっての!』
鼓膜を響かせるキンキン声に思わず携帯電話を遠ざけた。
『・・・・・・でもね、嫌だって言われちゃったの。誰も紹介していらないって。どうしてもあんたがいいんだってさ。良かったわね、見捨てられなくて』
やってられないと言う風に佑美は鼻で小さく笑った。
その後もぐちぐちと説教は続いたが俺の心はずっと玲香を求めていて、お説教の半分も聞いていなかった。
「じゃ、やっぱそこにいたんだな」
『今朝までね。なんか今日はどうしても行きたいとこがあるとかで、早くから出ていったよ』
「何処行ったか分かるか?」
『それは知らないわ。っていうか、あんたこそ分からないの? 一応は彼氏なんでしょ?』
正直分からなかった。てっきり佑美の部屋にいるもんだとばかり思っていて、それ以外の答えは想定していなかった。
たった1週間前。そのたった1週間前のことが、何ヵ月も前のことのように感じる。
玲香の笑顔が思い出せない。あの柔らかな暖かみのある笑顔が―――
「いくつか心当たりがあるから探してみるよ。ありがとな」
そう言って電話を切ったものの探すあてなんてなかった。
取り敢えずは部屋でじっとしてることはできなかった。
これは彼女の優しさに胡坐を掻いていた俺への罰なのかもしれない。もし、それが玲香の出したSOSならば見過ごしていいわけがない。
俺は小雨降り頻る空の下、逢えますようにと願いながらマンションの階段を降りた。