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「アイツ、来たんですか?」
カウンター席に座りながら、向こう側にいるマスターに視線を合わせた。
「来たよ」
マスターは手慣れた手付きでコーヒーを入れながら答えた。
「いつですか?」
思わず身を乗り出してしまった。
こんなに必死こいて玲香の足取りを探るくらいなら、なぜすぐに追い掛けてやらなかったんだろうと後悔の念ばかりが渦をまく。
「先週だったかな。えらく元気がないもんだから心配になってね、訳をきいたらさ」
そこでマスターは言葉を切った。なぜか困ったような顔だ。
「訳をきいたらなんですか? 勿体ぶらずに教えてくださいよ」
口籠もるマスターに苛々としてしまう。マスターにあたるのは筋違いなのは百も承知だが、今はどんなことをしてでも、玲香の残り香でもいいから触れていたかった。
「いやね、教えてあげるのは簡単だけど。答えは君自身で気付かなきゃ意味ないんじゃないかな。そう思うと、私の口からは言えないかな」
「なんですか、それ」
散々、引っ張った最後がこれとはあんまりだ。
「ま、コレでも飲んでじっくり考えなさい」
そう言って出してくれたのはずっと置きっぱなしになっていたマイカップ。
「・・・・・・いただきます」
一口飲めば、酸味のある香りが鼻を抜け、コクのある味わいに渇いた喉が潤って、風味豊かな茶色の液体がまた昔の記憶を呼び起こす。
いや、正確にはこのコーヒーではなく、この手にしたカップが玲香へと導く鍵となってくれたのだ。
「このカップ、あの時、玲香が買ってくれたものだ」
俺はコーヒーの熱で熱くなったカップを両手で支え、よく見えるように目と同じ高さまで持ち上げた。
あの時とは、初めてデートに誘った時のことだ。『一緒に買いに行かないか?』と誘って、次の休日に2人で買いに行ったあの日。
俺は玲香に選んでほしいと頼んだ。玲香が俺のためにカップを選んだ。
あれも素敵! これもかわいい! と次々と目移りさせながらも選ぶ目はとても真剣で、そんな彼女を隣で眺めていた俺はとても幸せだった。
だからその時、俺も彼女に色違いのカップをプレゼントをしようと決めた。彼女には内緒で帰りに寄った公園でそっと渡した。
俺の想いと一緒にそのカップをプレゼントした。
その時の彼女は恥じらうように頬を紅潮させながら、嬉しい! と弾むような声で喜んでくれた。
俺たちは互いに想いを告げ合い、帰り道は手を繋いで歩いた。
雨上がりの散歩道は陽の光が水溜まりに反射しキラキラと輝いて見えて、なんだか胸の辺りまでこそば痒い感じがしたのを憶えている。
『もう割らないでくれよな。このカップは2つで1つなんだからさ』
冗談半分。ただその場の勢いでそんなことを口にしていた。
決して本気で言った言葉ではない。たとえ割れたとしてもまた買いに行けばいいと思っていたのだから。
俺はまた一口コーヒーを飲んで手にしたカップをまじまじと眺めた。
同じだ。俺が割ったあのカップと。色違いなだけで。
つまり、玲香が大事に使っていたカップは俺がプレゼントしたあのカップで、それをこの俺が割ってしまった。
そのことにやっと気付いた。
自分で割るなと言っておきながら。自分がプレゼントしたものだったことさえも忘れて。
「あっ」
そして、もう見つけたのは小さく彫られた日付。その日は4年前の今日の日付だった。
俺は玲香になんて言った?
『新しいの買えばいいだろ』
『捨てられない理由でもあんのかよ?』
いくら忘れていたこととはいえ、そんなことがよく平気で言えたもんだ。
俺はひたすらに己を責めた。
「マスター!」
俺が顔を上げるとマスターは穏やかな笑顔を向けてくれて、何も言わずとも悟ってくれているようだった。
やはりマスターは全てを知っていた。
玲香が怒った理由も。俺がここに来た訳も。俺にカップを見せれば思い出すだろうことも全て。
「あんまり可愛い孫娘を泣かさないでよ?」
マスターは悪戯な笑みで俺を睨んだ。
俺はそんなマスターの気遣いに感謝しつつ店を飛び出した。
昔行った雑貨屋にも行ってみたけど、玲香はやはりいなくて、そうなってくるとやっぱりあの公園しかない。この辺りで一番大きい公園。池や林があり、休日ともなれば家族連れがピクニックを楽しみにやってくるスポット。
きっと、いや絶対に玲香はそこにいるはずだ。
俺は引き寄せられるようにただ真っすぐにあの公園へと駆け出した。