09
驚いた眞衣が顔を横に向けると凄まじい形相の樹がいた。樹がテーブルを蹴ったのだと、ゆっくり理解した。
「な、何するんだ! いきなり」
呆気に取られた顔をしていた裕也が我に返ったように声を荒げた。
「それはこっちのセリフだよ、おっさん。さっきから聞いてりゃ、あんたは眞衣ちゃんのことなんだと思ってんだよ」
冷静だか明らかに怒気を孕んだ口調の樹を不思議な思いで眞衣は見上げた。
「知り合いか、眞衣」
裕也の問いに眞衣が頷こうとした時、強い力で腕を引っ張られた。樹が思わず浮かした眞衣の腰に手を回す。
「婚約者だよ」
何を言い出すのかと思い、樹の顔を見る。裕也は冗談だろうと笑いだす。
「ずいぶんと若い婚約者だな。眞衣、そんな嘘ついて楽しいか?」
揶揄するような声。不機嫌な視線を向けられて体が震える。
「嘘じゃないさ。眞衣ちゃんは俺のだ」
樹はあくまで真剣な表情で裕也を見据える。
「ちょ、樹。何言って・・・」
「眞衣ちゃんは黙ってて。あんたみたいな奴に眞衣ちゃんは渡さない」
そう言い捨てると眞衣の腕を引いて樹は歩き出した。強い力で逃れることができない。眞衣はスカートのポケットに手をつっこんで、指輪を裕也に投げつけた。
「それ、返す。もう二度と会わないから」
言えた。眞衣は安堵の表情を浮かべ、そのまま店から出ていった。
しばらく、樹に引っ張られるように歩かされ、いつの間にか樹のマンション前まで来ていた。そして、玄関に入ってようやく手が離される。
「ふざけんなよ、何やってんだよ眞衣ちゃん」
大声で怒鳴られ、いきなり腕を掴まれた。そのまま、引き寄せられる。
「いつ・・・」
「あんな奴のどこがいいんだよ、あんなのと付き合ったって、眞衣ちゃんが不幸になるだけだろ」
眞衣を腕の中に閉じ込め、苦しそうに吐き捨てる樹に眞衣は戸惑いを見せる。言葉が何も出てこない。
樹は眞衣の肩に顔を伏せるようにして、声を洩らす。
「なぁ、眞衣ちゃん。俺じゃダメ? 俺じゃダメか?」
眞衣はその言葉を聞いた瞬間、腕に力を込めた。渾身の力で樹の体を突き飛ばす。
「ふざけないでっ! 樹もあいつと一緒じゃない! 美月ちゃんはどうなるの? 婚約者だなんて嘘で彼女がどれだけ傷つくか分かってるの?」
眞衣の脳裏に、泣きながら来ないでと訴えた彼女が映る。
「何言ってんの? 何で、美月の話が出てくるんだよ」
しらばっくれる気かと、眞衣はさらに声を荒げる。
「付き合ってるんでしょ? 全部知ってるのよ。妊娠したって、結婚するって。昨日、美月ちゃん本人から聞いたんだからね」
大きな声を出し過ぎたせいか、肩で息をする。興奮のし過ぎでうっすらと目に涙まで浮かんできた。まずい、そう思い樹から顔を背ける。
「眞衣ちゃん。ちょ、ちょっと待って」
そう言って、樹は眞衣の肩を掴む。
「いちいち触らないで」
眞衣が怒鳴ると樹は一瞬傷ついた顔をして肩から手を離した。
「眞衣ちゃん。俺、本当に美月と付き合ってないよ。美月が付き合ってるのはマスターだし」