それでも君を
03
 目的地は樹の住むマンションから徒歩二分程度の場所にあった。雑居ビル一階の小洒落た喫茶店だ。喫茶エデンと書かれた小さな看板がドアの前に立っていた。

 樹は躊躇うことなく喫茶店のドアを押し開いた。開くと同時に来客を告げるベルが鳴る。落ち着いた雰囲気のある店内は朝早いせいか客の姿はない。

 正面にあるカウンター席の奥から、いらっしゃいませと声が上がった。眞衣がそちらに目を向けると、樹と同じ年頃の綺麗な若い女性と目が合った。そして、その隣に立つ人物に目を向け、本日二度目の大声を上げた。

「あ、桜庭くん!」

「新内か?」

 チェックのシャツに、茶色いベストを着た男性がどちらかというと控え目に声を上げる。彼の横に立っていた女性が軽く目を細めた。

「何、眞衣ちゃんマスターと知り合い?」

 眞衣は訝しい声を上げた樹には目もくれず、耳に入った言葉を繰り返した。

「え? マスター? 桜庭くんが?」

 驚きの声を上げる眞衣に桜庭と呼ばれた男性はゆっくりと頷く。

「いらっしゃい。入口に立たれると邪魔だから、こっち来て座ってくれる?」

 およそ客に向ける言葉ではないことを口にして桜庭は微笑んだ。誘われるように眞衣は樹と並んでカウンター席に座った。

「ね、眞衣ちゃんってば。マスターとどういう関係?」

 何故かふてくされたような顔で樹が眞衣に詰め寄る。眞衣はカウンター席の椅子から落ちるのではないかと思うほど背をのけぞらせた。

「た、ただの高校の同級生よ」

「そうそう。ただのね」

 カウンターの奥から桜庭が同意した。そんな桜庭に樹と眞衣が同時に顔を向ける。桜庭は細い眼をさらに細めて笑顔を作った。

「まさか。新内が噂の幼馴染だったとはな。いっちゃんに小さい頃から仲良くしてもらってる大好きなお姉さんがいるって話、よく聞いてたからね」

「ちょ、マスターやめてくださいよ」

 拗ねた様な顔のまま樹はそっぽ向いた。眞衣もなんだか気恥ずかしくなって俯く。

 大好きなお姉さんというフレーズが頭に残る。

「マスター、俺達朝食まだだからさ。モーニング二つね」

 そう言った樹を眞衣が軽く睨む。

「こら、樹。敬語忘れてるわよ」

 つい、いつもの調子で小言を口にしてしまう眞衣に桜庭が軽く笑った。

「新内。それじゃ、お姉さんっていうより、お母さんって感じだな」

 そう言って、桜庭はカウンターの奥へ入って行った。厨房があるのだろう。

「樹・・・ちょっと」

 カウンターの奥で黙って立っていた女性が冷たい眼を樹に向けた。樹は戸惑うような顔で店の奥へ向う女性の後をついて行く。女性はちらりと振り向いて鋭い視線を眞衣に投げた。

「?」

 眞衣はその鋭い視線の意味も分からないまま、しばらく、店の奥で話している二人の姿をただ眺めていた。



鶉親方 ( 2018/01/07(日) 07:49 )