聖なる夜は乾杯で
09 9
駅へ向かう通りは夜が更けても一向に人を減らず、イルミネーションは輝いている。

夜風はいよいよ冷え研がれ、鋭さに肌を切り付けるが、俺の背中には暖かい熱が重みとなって揺れていた。

「ごめんね、ごめんね」

 俺は酔いにまっすぐ歩けなくなった美彩さんを背中に負ぶり、駅へと歩いていた。周囲の視線にやや好奇を感じたが、俺は気にすることなく歩き続けた。

「・・・重くない?」

 酒に甘い美彩さんの匂いが耳元から流れてくる。

「そんなことはないですよ」

 美彩さんがくすりと笑う。

「こうちゃんは、ほんと優しいね」

 実際に美彩さんは軽かったのだが、俺が否定をする前に肩に回る腕を強くして、ギュッと背中を抱いた。

「こうちゃんが優しかったから、今度はちゃんと向き合える気がするよ」

 俺の肩に頭を預け、頬に息触れる美彩さんの熱はしっとりと肌の冷えをあたためてくる。

「今度、お墓参りに行って来るね」

「えっ?」

 唐突なその言葉の意味に俺は思わず驚きを声にしていた。





「心臓発作」

 説明を求めた俺に美彩さんはそう答えた。

「倒れて、突然。それで、終わり」

 美彩さんは背中を抱く腕を強くして、ぽつぽつと語り始めた。

「葬儀に出て、火葬場に行って、お骨も拾って、四十九日にまで出て、お墓に入るのも見届けた。・・・なのにね、私の中で彼はちっとも死んでくれないの」

 背中で美彩さんが微かに身をよじる。

「働き過ぎじゃなかったんだろうか、食事の面倒をもっとしてあげたら違ったんじゃないか、もっと毎日会っていたら何か気付いたんじゃないか、私が鈍かったから助けられなかったんじゃないか。とかそんな言葉ばっかり頭に回るの」

 そこで美彩さんは息を区切った。しばしの沈黙に通りを走る車の音が響く。美彩さんの沈黙は自分の中にある何かを絞っているようだった。

そして再び言葉が溢れ出す。

「・・・だから、だから亡くなる前に予約したディナーに行ってみたの。彼が来ないのが分かれば、私の中の彼は死んでくれるって思ったから」

 そこで美彩さんの声は濡れた。

「でもね、堪えられなかった。認めたくなかった。たくさんお酒を飲んでも、堪えられなかったの。そんなときね、こうちゃんを見つけたの」

 俺の背中に顔を埋めた美彩さんの声はくもぐって、呟くように細く揺れた。

「裏切ってやれば、終われるんじゃないかって。・・・でもね、こうちゃん。優しいんだもん」

 そのまましばらく美彩さんは泣いた。俺は黙って歩き続けながら、優しくしたのは間違いじゃなかったと思っていた。

 他人頼みに裏切っても、傷が増えるだけだ。結局は自分が向き合わなければ前に進まない。

 たとえどんなに深い傷だったとしても。

「こうちゃん・・・・・・ごめんね」

美彩さんが顔を上げる。

「いいですよ」

「うん・・・でも、コートぐちょぐちょ」

「えっ?」

 コートの襟は涙と鼻水に汚れ、美彩さんは一生懸命に袖でゴシゴシ拭いていたが、美彩さんのぐずぐずと鼻水を引く音はまだ収まらずに続いていた。

 いくら拭いてもまた汚されたら意味がない。俺はとりあえず鼻をかんでもらおうと、ハンカチを探してポケットに手を入れると固いものに触れた。

「あ・・・」

「何?」

 俺は指輪の箱を取り出して見せる。美彩さんは目をしばたたかせながら、手を伸ばして箱に触れた。

「どうするつもり?」

「捨てますよ」

 俺はきっぱりと言い切った。

「もったいない」

「ケジメですよ」

 安い指輪ではなかったが、売るのも他人にあげるのも、指輪を買ったときの自分の気持ちが安いものだったように思えて嫌だった。

俺は街路樹の裏に回り込んでガードレールに近付くと支柱の上に箱をポンと置いた。それを見ていた美彩さんは前に身を乗り出して、左手の指輪を抜いた。

「じゃ、私も」

 箱の中に二つの指輪が並ぶ。俺はそっと蓋が閉じた。

 街路樹に街の灯りを遮られたガードレールの支柱の上で、箱は流れる車のライトに際限なく影を走らせながら、ぽつりと小さくたたずんでいた。

 俺と美彩さんはしばらく箱に過ぎては消えていく影を眺め、赤信号に車の流れが絶えて、影に小箱が沈むまで、その姿を見続けた。

 箱が影に溶けた。

「さよなら」

 美彩さんが手を振った。

 もしかすれば、誰かがこの箱を拾うかもしれない。その時、この指輪は真っさらに新しい時を刻むのだろう。そうなればいい。俺は再び歩き出した。

 その後は無言で駅まで歩いた。美彩さんはずっと指輪のなくなった左手を見ていた。けれどそこに鼻をすする音はなく、ただじっと指輪のなくなった左手を見ていたのだった。

「着きましたよ」

 やがて駅が見えた。俺は地下鉄だったので、美彩さんが一人で歩けるのならここでお別れ。美彩さんはとろんとした顔で辺りを見回している。

「大丈夫ですか? やっぱりタクシーにしましょうか? ここなら何台でもいますし」

「大丈夫」

「じゃあ、とりあえず階段の上までは」

 駅の改札は階段の上にある。俺が美彩さんを背負ったまま、階段を昇ろうとしたときだった。

「降ろして」

 美彩さんは決然として言った。

 俺の背から美彩さんは降りた。二本の足でしっかりと立つ。そして駅の階段をキッと見上げた。

「大丈夫」

 美彩さんは強く、一度だけうなずくと灰色の階段を一段、一段、ギュッと踏み締め昇っていった。




■筆者メッセージ
以上で完結です。

最後、主人公が美彩さんになったみたいな感じですね


さて、次は長編の方を終わらせないといけませんね
鶉親方 ( 2017/12/14(木) 00:28 )