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どこかからクリスマスソングが流れる広場で会話もなくワンカップを傾けると、やがて思い出したかのようにお互いの名前を訊いていた。
「衛藤美彩」
「相馬光樹」
女は嬉しそうに手を合わせる。
「じゃ、こうちゃんだ」
そう言ってかくかく首振る女、衛藤美彩は、何度も何度もこうちゃんこうちゃんと呼び掛けてきた。
――こうちゃん・・・か――
久しぶりに聞いた呼び名にふいに誰かを思い出してしまった。
「こうちゃん?」
「なんでもない」
不思議そうな顔でこちらを覗き込む。
「衛藤さんは」
こちらが訊ねると衛藤美彩は顔を横に振った。
「美彩」
「え?」
「美彩」
「美彩さん?」
さん付けに不服なのか、衛藤美彩は拗ねた様に唇を突き出した。
「美彩!」
「美彩さん」
けれど、下の名前で呼び捨てにするほどの仲にはならないつもりの俺は頑なに『美彩さん』と呼び続けた。
やがて諦めたのか彼女はさん付けで呼ばれることに次第に抵抗を示さなくなった。
「美彩さんも前々から予約していたんですか?」
したたかに酔った美彩さんは、ぽつりぽつりと自分の話を始めていた。
七年の付き合いの末に婚約まで交わした彼氏さんは美彩さんを置いて行ってしまったらしい。左手の薬指の青い光に反射する指輪の輝きは、どこか弱く淋しげに見えた。
「そ。でも来ないの」
美彩さんは缶チューハイを傾け、最後の一滴まで喉に垂らすと空になった缶を振りながらうなずいた。
「彼はね、もう二度と私には会わないって」
美彩さんはすくりと立つと酔った足でゴミ箱にトトッと近付き、空き缶を放り捨てた。
「どこへ行っちゃったんだろうね」
カランと乾いた音が鳴る。
「大丈夫ですか?」
ふらふらしている美彩さんはそのままだと倒れそうだった。俺は身体を支えてベンチまで連れ戻して来た。
酔った美彩さんは俺の肩に頭を寄せ、イルミネーションの青い波と流れる人影をぼんやりと見つめていた。
俺は缶ビールの口を開ける。
「俺が予約したのは三ヶ月前でした」
ビールの苦味が喉に走った。口を閉ざした美彩さんと替わって、今度は自分の話をした。
「地方の異動と決まった時、会える回数が少なくなるから会う日は大切にしようって約束して。だから、三ヶ月前に会った時にイブはどう過ごすか話し合って、二人で今日の予約を入れたんですよ」
遠くない過去に浮かぶ約束は、淡い色に包まれて胸を過ぎていく。
イルミネーションの青い波と流れゆく人影。
「距離と時間は」
肩に触れる酒混じりの温もりに離れた熱の遠さを感じた。
「気持ちまでは埋められないものなんですかね?」
「埋まらないよ」
俺の問い掛けに美彩さんは即答した。
「気持ちだけが変な道に迷い込んで、どこか別の場所に飛んでっちゃうの」
ぼんやり顔で青い波の明滅を見つめたまま美彩さんはそう続けた。
「何処に?」
「何処かに。かな」
美彩さんの手がふわりと浮かぶ。
「私の気持ちはまだ飛んでるの。あの人がまだいるんじゃないかって、寂しい期待を胸に残して」
浮かんだ手はしばらく夜空の寒さに彷徨って、やがてゆっくり胸へと帰る。