Sweet Week 〜君との一週間〜
03 Wednesday 〜夜の自販機前〜
 風邪を引いてしまった。しかし基本的に熱は計らない主義だ。現実を突き付けられると余計に辛いからだ。推定39度くらいか。無性に人肌が恋しくなったが、悲しいかな、俺にはやさしく看病をしてくれる彼女はもういない。仕方なくベッドの隅に横たわっていた不細工な顔したネコの抱き枕にしがみついた。嗚呼、虚しい。


 高熱のせいでまともに機能してくれない体で俺は自分の為だけにネギを刻んでうどんを作り、自分の為だけに押し入れから分厚い毛布を取り出してベッドにうずくまる。こんなとき、りんごの皮を剥いてくれる様な家庭的な彼女がいたらいいのに。邪念を振り払うために俺は抱き枕から綿が出そうなほど強く抱き締めた。虚しくなんかないさ。



 目が覚めると、外はもう真っ暗だった。床に転がっていた時計を見ると20時を回ったところだ。

 毛布を頭から被ったまま、のそのそと冷蔵庫へ向かう。ひんやりとした冷蔵庫の中は空っぽ。悲し過ぎてくしゃみをしたら鼻水と一緒に涙も飛び出た。多分、幸福なんかもだろう。


 夜風に乗って、金木犀のあまい香りが俺の体を包み込む。毛玉付きのだらしないスエットのまま、自宅の隣にあるアパートの前へふらふらと歩く。そこにポツンと佇む自販機に用がある。水分補給しないと干からびちまう、俺の体が。




「売り切れ・・・」


 自販機の前には先客がいた。熱のせいで視界がぼやけていて、はっきりとは見えないが人の形をしている。声だけ聞くと、女らしい。思わず女らしき人の下半身を確認する。

 足はある。

 夜に現れる霊的な何かだったらどうしようかと思った。そうだよな、こんないちご柄のファンシーなパジャマを着ているお嬢さんが幽霊なわけないよなあ。俺は案外怖がり屋さんだ。


「なんで」


 そろりそろりといちごパジャマさんのすぐそばまで歩いていくが、なにやらぶつぶつ言っている女は俺の存在に気付かない。人恋しいから気付いてほしいようなほしくないような複雑な気持ちである。



「なに売り切れてんだよっ!」


 うなだれていた顔をキッと上げて、いちごパジャマさんは自販機に向かって思い切り飛び蹴りをかました。もう一度言おう。いちごパジャマのお嬢さんが何の罪もない無防備な自販機に蹴りを食らわせたのだ。熱がまた上がったような気がした。



「どうぞ」

「ど、どうも」


 どうやら俺の存在には気付いていたらしく、いちごパジャマさんはすんなりと自販機から身を退いた。売り切れになっている飲み物をさりげなく確認するとコーラとイチゴミルクが売り切れだった。いちご柄の彼女のことだから、かわいらしいイチゴミルクが飲みたかったのだろうか。


「コーラ・・・飲みたかったな」


 そっちかよ。

 俺の隣にいる女の印象がなかなか定まらないが、気持ちを切り替えて本来の目的である飲み物を買うことにする。手に握り締めていた生暖かくなった小銭を入れようとしたら、横からにょきりと腕が伸びてきて先にお金を入れられた。

 もちろんここには俺といちごパジャマさんしかいないから犯人は分かっている。

 さっき譲ってくれたよね?

そして、女は迷うことなくホットレモンのボタンを押した。


「奢りです」

「え?」

「人に優しくされたいと思うときほど、人に優しくしたくなるんです」

「はい?」

「風邪のときはホットレモンがいいですよ。ビタミンCも摂取できますし、からだを温めてくれます」


 熱で朦朧とする俺の頭の上に器用にホットレモンを置いて、いちごパジャマさんはふらりとアパートに戻っていった。どうやら彼女は俺の家のお隣さんだったらしい。


「今度、コーラ奢りますね」


 お隣さんの背中に声をかけた。会うことができればの話だけれど。


 ホットレモンで体も心もあたたくしてもらったその日の夜。聞こえてきたお馴染みの音痴なメロディーは、いつもよりなんだかか細くて今にも消えてしまいそうだった。


鶉親方 ( 2017/09/13(水) 23:29 )