D 新居
三十三曲目 〜微熱〜
「泊まる気?」

 荷物を見て察しはついていたが、念の為に晃汰は二人に探りを入れる。

「嫌だった?」

 ホールケーキの半分を平らげた白石は、キョトン顔で返事をした。

「嫌じゃないけど、前もって言ってくれれば…」

 もっときちんともてなしをしたのに、とは言えなかった。体調不良の身体でどうしてもてなす事が出来るのか、晃汰は自らの考えを否定する。

「真夏とリビングで寝るから大丈夫だよ」

 白石が目配せすると、秋元も笑顔で頷く。ここまで来るともうなにを言っても彼女が聞かないのは、晃汰もわかっている。

「じゃあ、先に風呂入ってよ。俺は最後でいいから」

 本当に泊まる気なのだと諦めると、晃汰は二人を先にバスルームへと追いやった。二人の間で少しの話し合いがあり、先に白石が浴室へと入った。

「どう?気分は」

 何もすることの無くなった秋元は、晃汰が座っているソファの隣に腰掛けた。

「可もなく不可もなくってところですかね」

 良くも無いしさりとて悪くもない、下手なおべっかを言うよりもありのままを伝えた方が、秋元に対しても良いだろうと晃汰は考えての事だ。

「どうです、キャプテン業は?一回り細くなったのは、そのストレスから来るヤツレじゃないんですか?」

 大当たりだった。痩せた?と言い寄ってくるメンバーは数多くいたが、ストレスから来る望まない減量だと見破ったのは、晃汰が初めてだった。だが秋元は、何処かに晃汰には真相を突いてほしいという邪心もあった。彼ならばきっと事を大きくすることなく、自身の変化に気づいてくれる。秋元は密かに、歳下ギタリストに委ねてはいけない本音を持ってしまっていた。

「よくわかったね。まぁ、色々あるからね…」

 そう言う秋元は笑顔ではあったが、それは人工的な物である事は、晃汰にはすぐにわかる。

「キャプテンだからって、何でもかんでも抱え込まないでください。玲香さんに言われたんじゃないんですか?抱え込むなって」

 秋元はフッと笑った。何から何までお見通しなのだ。秋元は晃汰に、弁護士や刑事に転職する事を勧めたいほどだ。

「抱え込んでるつもりはないんだけど、やっぱりそうなっちゃうかぁ…」

 ソファに深く座り込む晃汰に膝に頭をのせた秋元は、彼を見上げながら仕事の愚痴を話し始めた。キャプテン業のプレッシャー、番組でのコメント、グループ内での立ち回り方。どれをとっても秋元には初めての事ばかりだし、およそ他のメンバーが経験したこともない。前任者のみがその重圧の恐ろしさ、見えない試練を知っていた。

「けど、言うて空回りしてるとか調子悪いとか、そんな気は近くで見ててしないですけどね」

 そんな秋元の前髪をオールバックにしながら、晃汰は彼女の眼を見て話す。対する秋元はやられるがままで、髪形なんかよりも自身の話を聞いて欲しかった。

「対処法は今の所、分かんないんだよね。でも、乃木中だけはありのままでいられるんだよね」

 他の連中もそんな事を言ってたな、悩めるメンバー達が頻繁に冠番組の名を話していた事を、晃汰は思い出した。言わばホームグラウンドである乃木中は、絶対的な公式お兄ちゃんがいることもあって、語弊を恐れずに言えばメンバー達の息抜きの場となっている。

「でもこうして気づいてもらって愚痴聞いてもらうと、スッキリする。晃汰には申し訳ないけどね」

 秋元は優しく微笑むと、髪を弄っていた晃汰の手を自身の頬へと移動させ、その上から手を重ねた。晃汰は何も言わず、秋元の頬の柔らかさを終始堪能した。

「真夏と何話してたの?」

 秋元と入れ替わる形で晃汰の隣に腰掛けた白石は、タオルで髪を乾かしながら尋ねる。

「俺と麻衣ちゃんが、熱海でどんなプレイをしたかって話さ」

 白石は突如として黒石になり、あらん限りの眼力を使って晃汰を睨みつけた。

「んな訳ないでしょ。キャプテン業の愚痴を聞いてたんよ」

 どうやらその手の冗談は通じなかったらしく、晃汰は早々に真実を話して彼女を白くした。そんな白石は熱が一気に冷めると、晃汰の首に腕を回して彼に持たれかかった。半乾きの髪から香る自分と同じシャンプーの匂いに、薄いバスローブから感じる白石の素肌。あの夜を晃汰に思い出させるには、充分なシチュエーションだ。それでも晃汰は、理性を保って踏みとどまる。

「そういう関係は、熱海だけで終えただろ?」

 変な言い回しになってしまったと感じたが、晃汰にはそれ以上良い表現が見つからない。尚も白石は晃汰に体重をかけてくる。

「二人っきりの時ぐらい、良いじゃん」

 まるで禁断の関係を持っているかのような口ぶりで、白石は更に強く晃汰の身体を抱きしめた。その眼は、アイドルが男性に向けてはいけない色をしていて、晃汰は彼女のこの症状が一時的なものであってほしいと願うばかりである。

「いつから俺と君は、恋人の関係になったんだっけ?」

「熱海から」

「馬鹿か」

 晃汰は吐き捨てると、重たい身体で立ち上がった。記憶が戻った今、晃汰が森保以外の女性と寝室に消える事はない。現に白石からのアプローチをいつもの彼ならば軽くあしらっているが、体調不良の頭ではどうしても理性が言う事を聞かない。その事を本人がわかっていたから、早々に彼女の隣から離れた。

「あ、ごめん…」

 やりすぎたと言わんばかりに、白石は声のトーンを落として謝罪した。彼女にそんなつもりはなかったが、いつもは強気の晃汰が珍しく弱っている所を見て、白石のデレの部分が顔を出したのだ。

「もう寝るね。色々とありがと」

 晃汰は背中を向けたまま、白石に想いを伝えた。恐がらせるつもりなど微塵もなかったが、自身の意志が色仕掛けに揺らぐことがない事を、彼女に理解してほしかった。まだ秋元が浴びているシャワーの音を通り過ぎた晃汰は、灯りをつけずに寝室に入るとそのままベッドに倒れ込んで眼を閉じた。



 翌朝、またしてもキッチンから聞こえてくる調理音で晃汰は眼を覚ます。寝ぼけた脳のまま、ナイトテーブルに置いた体温計を脇にさして大きな欠伸を一つ。頭を含めた身体が重い事から、まだ熱があるのだろうと晃汰は予測した。予想は見事に的中し、体調不良を示す小さな液晶を怨めしそうに睨んでから、晃汰は寝室を出た。

「おはよう」

 寝室からリビングに向かう途中にあるキッチンから、エプロン姿の白石が顔を出した。

「おはよう、朝から凄いね」

 晃汰はカウンターテーブルに並べられている豪勢なモーニングと、頭の上でお団子を作っている白石とを見比べる。

「栄養のある物食べなきゃ、体調も良くならないもんね」

 この世にいる殆どの男は死んでしまうであろうウインクをして、白石は再び調理に取り掛かる。

「真夏さんは?」

 バッグは人数分あると言うのに、昨夜までいた筈のキャプテンの姿が見受けられなかった為に、晃汰は少し大きな声でキッチンの白石に尋ねる。

「ちょっと足りない食材とかあったから、買い物に行ってもらってるの」

 乃木坂のキャプテンに買い物に行ってもらえる男が、この世の中にどれほどいるだろうか。普段では感じないメンバーの温かさを深く感じた晃汰は、大きくため息をついて洗面所へと向かった。水だけでの洗顔に歯磨きを終え、リビングに続く廊下に出た所で、エコバッグを携えた秋元が帰ってきた。数円の袋に気を使わなくて良いほど稼いでいる筈なのに、秋元は普段からエコバッグを欠かさない。

「申し訳ない、買い物まで行ってもらって…」

 晃汰は朝から恐縮した。

「いいんだよ、私も買いたいのあったしね。それより、昨日より顔色良さそうでよかったよ」

 この人は良いお嫁さんになる、晃汰は勝手に秋元の将来を想像しながら、彼女が持つ荷物を受け取ってリビングに向かった。


「色々とお世話になりました」

 部屋を出ていく二人を、晃汰は玄関で見送る。万が一の事を考えて、三人はこの室内で別れることにしている。

「あとは三、四期生達にお世話してもらってね」

 意味ありげな眼の白石は、既に晃汰にアプローチをかけている後輩メンバーの存在を知っている。

「無理しないでね、いつでも頼って良いから」

 不意に晃汰の頭を撫でる秋元は、今だけで言えば聖母と言えるだろう。

 本当は車で送ってやりたかったが、体調がまだ完全ではない為に晃汰は自重した。二人はその気持ちだけで嬉しく、それ以上は望んでいなかった。二人を見送った晃汰はリビングに戻ると、何故か昨夜とは広さが違うように感じた。それでもそんな事に気を使ってはいられず、市販薬を飲んでベッドに転がり込んだ。

Zodiac ( 2020/08/09(日) 10:26 )