B 黄昏
十二曲目 〜夜の街〜
 すっかり日も落ち、二人は各々の時間を楽しむ。とは言うもののやる事は同じで、お互いベッドに寝転んでスマホかタブレットを弄っている。

「結局、浴衣で外、出なかったね」

 対岸から話しかけてきた白石に、晃汰はタブレットをズらして焦点を合わせた。

「ご飯食べてからでもいいんじゃない?夜の方が気づかれないと思うし」

 何気に言った言葉が、白石には嬉しかったらしい。なるほどと掌を拳で叩いた彼女は、すぐにスマホに眼を移して行き先を調べ始めた。女の子って単純ね、晃汰は再びタブレットを操作した。

 夕食を知らせる電話が鳴り響いたのは、そろそろ液晶画面にも飽きようとしていた頃だった。今旅の代表者である白石が受話器を取り、二言三言を架電者と交わす。

「ご飯の準備が始まるって!」

 熱海でも有数のこの旅館は、別館ともなれば専用の食事処が各部屋に設けられている。フロア自体が専用の為、エレベーターをおりればすぐに部屋の扉となっている。チャイムが鳴らされると、白石は晃汰に目配せをして玄関へと向かった。同時に晃汰は、出入り口から食事処の動線から死角になる位置へと、MGSのスネークよろしくな静かさで退避した。晃汰がここにいる事実を悟られぬよう、何重にも予防線を張る二人の作戦だ。
 一方、白石の目の前では、数名の女性従業員が気品のある動きで、素早く配膳をする。格式高い旅館故、芸能人が来ることが特段珍しくもなく、恐らくベテランと言えるであろう配膳担当は白石を見ても、とやかく騒ぎ立てる事はなかった。

「それでは、ごゆっくりとお召し上がりください」

 殆ど白髪の頭部には相応ではない、ハリとツヤのある肌を携えた配膳係は、代表して三つ指をついて部屋を辞去した。合わせて一礼をした白石は、ドアが完全に閉まるのを確認して鍵をかけた。

「さすが高級旅館だぜ」

 空気を察して死角から出てきた晃汰は、テーブル一杯に置かれた御膳を見て感嘆する。

「すごいね、映えるね!」

 同調する白石の手には、既にカメラモードに変更したスマホが握られている。やはり彼女も"映え"を欲していた。エサを前に待てを告げられた仔犬のような顔をして、晃汰は白石が気の済むまで撮影タイムに付き合った。

「生きててよかった〜」

 パンパンに頬張った白石は、眼を細めて幸福感に満ち溢れた表情を浮かべる。これが俗に言う"食べ石さん"だと言う事は、晃汰はファンが有志で載せている動画で勉強済みだった。そんな画面の中のキャラを目の前にして、晃汰はなんとも言えない達成感に包まれた。

「見た目がさ、この世のものとは思えないよね」

 職業柄、様々な業界人とそれなりの店に出かける事は少なくなかった。そして時々父親に連れて行かれる店も、それなりの所だった。そんな晃汰でさえも、目の前に供された豪勢な食事に圧倒されながら舌鼓を打つ。
 夕方から酒を飲んでいる二人は、迷わずに何度目かの日本酒を選んだ。地酒の『あたみ』はキリッとした辛口で、和食と組み合わせると絶妙な調和を楽しめた。日本酒に疎い晃汰は、白石が勧めるこの地酒を彼女の感性に任せて舐めたのだった。

 食事の片付けが終わりスタッフが退去すると晃汰はバルコニーへ、白石は室内のソファにもたれた。食事が終わったと言ってもまだ20時前、ベッドに入るのにはあまりにも早すぎた。すると木椅子に深く座る晃汰の両肩に、白石の手が置かれた。

「夜の散策、行こうよ」

 断る理由など、晃汰にはなかった。二人は違う色の羽織りに袖を通し、仲良く夜の熱海へと繰り出した。

 昼間の人混みとは打って変わり、閉園前の某テーマパークの様に通行人が疎に散っている。景観を損なわない様に暗くされた街灯のおかげで、近くから覗かないと顔が分からない事も二人を喜ばせた。

「高校の修学旅行みたいだね」

 白石は自身の左を歩く晃汰を見た。

「そんなもんなのか、修学旅行って。高校の修学旅行は仕事で行ってないんだ」

 AKBに籍を置いていた当時を懐かしむ様に、晃汰は柔らかい笑顔を白石に返した。そっか、とだけ溢した白石は、その後の言葉を見つけられなかった。

「そんな落ち込まないでよ。俺は好きで仕事してたんだから」

 当時を後悔していないのは本心だった。自分自身の思い出作りよりも、晃汰にはやるべき事があった。高校生活以上にやりがいのある事を見つけてしまった彼は、授業に出るよりもメンバーのサポートを優先していた。

「じゃあ、修学旅行みたいなことしようか」

 自身を見上げる白石の眼は、どこか悪戯っ子のように輝いている。晃汰はその悪い笑顔に負けないくらいの、とびっきりの笑みを浮かべた。

「因みに中学の修学旅行はね、京都奈良だった。今日みたく部屋食で、かなり豪華だったのは覚えてる」

 晃汰は手を後ろに組んだ。そして歩きながら時々目を瞑って、当時の思い出を語り始めた。白石はあまり過去を語らない晃汰の思い出話を聞こうと、余計なツッコミは一切入れなかった。それが晃汰にとっては心地よく、アルコールを摂取している事も手伝って口が軽くなる。

「やっぱり皆、中学は京都なんだねぇ〜」

 白石も後ろ手を楽しそうに振り、そして自身の当時を吐露し始めた。そこで赤裸々に語られたのは、Wikipediaにこそ小さくしか書かれていないイヂメの事だった。晃汰には分かった。当時の事を騙る作り笑いの奥に、癒える事のない傷があることを。

「でも、高校は埼玉の高校にして、音楽の専門に行って、それから乃木坂。水が合わなかっただけだと思う」

 らしいと言えばそれまでだが、自ら苦しんだ過去を話した白石に対し、晃汰は府に落ちなかった。

「だから、私は今を楽しんでる。辛い過去も一緒に。思い出したくない昨日より、楽しい明日だよ?」

 桟橋の真上、月明かりに照らされた白石がこちらに振り向く。まるで映画のワンシーンの様な光景に、学園モノさながらのセリフ。晃汰は初めて白石の思惑がわかった。

「だから、そんなに気にしてねぇって。記憶なんて、もう一回頭打ちゃ元通りになるよ」
 
 無くした記憶を誰にもみられない所で引きづっていたのは、白石にはお見通しだった。だから強引に旅行へと彼女は誘った。過去にすがらない自分を演じていたが、何度も苦楽を共にした白石にはやはり晃汰は頭が上がらない。

「じゃ仕切り直して、夜の散策行こうか」

 晃汰は白石に右手を差し出す。

「なんかやらしい響きだなぁ」

 白石はおどけて見せるが、その右手に応じる。白くて細長い指が絡まるのを確認し、晃汰は白石にアイコンタクトをする。息を合わせて二人は歩き出した。

■筆者メッセージ
あと何話かで、まいやんシリーズは終わりです!
Zodiac ( 2020/04/17(金) 06:53 )