B 黄昏
十曲目 〜キャラメルフラペチーノ〜
 山の木々が紅くなるにつれ、だんだんと半袖連中の数も減っていく。好きなロング丈のジャケットを羽織れるから、晃汰は夏よりも秋や冬が好きだった。愛車を運転する今は後部座席にそのジャケットは放り投げられているが、それは紛れもなくホテイから影響されたモノだった。そしてそれは、車内に流れるステレオにも表れていた。

 平日午前の東名高速道路は比較的空いていた。いわゆるファミリーカーは数えるほどで、大型トラックや商用車が先を急いで追い越し車線を飛ばす。特別に急ぐ旅ではない為、晃汰は最も左の走行車線で80キロをキープして走った。奇しくも晃汰の目の前を走る漆黒のトヨタ・クラウンアスリートがサイレンを鳴らしたのは、布袋寅泰のSIRENがかかった時だった。3.5LのNAエンジンをフルに使い、GT-R並の加速で追い越し車線をぶっちぎっていった白い商用バンを追いかけて行く。

「クラウンにゃ勝てねえわな」

 晃汰は肩をすくめ、やがて来るべき港北パーキングに入る為に左ウインカーを点滅させた。誰もいない助手席越しに左後方をミラーで確認し、エンジンブレーキで減速しながらパーキングへと入った。人目のつきにくい端っこに停車し、トランクオープンスイッチを押してすぐさま後方に走った。

「なんか誘拐された気分」

 晃汰に抱き抱えられてトランクから脱出した白石は、長い髪を手ぐしで整える。

「だって、助手席乗ってたら撮られちまうでしょ」

 トランクを勢い良く閉めた晃汰は、周囲に眼をやりながら返答する。パーキングに入ってから彼は周囲の車を気にしていたが、どうやら今のところ怪しい車両は見当たらなかった。晃汰考案のトランク作戦は、案外うまくいくのかもしれないと白石は、同じように周囲を見渡しながら思った。

「けど、駆け落ちってこういう事を言うんだろうね」

 トイレ休憩だけのパーキングから本線へ合流しようとする時、白石はエンジン音が響く中で呟いた。そんな状況下でも、晃汰は助手席からの声を逃さなかった。

「かもね。なんか駆け落ちする物語を作ろうとする気持ちが、わかる気がするよ」

 あえて4速で引っ張り、回転数はレッドゾーンも間近である。後続車両がいないことを確認してすんなり合流に成功してしまえば、晃汰はすぐに5速、6速とシフトアップした。やっとエンジン音が落ち着いたところで、白石は勝手にナビに手を伸ばし、自分のスマホとナビとを無線で繋ぎ音楽を流した。

「BOOWYかCOMPLEXが聴きたかった」

「どうせさっきまでずっと聴いてたんでしょ。“次はわたしの番です“」

「・・・そこは“次はあなたの番です”でしょ」

 晃汰は呆れて肩を落とすも、白石は鼻を鳴らして上機嫌だ。やがて車内には白石お気に入りの洋楽が流れ始めた。

「晃汰って洋楽聴かないよね」

 スマホの音楽プレイヤーを見つつ、白石は晃汰に問う。

「聴くよ。ボン・ジョビとかクイーンとか、チープトリックとか。疾走感のある縦ノリのバンドが好き」

「それって昔じゃん。今の洋楽には興味ないの?」

「無いね。もっと言うと、今の音楽にも興味が無い」

 晃汰は前を見ながら吐き捨てる。

「良いのいっぱいあるのになぁ」

 白石は独り言のように呟いた。

「昔のだって、良いのいっぱいあるぜ。今よりも遥かに」
 
 そう語る晃汰の表情は柔らかかった。何気ない音楽の会話だったが、白石にとっては吊り橋を渡る思いだった。それもそのはずで、相手は記憶喪失でギターや音楽理論を忘れている。もしも傷に触れてしまったら・・・と白石は丁寧に言葉を選び且つ普通を装ったが、彼女の苦労は結果的に無駄となった。晃汰は自分に欠いている部分を割り切っていたし、その部分に誰が触れようとそれを受け止めるだけの器もヒビ割れではあるが大きく持っていた。それに安心してか、白石は普段はしないだいぶ踏み込んだ話を晃汰に投げた。

「ぶっちゃけさ、メンバーの事を異性として見る瞬間はあるでしょ?」

 運転性の方に顔だけを向けて白石は訊く。

「それはさ、やっぱりあるよ少なからず。だって二十代前半な訳だし、性欲全開な訳だし。入院中に梅(梅澤美波)が見舞いに来てくれたんだけど、いきなり仰向けの俺の腰に跨ってきてさ。彼女はそう言うつもりじゃなかったけど、さすがにあの時はヤバイって思ったよ」

「へ〜、美波ちゃんとそんな関係になってるのね〜」

 白石は冷ややかな眼を晃汰に向けた。

「いや、抱いては無いからね。てかさ、君は俺の何でもないでしょ。そこまで束縛するんなら、卒業した後でも男なんか出来やしないぞ」

 チラリと晃汰は白石を横目で牽制する。

「別に、結婚する気なんか無いし・・・」

 白石の声色が変わった。晃汰は息を呑んで、もう一度横目で助手席を見た。先ほどとは打って変わって、窓の外を眺める彼女の後ろ姿があった。なにか気に触る事言ったかな?晃汰は腹落ちこそしなかったが、コンマ数秒で前を向いて再び運転に集中した。

「嫌なの、卒業してすぐに週刊誌に載るなんて・・・」

 いくつかのキロポストを通過し、白石がか細い声で呟いた。驚く事はなかった晃汰だが、彼女がどんな裏側を以ってしてその発言をしたのか、すぐには見当がつかなかった。

「大丈夫、美彩の事は悪く言ってない。応援してるし、幸せになって欲しいって思ってる。これは私のプライドの問題」

 運転手の考えを見透かしたかのように、白石は衛藤の名前を出した。卒業してから僅か数ヶ月での交際宣言、当時は46関係者を含めてちょっとした騒動になった。勿論、彼女が公表しているように在籍中に逢瀬を重ねるような事はなかった(と、筆者は信じたい笑)。そして衛藤の卒業を待って、西武の源田選手は彼女に交際を申し込んだのだ。時系列で見れば筋は通っているものの、世間からしてみればあまりにも早い交際宣言だった。親友の卒業に"早すぎる"交際、白石には少しの引っ掛かりが生じていた。そんな事も手伝って、もともと乃木坂愛はグループの一、二位を争う彼女は自身で掟を決めていたのだ。それは加入以降、スキャンダルが一切無い公私が物語っていた。

「じゃあ、この旅は一体何にあたる訳?男と二人っきり、スタッフって言っちまえばそれまでだけど」

 白石の主張を肯定も否定もしないが、晃汰は彼女に追い討ちをかける。絶対的エースが何を考えているのか、晃汰には興味があった。

「これは卒業旅行よ。メンバーのお願いを聞くのが、スタッフの役目でしょ?それに、ギターを弾けないんじゃ私達を楽しませるのが仕事になるでしょ?」

 痛い所を突かれ、晃汰は苦笑いをする他なかった。いつもなら言い負かすところだが今日ばかりは、卒業旅行という名目で晃汰は手を引いた。 

 途中の休憩も含めて約2時間半のドライヴを終え、86は白石が予約した宿に到着した。チェックインまでわずかに時間が余った為、二人は早速熱海の街へと繰り出した。

「バレないといいね〜」

 白石が目深に被ったハットの下から、悪戯な目線を晃汰に向けた。口元の表情は、残念ながらマスクで隠れている。

「だから、大人しくしててな」

 一方の晃汰はいつものようにサングラスをかけ、黒のライダースを着た。俺は麻衣ちゃんより有名じゃないから、と自身が彼女に遠慮しての服装だ。

 昼下がりの熱海は、いつもながら観光客で賑わっている。本格的な冬を前に長袖でも半袖でも過ごせる心地よい季節に、この時期を選んでよかったなと二人は感じていた。

「ちょっとお待ちなさいよ」

 先を歩く白石についていくのが精一杯な晃汰は、この旅の為に買った最新型のGoProを手にして彼女を追いかける。

「早くしないと、行きたいところ回れないよ」

 マスクとハットを以ってしても分かるぐらい笑顔な白石が、振り向きざまに晃汰を手招く。殆どの男はその動作であの世行きだが、常日頃から接している晃汰は何のダメージも受けずに彼女に追いついた。チェックインまで一時間という何とも微妙な時間も、二人にしては普段味わえない完全プライベートでの瞬間だった。それを裏付けるかの様に晃汰はアクションカメラを、白石は靴を新調したほどだ。

「やっぱ人多いね」

 ちょっとしたカフェに入った二人は奥まった席に座って、店前を行く観光客を流す。

「そりゃあ、観光地だもん」

 白石の眼を一目見て、晃汰はアイスココアをストローで吸い上げる。

「これぐらいの人達が、私達を観に来てくれるんだもんね」

 置かれた時よりも湯気の量は減っているものの、クリームの形は全く崩れていないキャラメルフラペチーノを前に、白石は物憂げな眼をする。その言葉と表情から察するに、まだ卒業に踏ん切りが付いていないと晃汰は受け止めた。人生のおよそ半分を捧げたものからすっかり足を洗う事がどれだけの勇気を必要とするか、晃汰にはそれが理解できてしまうから余計に白石の主張を肯定も否定もしたくはなかった。

 本来であればカフェを出て観光街を練り歩く予定だったが、思いの外入った店が居心地がいいのとお洒落なメニューが豊富に揃えられている事も手伝って、二人はチェックインまでのほとんどをこのカフェで過ごしてしまった。

「また後で、浴衣着て来ようね」

 白石は財布を鞄にしまいながら、礼を言いながら続いて店を出てきた晃汰に提案した。甘いものに目が無い白石は、晃汰がココアとコーヒーを一杯ずつ飲み切る間に、スイーツを三種類も平らげた。

「バレない様にね、俺じゃ責任とれないから」

 殆ど白石が食べた分だが、代金を出してもらった事を思って晃汰はあまり強く彼女を注意する事が出来なかった。それを知ってか、白石は晃汰に向けて左手を差し出した。

「なに?これ」

「見てわかんないの?手繋いで。私、すぐ迷子になっちゃうから」

「いや、27歳がそれ言うの、痛いよ?」

 晃汰は苦笑いを浮かべる。

「・・・私じゃ嫌?」

 さすがはアイドルだな、目の前で瞳を潤ませながら上目遣いを披露する白石を見て、晃汰は観念した。

「お部屋行ったら、まず温泉入ろうね」

 まるで子どもの様にルンルンな白石は、晃汰の手を繋いでいる左手も大きく振って上機嫌だ。対する晃汰も記憶の彼方に消え去った右手の温もりを感じつつ、大浴場や豪勢な夕食に思いを馳せて旅館へと白石と共に向かった。
 
 


■筆者メッセージ
世間は相変わらず新型ウィルスに踊らされていますね。もう少し政治家が真剣に且つ迅速に対応してくれていれば・・・なんて考えてしまったり・・・
Zodiac ( 2020/04/06(月) 20:28 )