B 黄昏
九曲目 〜すり抜け〜
 ある日、晃汰は乃木坂本部で新曲作りへ向けた打ち合わせを行なっている。基本的に晃汰の感性に上層部はNOを言わないが、最低限のオーダーは毎回彼に出し続けている。晃汰もそれを汲んだ楽曲制作を毎回心がけ、お互いにやりやすい土俵でお互いの利益を生み出している。その打ち合わせは、晃汰にとって生きがいのようなものでもあった。だが今回は話が違う。記憶障害が治っていない晃汰に楽曲を作ることはできず、彼が加入前に曲を作っていたクリエイターに今回は委託をすると言う形に上層部、並びに晃汰は舵を切った。

「僕は何もできないので、意見する立場にありません」

 いつもなら肌身離さず持ち運んでいるiPadに議事録を詰め込む晃汰が、今日は缶コーヒーひとつだけで会議に挑んでいる。

「そうは言っても、君が乃木坂を大きくしたようなモノだから、メンバーとの考え方とか、その辺の現状を君に教えてもらいたい」

 クリエイターは晃汰の眼をしっかりと見た。今まで出会ってきたどんな作曲家より見た目がシンプルな彼を、晃汰も見つめ返した。

「お互いに納得のいくものにしたい」

 結局、最後の最後までクリエイターは晃汰の存在をリスペクトして会議は終わった。俺にそんな気遣わなくていいのに、晃汰は紙カップで出てくる自販機のカウントダウンを待ちながら、さっきまで見ていたクリエイターの横顔を思い返す。確かに不甲斐なさや、今まで自分が曲を作っていたから多少の嫉妬はある。それよりも、今の自分にはそれを覆すだけの能力が欠如している。一種の諦めに晃汰は達していた。

「誰のせいでも無いしな」

 どうにもいかない事が起きた時、晃汰は決まってこの言葉を零す。晃汰が好きな本に書かれている一節だ。

 自身のデスクで大きな伸びをする。その伸ばす左手首に眼を移して時刻を見た。

「もう少しか…」

 時刻は深夜零時に差し掛かろうとしていた。自分の机を中心的に照らす照明以外、職場は暗黒である。晃汰は雑処理をしながら来るべき人間の登場を待った。

「お待たせ、遅くなっちゃった」

 ノックをせずに誰もいない職場に入ってきたかと思えば、晃汰の隣に位置する徳長の椅子へと白石は座った。

「あと10分待ってください」

「女の子待たせるなんて、イケナイ子」

「そのイケナイ子に、卒業旅行行って欲しいってせがんだのはどこのどなたでしたっけ」

 パソコンから目線を逸らさずに、晃汰は白石をやっつけた。悔しそうな表情を浮かべる彼女は、そのままスマホを手に持って弄り始めた。ただのi phoneと言ったらジョブズに失礼だが、白石が持つとただのi phoneでもトビッキリの高級品に晃汰は見えてしょうがない。

「なに?」

 晃汰の視線を察して、白石はスマホ越しに彼を見る。横目でこちらを見る年下ギタリストと眼がぶつかった。

「いや、麻衣ちゃんがi phone持つとメチャクチャ高級品みたいに見えるなって思ってさ」

「なにそれ」

 白石はケラケラと笑った。その引き込まれそうな笑顔に自然と晃汰も笑顔になり、再びパソコンを叩き始めた。

 熱海旅行を翌日に控え、白石は晃汰の車のトランクに乗って彼の実家へと向かった。それは結婚の挨拶などでは無く、恐らく張り込んでいるであろう記者達へのカモフラージュだった。乃木坂事務所から出て行くのが真っ赤な86一台では勘繰られてしまう為、何台もの送迎車を時間差でスタッフに出させた。言わばこの卒業旅行は、乃木坂幹部が総出で演出しているのだ。そして更に時間を置き、狭いトランクルームに白石を押し込んだ晃汰が何食わぬ顔で自宅へと帰って行く。まさかその中に絶対的エースが入っていようとは、仮に記者がいたとしても考えはしない。

「死ぬかと思った」

 シャッターを閉め切ったガレージで白石は、鳥籠に閉じ込めたように行儀良く折り畳んだ手足を伸ばし、地に足をつけた。スカートの埃を叩く白石を横目に、文字通りにお持ち帰りだな、晃汰は頭の中で全国民男性の敵になるだろうと自嘲した。

「これぐらいしなきゃ、専属カメラマン達は振り切れないんでね」

 皮肉たっぷりの晃汰は、そんな白石に手を差し伸べてエスコートする。

「ようこそお待ちしておりました、白石様」

 筆頭執事の吉田が、使用人を代表して客人を迎える。それもただの一般人ではなく、すれ違う誰もが振り向いてしまうであろう美貌の持ち主だ。

「本当にこんな家、あったんだ・・・」

 荷物を吉田に預けて手ぶらになった白石は、階段の途中で隣を歩く晃汰に呟く。

「言ってしまえば、親の七光りだから」

 晃汰は苦笑する。自分の実力でないことぐらい分かっているし、なんならそれ以上の“成功”をしてやろうとも目論んでいる。ただ何処の宿泊地に泊まっても、自宅以上の安らぎを得られる場所はどこにもないことも、晃汰は分かっている。

 ゲストルームに通された白石は、晃汰の家のあらゆる事が衝撃的だった為に暫くの間、放心状態になっていた。職業柄、お金持ちには会ってきたがそれでも…回想が始まろうとしていた時分、部屋の扉が優しく叩かれた。声は、先ほど自分を迎えてくれた老執事のものだと白石は察した。

「お食事の準備が整いましたので、お迎えに参りました」

 どこまでも低姿勢、それでいて卑屈ではない。白石の吉田に対する第一印象だ。ただ、見た目は彼女がイメージしていた執事とはちょっと違った。殆ど白くなった髪は頭頂部、左右ともに撫で付けられ後方に流してあり、真後ろで一つに縛ってある。そして鼻下には、髪と同じぐらい白化した髭を蓄えている。執事なのにダンディで、どこかアダルティックな雰囲気の吉田は、晃汰の理想形だった。彼は日頃メンバーに対して"ウチの執事がめちゃくちゃかっこいい。体型は吉川晃司で首から上は和泉宏隆だ"と豪語していたのを、白石は思い出した。共演した事はないが、白石は晃汰の言うその二人を動画越しに何度か見ていた為、なるほどねと心の中で何度も頷いた。そんな和泉宏隆風吉川晃司風執事に案内され、白石は晃汰だけが待つダイニングへと向かった。

■筆者メッセージ
またお久しぶりになってしまいました(汗)
Zodiac ( 2020/03/29(日) 15:07 )